第九章 エルフの設計士
工事再開から一週間が経った。
誠司は毎日、夜明け前に現場に入り、日が暮れても残って書類作成をしていた。睡眠時間は一日三時間程度。日本で働いていた頃と同じような生活だが、不思議と体は動いた。
この世界の空気が、体に合っているのかもしれない。
その日、誠司はエルフの作業場を訪れていた。
魔道具班は、本館から少し離れた別棟で作業を行っている。ここで、魔法学院の各教室に設置される照明装置、暖房装置、通信装置などが製作されている。
「エリアス、いるか」
誠司が声をかけると、奥から姿が現れた。
「何の用だ」
相変わらず、愛想のない返事だ。
「来週から、本館三階の内装工事が始まる。そこに設置する魔道具について、確認したいことがある」
「図面を見ればいいだろう」
「見た。だが、分からないことがある」
誠司は、手持ちの図面を広げた。
「この照明装置だが、配線が壁の中を通ることになっている。ところが、この壁には構造的な補強材が入る予定だ。補強材と配線が干渉するんじゃないか」
エリアスは、図面を一瞥した。
「そんなことはない。配線は、補強材を避けて通せる」
「どうやって?」
「知らん。現場で考えろ」
誠司は、思わず眉をひそめた。
「待ってくれ。現場で考えろ、では困る。今のうちに、どうやって干渉を避けるかを決めておかなければ、工事が止まる」
「では、お前が決めろ」
「俺は魔道具の専門家じゃない。配線をどこに通せるか、どこに通せないか、お前が一番よく知っているはずだ」
エリアスは、苛立ったように鼻を鳴らした。
「人間の監督は、いつもそうだ。細かいことを気にしすぎる。エルフの技術者なら、現場で判断できる。わざわざ事前に決める必要はない」
「それでは困る」誠司は言った。「事前に決めておかなければ、現場で混乱が起きる。俺の現場では、そういう混乱は許さない」
「傲慢だな」エリアスの目が、鋭くなった。「人間の分際で、エルフに指図するつもりか」
「指図じゃない。協力を求めているんだ」
「同じことだ」
二人の間に、張り詰めた空気が流れた。
誠司は、深呼吸をした。
ここで感情的になっても、何も解決しない。エリアスには、エリアスなりの考え方がある。それを理解した上で、協力を引き出す方法を考えなければ。
「一つ提案がある」
誠司は言った。
「何だ」
「施工図を作る。図面だけでは分からない、細かい納まりを、別の図面で表現する。配線がどこを通るか、補強材がどこに入るか、すべてを一枚の図面に描き込む。それを見れば、干渉があるかどうか、一目で分かる」
「施工図?」
「ああ。俺が作る。お前には、魔道具の配線についての情報を教えてほしい。それだけでいい」
エリアスは、少し考えるような顔をした。
「……お前が作るのか」
「ああ」
「手間がかかるだろう」
「かかる。だが、この手間をかけることで、現場での混乱を防げる。トータルで見れば、時間の節約になる」
エリアスは、しばらく黙っていた。
「分かった」
彼はついに言った。
「配線の情報を教える。ただし、施工図ができたら、俺にも見せろ。俺が確認する」
「もちろんだ。お前が確認して、問題がなければ、その通りに施工する」
「よかろう」
エリアスは、作業台から資料を取り出した。
「これが、照明装置の配線図だ。魔力の流れに沿って配線する必要がある。曲げすぎると、効率が落ちる」
「なるほど。最小曲げ半径は?」
「最小曲げ半径?」
「配線を曲げる時、どこまで曲げていいか、という基準だ」
エリアスは、少し驚いた顔をした。
「……そういう発想は、なかった。だが、確かに必要だな。経験上、これくらいまでなら問題ない」
彼は、指で円を作った。
誠司は、その大きさを覚えた。
「分かった。それを基準にする」
「他に聞きたいことは」
「たくさんある。時間をくれ」
二人は、その後二時間にわたって打ち合わせを続けた。
*
三日後、誠司は完成した施工図をエリアスのもとに持っていった。
「見てくれ」
誠司が広げた図面を、エリアスは食い入るように見つめた。
構造材、仕上げ材、配管、配線——すべてが一枚の図面に描き込まれている。それぞれの要素は異なる色で表現され、どこで何が交差するかが一目で分かる。
「これは……」
エリアスの声に、驚きが滲んでいた。
「ここを見ろ」誠司は指さした。「北側の壁、補強材と配線が交差している。このままでは干渉する」
「確かに」
「だから、配線を少し迂回させる。こういうルートで通せば、干渉を避けられる。曲げ半径も、お前が言った基準内だ」
エリアスは、しばらく図面を見つめていた。
「……見事だ」
彼は呟いた。
「何?」
「こんな図面は、見たことがない。設計図だけでは分からなかった問題が、一目で分かる」
「施工図の目的は、それだ」誠司は言った。「設計と施工の間の溝を埋める。設計者の意図を、現場で実現するための図面だ」
「なぜ、エルフはこういう図面を作らなかったのだろう」
「作る発想がなかったからだろう」
誠司は、できるだけ批判的に聞こえないよう、言葉を選んだ。
「エルフは、長い経験と高い技術を持っている。だから、図面がなくても、現場で判断できる。しかし、人間は違う。経験の浅い者もいれば、新しく入ってくる者もいる。そういう者でも理解できるように、すべてを文書化し、図面化する必要がある」
「人間の限界を、仕組みで補っている、ということか」
「限界というより、多様性だな。色々な人が関わるからこそ、共通の言語が必要になる。それが図面であり、施工計画書だ」
エリアスは、図面から顔を上げ、誠司を見た。
「お前、なかなかやる」
「何が」
「最初は、ただの人間だと思っていた。だが、違った。お前は——」
エリアスは、少し言いにくそうに続けた。
「——認めざるを得ない。優秀だ」
誠司は、少し驚いた。
あの高慢なエルフが、人間を認めるとは。
「ありがとう」
「礼はいらん」エリアスは言った。「これからも、こういう図面を作るのか」
「ああ。すべての工区で作る」
「では、手伝う」
「何?」
「魔道具に関する情報は、俺が一番知っている。お前に正確な情報を提供する。それで、施工図の品質が上がるなら、俺にとっても利益だ」
誠司は、思わず笑った。
「それは、ありがたい」
「笑うな」エリアスは眉をひそめたが、その目には、どこか親しみのようなものが浮かんでいた。「これは、純粋に合理的な判断だ。感情の問題ではない」
「分かった、分かった」
この日から、エリアスは誠司の最も信頼できる協力者の一人になっていった。




