第七章 混乱の現場
魔法学院の工事現場に足を踏み入れた瞬間、誠司は頭を抱えたくなった。
混乱していた。
いや、混乱という言葉では生ぬるい。無秩序と呼ぶべきだった。
資材が乱雑に積まれ、通路を塞いでいる。作業員たちは各々が勝手に動き、統率がない。半分完成した壁の隣で、別の壁の解体が行われている。クレーン——この世界では魔法で動く巨大な腕——が荷物を吊り上げているが、下では作業員が無防備に歩き回っている。
「何だこれは……」
誠司の呟きを聞きつけたのか、一人の男が近づいてきた。
若い男だ。二十代半ばくらい。上質な服を着ているが、汚れ一つない。現場で働いている人間の服ではない。
「お前が、新しい監督とかいう奴か」
男の口調は、傲慢だった。
「鷹野誠司だ。お前は」
「レオナルド・フォン・メルキアス。この現場の監督だ。いや、だったと言うべきか」
男——レオナルドは、不快そうに鼻を鳴らした。
「宰相の命令とやらで、俺の仕事を奪いに来たんだろう。勝手にしろ。もともと、こんな泥臭い仕事に興味はない」
「では、引継ぎを頼む」
「引継ぎ?」
「この現場の状況を、俺に説明してくれ。工程表、図面、予算書、契約書類。すべてを見せてくれ」
レオナルドは、鼻で笑った。
「そんなものはない」
「……何?」
「工程表なんて、作ったことがない。図面は設計士が持っている。予算は、金が必要になったら宮廷に請求する。契約書類は——どこかにあるんじゃないか」
誠司は、一瞬、言葉を失った。
工程表がない。予算管理がない。書類の所在も把握していない。
これで二年間、工事を「監督」していたというのか。
「……分かった。もういい」
誠司は深呼吸をして、気持ちを切り替えた。
ゼロからやり直すしかない。
「お前に一つだけ聞く。この現場で、実際に仕事を仕切っている人間は誰だ」
「知らん。職人どものことなど、興味がない」
レオナルドはそう言い捨てて、去っていった。
誠司は、一人残された現場を見渡した。
作業員たちは、誠司のことをちらちらと見ているが、誰も近づいてこない。新しい監督が来たことは知っているだろうが、様子を見ているのだろう。
誠司は、最も年配の職人を探した。
白髪交じりの、がっしりとした体格の男がいた。石工のようだ。手に持っている道具と、服についた石の粉から判断できる。
「ちょっといいか」
誠司は声をかけた。
男は振り返り、誠司を見上げた。
「あんたが、新しい監督か」
「ああ。鷹野誠司だ。お前の名前は」
「ハンス。石工組合の代表をやっている」
「ハンス、教えてくれ。この現場は、今どうなっている」
ハンスは、大きくため息をついた。
「どうなっている、か。正直に言えば、めちゃくちゃだ」
「詳しく聞かせてくれ」
「いいだろう。だが、長い話になるぞ」
*
ハンスの説明は、誠司の予想を遥かに超えて悲惨だった。
工事は二年前に始まった。最初の数ヶ月は順調だったが、問題はすぐに表面化した。
まず、設計変更が頻発した。発注者である魔法学院側が、次々と仕様変更を要求してきた。教室の配置を変えろ、廊下の幅を広げろ、塔をもう一つ増やせ——そのたびに工事はやり直しになり、工期は延びていった。
次に、職人たちの間で諍いが起きた。複数の組合が関わっているが、作業の調整がなされていないため、互いの仕事が干渉し合った。石工が壁を作れば、その壁に配管を通す魔道具職人が文句を言う。配管工事が終われば、今度は壁を仕上げる左官職人が「この壁は傾いている」と作り直しを要求する。
そして、安全管理の欠如。この二年間で、三人の作業員が命を落とした。墜落、落下物、感電——いずれも、適切な対策があれば防げた事故だった。
「前の監督——レオナルドは、何をしていたんだ」
「何もしていない。現場にはほとんど来ない。来ても、すぐに帰る。問題が起きても、『職人の責任だ』の一点張りだ」
「……」
「俺たち職人は、自分たちだけで何とかしようとした。だが、限界がある。組合間の調整は、誰かがやらなければならない。それができるのは、監督だけだ」
ハンスは、誠司の目をまっすぐに見た。
「あんたは、本当に監督をやれるのか。この現場を、立て直せるのか」
「やる」
誠司は、迷いなく答えた。
「ただし、時間がかかる。一朝一夕には直らない。お前たちの協力も必要だ」
「……何をすればいい」
「まず、全ての組合の代表を集めてくれ。明日の朝、全員で会議をする。現状を把握し、これからの計画を立てる」
「分かった」
「それから、今日はもう作業を止めろ」
「止める?」
「ああ。この状態で作業を続けても、事故が起きるだけだ。全員を帰して、明日に備えろ」
ハンスは、少し驚いた顔をした。
「作業を止めて、いいのか。工期が——」
「工期は既に二年遅れている。一日や二日で、何が変わる。それより、安全を確保することが先だ」
誠司の言葉に、ハンスは何かを感じ取ったようだった。
「……分かった。あんたの言う通りにする」
ハンスは、作業員たちに向かって声を張り上げた。
「おい、聞けぇ! 今日は作業終了だ! 道具を片付けて、帰れ! 明日の朝、全員集合だ!」
作業員たちの間に、ざわめきが広がった。
しかし、誰も文句は言わなかった。
むしろ、どこか安堵したような表情を浮かべている者もいた。この混乱した現場から、一時的にでも解放されることへの安堵だろうか。
誠司は、現場を見渡した。
明日から、本当の戦いが始まる。




