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やがて君を魔女にする

忠犬の魔法使いアカリは、今日もスーパーで怒られたい

作者: 蒼久保 龍
掲載日:2026/08/03


 ピ、ピ。

 レジ台の上を通すたび、小気味よい効果音が響く。


 手元を通過するのは異世界の食材や生活資材。

 光る部分にそれを通すと、モニターに食材などの名前が表示される。


 まるで魔法のような仕組みだが、その理屈に興味はない。


 別世界から列車に乗って来た私は、こちらの世界のお金を持っていないからこうして働いている。


 私はじーっと、レジ台と呼ばれるモニターを見つめた。


「えーっと、5260です」


 テーブルの向こうを通るお婆さんが衝撃を受けたようにじーっと私の顔を見る。


 と、隣の男子がさっと横から言う。


「円。5260円です、すいません」


 隣の彼は花岡累さん。


 私の同い年のバイトにして、私の教育係。

 クールで身長も高く、無愛想で何を考えているのかいまいち読みづらい。


「へぇー。花岡さん、大変だろうけど新人教育頑張ってね」


「ありがとうございます」


 4月初旬。私のレジ打ちデビュー客の注目は、となりの花岡に掻っ攫われた。


 どんな理由であれ、注目を集めることが最も大事。

 誰かに見られている時にこそ、生きている心地を感じる。

 逆に誰にも見られなくなれば、死んだも同じだ。


 私はこの寂れたスーパーに現れた初めての若い女、超新星。


 看板娘になるため、銀髪の上に黒髪ウィッグをつけ、服装もバッチリ決めてきた。


「笹川さん」


 そんなことを思っていると、彼は隣から私の方を見下ろし、尋ねてくる。


 私の名前は忠犬の魔法使いアカリ。

 この世界では、笹川灯という偽名を使っている。

 一応、普段は犬の力を身に宿して刀を振るい、魔法使いたちに殺人鬼と恐れられている存在。

 

「なに?」


「えーっと」


 彼は無表情のまま、私の顔を眺めて顎に手を当てる。

 


「まあいいか。なんでもない」



 彼はそう言うと、ぼーっと前を見つめ直した。


 その様子にカチンとくる。


 私はビシッと肘で花岡の脇を突く。


「痛っ」


 彼はそう言うも、こっちを見ない。


「なんか無愛想で感じ悪いですね。性格悪いんですか?」


 追撃を入れてもこちらを見ない。

 悲しい。


「性格は良くないな」


 彼はまっすぐ前を向いたままそう呟く。


 こいつは諦めよう。 

 勤務二日目にして、花岡以外からはすでに十分注目されている。


「ちょっと笹川さん!」


 後ろから恰幅がよく気が強そうなおばちゃん、吉富さんが声をかけてくる。


「なんですか?」


「あなたその服装! 昨日も注意したでしょ!? 腕元にフリフリがたくさんついてたら商品にレースが入る! お客さまの気持ちを考えて」


「エプロン着てるから良いじゃないですか」


 私が淡々とそう答えると、吉富さんはさらにボリュームが大きくなる。


「エプロンで袖元は隠れないでしょ! そのピンクのフリフリの服は禁止! 分かった!?」


 なるほど、フリフリがついた服でバイトに来れば、怒ってくれるらしい。

 ウィッグの下に犬の耳が出てきそうになり、慌てて心を落ち着かせる。


 最近は魔法使いと会っても、みんな私の顔を見ると逃げ出してしまう。

 だから、バイト初日、私はこの人に怒られた瞬間感動した。


 ちなみにこの服はこの世界に来た初日に買ったウィッグと洋服。

 地雷系ファッションとやらに興味があった私は、この世界の世話人からもらったお小遣いで即買いした。


「分かりました!」


 私は喜びを噛み締め勢いよく頷くと、吉富さんは隣の花岡に対しても怒る。


「花岡くんも、笹川さんにちゃんと指導しないと! 大変だろうけど、成長に繋がるから、ね!?」


「すいません、頑張ります」


 彼は吉富さんには愛想良く笑って頭を下げている。


 こいつは絶対に反省してないし、悪いとも思っていない。

 ……私も反省していないから、それを口に出す資格はないが。



 3回目の出勤日。

 エプロンをつけてバックヤードから店頭に出ようとした時、吉富さんの声が響く。


「前野さん! いっつもごめんねー。あ、あとあの問題児の教育もよろしくー」


 気にせず、バックヤードから出ようとすると、弱気な声が聞こえた。


「間に合うかな……」


 その声の主は腰が丸めた気弱そうなおばさん。


 と、そこにもう一人、白髪と眉間の皺が特徴のおばちゃんが現れる。


「前野さん、また吉富さんに仕事押し付けられてない!?」


「い、いえ、私はまだ時間がありますので」


「吉富さんはすぐ人に押し付けるんよね! あの人はほんと、そういうところ良くないわー」


「私は……」


 明らかに、前野さんは困っている。


 それから数日出勤してわかったこと。

 この職場は、寂れた店を盛り上げようとポップ作りを進める吉富さん派と、最低限働けば良いと考える古株の山本さん派に分かれていた。

 前野さんは毎日のように陰口を聞かされている。


 しかし、吉富さんはレジを他人に任せてポップ作りに没頭。

 山本さんはシフトは細切れにして、レジから離れる時間も長い。

 

 結局、世界が違えどやることは同じ。


 私が魔法使いの訓練生をしていた頃も、私の同期は二つの派閥に分かれて争っていた。


 そして、私はその争いを、平和的に止めた実績がある。


 4月中旬。


 初出勤から一週間と少しが経過した頃、私はその時と同じよう、行動を開始した。



 土曜日の昼からのシフト。

 私がのんびりとレジの方へ歩いて行くと、吉富さんの声が響く。


「笹川さん! 何分遅刻してると思ってるの!」


「あ、間に合ってませんか?」


「あなたの出勤時間は13時! 今の時間は!?」


 彼女はそう言いながら、サービスカウンターの上にかけられた時計を指差した。


「13時半前です」


 私が飄々とそう言うと、吉富さんの顔が真っ赤になって行く。


「早くレジに行きなさい! 3番! 花岡くんのところ!」


「はーい」


 私は指示通り、花岡さんがいるレジへ向かう。


 そして、彼に代わって私はレジの担当者IDを変更しながら、ぼーっと前を見ていた。

 代わった花岡さんがサービスカウンターに向かうや否や、吉富さんの声が聞こえてくる。


「花岡くん、あなたは笹川さんの教育係なんだから! もっと厳しくしないと!」


 私の代わりに彼が怒られているらしい。


「ほら! 早く注意しにいく!」


 数分後、苦笑いで頭を下げていた花岡さんが、いつもの無表情に戻ってきた。


「笹川さん、あとで少し話せますか」


 彼は無表情で言う。

 心なしか、少しめんどくさそうだ。


「もしかして私、怒られます?」


「分かってるなら、なんで最近遅刻の傾向が変わったのか教えて欲しい」


 む?


 この人は意外と私のことを見ているのか?

 本当につかみどころがない人だ。


「ちょっと笹川さん」


 不意に後ろから声をかけられる。

 白髪で長身のおばちゃん、山本さんだ。


「なんでしょう」


「昨日あなたが掃除した後のトイレ、また汚なかったわ。掃除をする時は丁寧に、心を込めてしなさい」


 彼女はわざわざレジを閉め、彼女のサボり場であるトイレに関する文句を言いにきた。

 

「山本さん、よくトイレを使われますもんね。気をつけます」


「ちょっと笹川さん。今の言葉どういう……」


「あ、いらっしゃいませー」


 私が軽やかにお客様へそう言うと、山本さんは「ちょっと花岡くん!」と、彼を呼んでどこかへ行った。


 彼女は花岡さんを連れてバックヤードに戻りながら、早口でいろんなことを言っている。

 一方、サービスカウンターからは、吉富さんが私を必死に睨んでいた。


 作戦は順調。花岡さん以外は私を見ている。


 偽善という気はさらさらない。

 私は誰よりも何よりも、注目を集めたいのだから。


 ……花岡さんも、私を注目する気になってくれればなぁ。



 それから一週間、私は遅刻だけでなく、レジでスマートフォンを触る、金額を言い間違えるなど、順調に問題児としての地位を築いた。


 当然、店長から何回か、長い説教を受けた。


 そして、今日もその説教を受けてからレジに戻る。


 30分遅刻して、さらに30分説教を受けていた私が戻るまで、1人でレジとサービスカウンターを回していた花岡さん。

 彼は相変わらず無表情だった。


 店長がサービスカウンターに向かい、私がレジに向かう。


「花岡さん、レジ変わります。あと、店長から、指導係として隣で監視して、とのこと」


「わかった」


 こんなに私に迷惑をかけられているのに、本当に感情がないのか? と思うほどの淡白さ。

 数人、レジを捌いて店内が落ち着いた時、不意に彼から話しかけられる。



「笹川さんは、なんでそんなに遅刻するんですか」



 最近、花岡さんから話しかけられるようになった。

 私の問題行動か、容姿やファッションセンスか、どのか惹かれるものでもあったのだろうか。


「メイクに時間をかけていて、髪を整えたりとか、女の子は大変なんです」


 私が答えると、彼は表情を一切変えずに黙る。

 彼は私の作戦の被害者。


 もちろん、レジ打ち自体は真面目にしている。

 それに、トイレ掃除やカゴ片付けなどめんどくさいことは率先してやるようにしてるし、ラストまで残るシフトを率先して入れてみてもいる。

 一番迷惑をかけている花岡さんには、ロッカーに差し入れを入れたりもしているが、気づいてくれているだろうか。


「その服装はこだわりがあるのか」


「知らないんですか? 地雷系ファッションって言うんです」


「へえ。地雷か。言い得て妙だな」


 彼は私の顔をまじまじと見る。

 もしかして、彼は私に興味を持ち始めたのではないか。


「花岡さんは私のせいで困ってないんですか?」


「ん?」


「いや、私の教育係だからって理由で、いろんな人に呼び出されたり」


 なぜか解説をする私。

 彼は一瞬、顎に手を当ててから答える。


「普通に困ってる」


 そうですよね。


「でもまあ、笹川が来てから良くなったところもある」


「良くなったところ、ですか?」


「笹川を注意するため、先輩たちが一致団結してるだろ」


 無関心なように見えて、結構周りを見ているのか。


「そうなんですか」


「ああ。バイト中、呼び出される時の話題が変わった。店長も感じてると思う」


 私が登場する前から、派閥争いの餌にされていたらしい。


 なんだか、この人が不憫に見えてきた。


「花岡さん、私たち同い年なんで、タメ口にしません?」


「ん? いいけど」


 同情を込めて言うと、彼はチラリと私を見てそう答えた。

 ……数週間前までは私の方を一切見なかったのに、不思議な人だ。



 その翌週の土曜日。

 今日は珍しく、白いニットに黒いスカートという量産系ファッションと呼ばれる服装にした。


 ロッカー室でエプロンをつけて、バックヤードを抜けレジ台に近い店内への入り口へ向かう。


 と、その時。


 咄嗟に私は身を隠す。

 前野さんと山本さんの気配を、匂いで感じたから。


「前野さんも知ってる? あの新人バイト! ひどいとよ!」


 山本さんの大きな声が聞こえる。


「た、大変ですね」


 影からチラリと覗き込むと、前野さんはバックヤードで山本さんに愛想笑いをしていた。


 作戦は順調ーー、そう思った、その時。


「ちょっと前野さん、そんなところで油売ってないで、とっとと表に出る!」


 予想通り、吉富さんの声が響く。


「あ、す、すいません!」


 前野さんが慌てて出て行こうとすると、山本さんが横から言う。


「前野さんの休憩、あと5分残ってるでしょ」


「いえいえ! 私は大丈夫ですから……」


 彼女がそう言うも、吉富さんは山本さんを睨む。


「山本さんの休憩時間は終わっとるでしょう」


「ズラすって、店長に話しとるけん」


 ……あれ?


 私は慌てて影から飛び出した。

 今日はすでに一時間近く遅刻している。


「ういーす」


 二人は私の方をチラリと見て、同時に強く睨む。


 しかし、二人は私から目を逸らして、互いを睨み合った。


 吉富さんと山本さんの間をわざと歩くが……。


「前野さん、レジに行きましょ」


 吉富さんは山本さんを見下して、前野さんの手を取って歩き出した。

 残された山本さんは、「なんなの」とつぶやいてバックヤードの奥へ歩き去っていく。


 店内への出口付近で取り残された私。


 ……なんで?


 魔法学校の時は上手くいったのに。



 その日、レジを打ちながら私は考えていた。


 確かに、吉富さんも山本さんも私に注目して、私を目の敵にしている。

 しかし、改めて思うと、あの二人は私を改善するために協力をしていない。


 その後の夕方、30分の休憩時間。

 私がバックヤードの休憩室に向かうと、そこには前野さんが一人でポツンと座っていた。


 前野さんはスマートフォンを触りながらパンを食べている。

 暇を持て余した私は、彼女の近くに座り、天井を見て足を揺らしていた。


「笹川さん、でしたよね」


 不意に話しかけられ、私はビクッと反応する。

 前野さんは、スマートフォンを触る手を止め、こちらを向いていた。


「ええ、笹川ですが」


 私は驚きを隠すように淡々とそう言う。

 と、前野さんはにっこりと笑う。


「その目って、カラコンとか入れてるんですか?」


 ……なんだか、このバイト先で怒り以外の感情で女性から話をされるのは初めてだ。

 ましてや、目のことを聞かれるなんて。


「いえ」


「すごいねー。ご両親はハーフなの?」


 ハーフは半分という意味だったはず。

 意味がわからないが、乗り切るためにはーー。


「えーっと、オールです」


 私の認識下にある、全部という意味の言葉を使うと、彼女は目を丸くした。


「オール?」


 きょとんとする彼女。


 こういう時、変に取り乱すより堂々としていた方が切り抜けられるものだ。


「両親は二人とも、って意味です」


 探り探りそう言うと、前野さんは「あー!」と言って頷く。


「お二人とも外国人なんだ! すごいねー。私、娘がいてね。ちょうどあなたより少し大きいくらい」


 ……なんだかこの人、吉富さんや山本さんに対応している時よりも饒舌だ。


「趣味はファッション?」


「なんで分かったんですか?」


「だって、いつも可愛い服で出勤しとるでしょ?」


 うーむ。

 なんだかやりづらい相手だ。

 心の底の隅っこが、どこかむず痒いような感覚。


「……前野さんは、迷惑じゃないんですか?」


 私が問いかけると、彼女はきょとんとした。


「迷惑?」


「いえ、その、私は皆さんに迷惑をかけているじゃないですか」


 すると、前野さんはにっこりと笑う。


「笹川さんは、わざと遅刻してるわけじゃないんでしょ? 


「ま、まあ」


「遅刻はやめた方が笹川さんのためになると思う。けど、それを理由に嫌いにはならんかな」


 あら、私の作戦が全く刺さっていない。

 彼女はこれまで私が出会った人の中で、最も寛容な人間の一人だ。


 すると、そんな私の疑問を感じ取ったのか、彼女は小首を傾げながら言う。


「うちの娘も少し注意が散漫でね。娘にも遅刻はダメって言ってるけど、だからって娘のことは嫌いじゃない」


 背中を丸めてそう言った前野さん。

 他の職場の人よりも、よっぽど強い人間に見えるがーー。


「前野さんって、吉富さんと山本さんの板挟みにされてませんか」


 苦笑いをする彼女。


「よく見てるね」


「なんで、吉富さんと山本さんに、喧嘩をやめてって言わないんですか?」


 彼女は弱ったように背中を丸めた。


「前野さん、とても優しいのに、言わないから損してます」


 さらにそう言うと、彼女は肩をガックリと落とす。


「笹川さんはすごい」


「すごい?」


「思ったこと、相手に素直に言えるところ」


「別にすごくないです」


「すごいよ? 私は吉富さんや山本さんに嫌われたくないって思って、何も言い返せない」


「私は嫌われ者です」


 と、言っても前野さんは首を横に振る。


「私の周囲の人は、そんなに笹川さんのことを嫌ってないよ?」


 そう言われた瞬間、私は表情が固まってしまう。


「みんな、どうしたら笹川さんが素直になってくれるか、必死に考えてる」


「でも、私は注意をされたり、悪口を言われてばっかり」


「それは、笹川さんが愛されているからだよ?」


「それなら、みんなもっと優しくしてくれたって」


 淡々と話していたはずの私は、思わず早口でそう言った。


 すると、彼女はにっこりと笑う。


「一緒に働きたいって思われない人は、注意もされずに放置されるよ?」


 ハッと、視界が開けたような感覚になる。


「本当に見捨てられたら、誰も注意してくれないから。もちろん、怒ることが全部愛情ではないと思うけどーー、この店の人たちはみんな、笹川さんに期待してるよ」


 魔法学校で私を追い回していた優等生も、バイト先の人たちもーー、この作戦が成立したのは、皆が私を見捨てず、無視しなかったからなのか。


「じゃ、吉富さんや山本さんに注意をしない前野さんには、愛がないんですね」


 私は無意識のうちに前野さんに悪態をつく。


「そう、なのかもね」


 これで、前野さんに嫌われればいつも通り。


「じゃ、私はバイト戻りまーす」


 まだ、休憩は10分ほど残っているのに、私は休憩室から外に出た。

 結局、その日はバイト中、前野さんと目を合わせないようにした。


 その日の夜、私は心の奥がむず痒く、久しぶりに寝付けなかった。

 怒られること、罵られることには慣れている。

 が……期待されている、なんて言われたのはいつ以来だろう。


 こんな時、友達がいれば、私はなんて相談するのだろう。



 その翌日、私はシフトもないのにバイト先へ向かっていた。


 理由は前野さんの表情を見たかったから。


 昨日、わざとロッカーに財布を忘れた。

 それを口実に、こっそりと忍足で、バックヤードに入っていた。


「ちょっと前野さん、聞いてよ!」


 この時間は前野さんの休憩予定時間。

 想定通り、バックヤード入り口付近から山本さんの声が響く。


 昨日の出来事の愚痴を話しているのだろう。

 こっそりとその様子を伺うと、前野さんは苦笑いをして「大変ですね」と相槌を打っている。


 それを見ていると、私は吉富さんの気配を察知する。


 まずい、と思ったその時。


 バタっ、と店内入り口が開き、吉富さんが現れる。


「……前野さん、また山本さんとサボってるの?」


 開口一番、喧嘩腰にそう言う吉富さん。


「えーっと……」


「前野さんはさっき休憩入ったばっかりだけど?」


 吉富さんはわざとらしくため息をついて、山本さんに視線をやる。


 一触即発の雰囲気。


 私はその場に姿を現そうと一歩前に出る。


 が、その時。

 昨日、私が全く相手にされなかったことを思い出す。


 ーー注意もされずに放置されるよ?


 そんな言葉が脳裏をよぎり、足が止まった。


「あの、二人とも」


 その時、不意に響いた前野さんの声。


 吉富さんも山本さんも、前野さんを見た。


「その、二人とも、頑張っていて、二人ともすごいので、喧嘩はやめませんか」


 おどおどとした、震えた声。

 前野さんは肩を窄めてそう言った。


 吉富さんと山本さんは顔を見合わせる。


「ちょっと前野さん、私たちは喧嘩なんてーー」


 山本さんが軽い口調でそう言うと、前野さんは私に気づいていたのか、こちらをチラリと見てから、両手を握りしめる。


「吉富さんは、このスーパーの経営が苦しいことを知っていて、セルフレジが導入されても、レジ係の人が働き続けられるように工夫をしてるんです」


 吉富さんは山本さんを見つめ、山本さんは気まずそうに目を逸らした。


「山本さんは、持病があられてレジに長時間立てないのに、人が足りない時間だけ、シフトを細切れにして対応してくれてるんです」


 山本さんの顔を見ると、彼女は目を逸らしていた。


「私は二人の事情を知っているのに、その、勇気がなくて黙っていました」


 前野さんがそう言って頭を下げる。

 と、吉富さんがじっと考えたように黙ってから、振り返って表に出た。

 すると、山本さんもこちらの方に向かって歩いてきて、私の横を通過した。


 二人はどうなったのだろうか。


 私がその場で立ち尽くしていると、前野さんが私を見て頭を下げる。


「笹川さん、勇気をくれてありがとう」


 私が戸惑っていると、前野さんは言葉を続ける。


「二人に喧嘩やめてって言っても、笹川さんは仲良くしてくれるかなって思えたから。ありがとう」


 彼女は背中を丸めておどおどと頭を下げた。

 そして、バックヤードから出ていく。


 私はしばらくその場に立ち尽くしたあと、何もできずに家へ帰った。



 翌日の日曜日。

 珍しく早めに出勤すると、ロッカーに付箋が貼られていた。


 昨日はありがとう。伝えてみてよかった。また今度、お茶をしましょう。前野


 付箋の裏にはそんなことが書かれていた。


 胸の奥が軽くなり、自然と笑みが溢れる。

 何もしていないのに感謝をされるなんて、不思議なこともあるものだ。


 鼻歌混じりで、エプロンをつけようと後ろに手を回す。


 と、その時。

 そこにあるはずのないドレスの布が、私の両手を掠めた。


 って!


 ……危な!


 後ろを見ると、銀色の尻尾がゆらゆらと横に揺れている。


 私は慌てて尻尾が出ないように深呼吸をして、ピシャリと頬を叩き、鏡の前の私自身を見た。


 よし。


 今日は黒いゴシックドレスと超厚底ブーツ。エプロンとは絶望的に似合わないが、その方が印象には残る。


 バックヤードから店内に出て、サービスカウンターにレジ番号を確認しに行くと、吉富さんが叫ぶ。


「笹川さん! 今日は遅刻してない!?」


 サービスカウンターのみんなが私を注目する。


「レジ番号何番ですか?」


「3番。今3番に入ってる花岡くんには、4番開けてって伝えて」


「はーい」


 私がのんびりレジに向かうと、その途中、衝撃の光景があった。

 2番に入っていた山本さんが、お客さんが来ない間、慣れない様子で折り紙を切り、吉富さんが推し進めていたポップ作りを手伝っていたのだ。


「笹川。この調子で遅刻はしないように」


「指導に心がこもってない」


 私が3番レジに入っていた花岡さんにダメ出しをすると、彼は私の顔を見て一言。


「何かいいことでもあったか?」


 妙に勘が鋭い男。


「なんでそう思ったの?」


「いや、遅刻してないだろ」


 ……私の表情を見たわけではないらしいな。

 と、思った直後。


「珍しくマスクも付けてない」


 私は思わず彼を見て、すぐに口元を隠す。


「キモっ」


「理由を聞いたのはそっちだろ」


「てか、山本さんがポップを作ってるけど、何かあったの?」


 私は口元を隠しながらさりげなくそう尋ねると、彼は興味なさそうに言う。


「今日の昼前、店長が山本さんに呼ばれてたけど詳細は知らん」


 どうやら、何かがあったことは確からしい。


 と、吉富さんがサービスカウンターから出てレジに向かってくる。

 そして。


「山本さん、キツかったらレジ閉めて、椅子に座って笹川さんのこと監視しといて。花岡くんは4番開けて」


 吉富さんは淡々と山本さんに指示をする。


「ポップ作ったやつはレジ下置いとくけん」


 すると、後ろの山本さんも淡々と返事をする。


 二人は相変わらず無愛想だが、まともに言葉を交わしていた。

 

「じゃ」


 花岡さんはそう言うと、フラッと後ろから立ち去った。

 そして、私の後ろには山本さんが椅子を持ってくる。


「あんたの専属コーチに就任したけん」


 腰が悪いらしい彼女は、空いている時間、私の後ろでつきっきり。


 後ろから服装についてネチネチ言ってくる。


 サービスカウンターからは吉富さんが常に目を光らせる。


 ーー伝えてみてよかった。


 前野さんが貼っていた付箋を思い出す。


 みんなの敵になって注目されるやり方。

 これは本当に正しかったのだろうか。


 本当の想いを相手にまっすぐ伝えること。


「私もーー」


 本当は、怒られたいわけではない。

 みんなと仲良くして、少しくらい可愛がられてみたい。


「こら! スマホを触るってどんな教育受けてんの!」


 いつもははっきり言わない山本さんが、珍しく私に注意をした。

 その言葉を聞いて、私はニヤリと笑みが溢れる。


「山本さんもトイレで触ってるんで良いかなと」


「は!?」


 やはり、私はこうして怒られる方が性に合っている。


 でも。


「私もポップ作り手伝って良いですか?」


 私が怒る山本さんに、さりげなくそう言ってみた。

 と、彼女は少し驚いた表情に変わる。


 しかし。


「笹川さんはレジ打ちを一人でできるようになりなさい!」


 予想通りのリアクション。


 いつも怒られてばかりの私だ。

 真面目なことを言ったって、きっと、ふざけて言ったと思われて終わる、そんな予想通りの展開。


「はーい」


 私はいつも通り、雰囲気を変えずに返事をして、淡々とレジ打ちを再開した。


 と、その時。



「ポップ作りは、私から吉富さんに言っとくけん」



 山本さんの小さな声が響いた。


 ほんの少し勇気を出して、思ったことを言ってみる。

 怒られるようなやり方じゃなくても、みんなが私を見てくれる方法はあるのかもしれない。


 前野さんは私から教わったと言っていたが、教わったのは、きっと私の方だ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本作は、現代日本を舞台に魔法使いたちの修行と戦いを描く『やがて君を魔女にする』のスピンオフ短編です。

問題児のアカリを、少しでも可愛いと思っていただけたら嬉しいです。


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