第二十章 地図に残る仕事
魔王討伐から、十年が経った。
王国は、見違えるように変わっていた。
破壊された街は再建され、新しい建物が立ち並んでいる。道路は整備され、馬車が行き交う。橋が架けられ、川を越える旅が容易になった。
そして、何より——人々の顔に、活気が戻っていた。
誠司は、王都の新しい建物の前に立っていた。
「王国建設庁」
真新しい看板が、建物の入り口に掲げられている。
この建物は、誠司が設計を監修した。王国全土の建設事業を統括するための官庁だ。
「監督——いや、長官」
声がして振り返ると、ハンスが立っていた。
彼も、十年で変わった。白髪が増え、顔に皺が刻まれている。しかし、目の輝きは変わらない。
「長官と呼ぶな」誠司は苦笑した。「俺は今でも、現場監督のつもりだ」
「でも、実際には長官でしょう。王国全土の建設事業を統括する——」
「肩書きなんて、どうでもいい。大事なのは、仕事の中身だ」
誠司は、建物を見上げた。
「この建物も、もう完成から三年か。早いものだな」
「ええ。最初は大変でしたが、今では軌道に乗っています」
「そうだな」
誠司は、街並みを見渡した。
王都の中心部。十年前、魔王軍との戦いで損壊した建物は、すべて再建された。さらに、新しい建物も増えた。魔法学院の新校舎、王立病院、市場、宿屋——すべてが、誠司の監督の下で建てられた。
「長官、本日の予定ですが——」
「分かっている」誠司は頷いた。「視察だろう。北部の新しい街道の進捗確認」
「はい。馬車を用意してあります」
「行こう」
誠司は歩き始めた。
街を歩いていると、人々が誠司に声をかけてくる。
「長官、おはようございます」
「鷹野様、いつもありがとうございます」
「監督、この前の工事、ありがとうございました」
誠司は、一人一人に丁寧に返事をしながら歩いた。
「人気者ですね」ハンスが言った。
「俺は何もしていない。建物を建てたのは、職人たちだ」
「でも、その職人たちを束ねたのは長官です」
「……」
誠司は、何も言わなかった。
街の外れに、馬車が待っていた。
誠司が乗り込もうとした時——
「お待ちください、長官」
声がした。
若い男が、走ってきた。二十代前半の、人間の若者だ。
「どうした」
「申し訳ありません。今日から、長官の下で研修を受けることになった者です。ミハエルと申します」
「ミハエル……」
誠司は、その名前に覚えがあった。
「お前、もしかして——」
「はい。十年前、魔法学院の工事で足を怪我した——あのミハエルです」
誠司は、目を見開いた。
「あの時の——」
「はい。あれから、リハビリを続けて、完全に回復しました。そして、長官のような仕事がしたくて——建設の仕事を学んできました」
ミハエルは、深く頭を下げた。
「どうか、ご指導よろしくお願いします」
誠司は、しばらく言葉を失っていた。
十年前、足場から落ちた若者。あの時は、歩けなくなるかもしれないと言われていた。それが、今——
「顔を上げろ」
誠司は言った。
「長官?」
「お前が来てくれて、嬉しい。一緒に仕事をしよう」
誠司は、右手を差し出した。
ミハエルは、その手を握った。
「ありがとうございます!」
「では、さっそくだが、今日の視察に同行しろ。現場を見るのが、一番の勉強だ」
「はい!」
ミハエルの目が、輝いていた。
かつての自分を見ているようだ、と誠司は思った。
あの頃——日本で、初めて現場を任された頃の自分。建物が立ち上がっていく喜び。施主の笑顔。地図に残る仕事をしている誇り。
それは、この世界でも同じだった。
いや——この世界では、もっと直接的に、自分の仕事が人々の役に立っているのを感じることができた。
魔王を倒したのは、勇者たちだ。しかし、その勇者たちが戦えたのは、誠司が段取りを整えたからだ。
復興を成し遂げたのは、職人たちだ。しかし、その職人たちが力を発揮できたのは、誠司が環境を整えたからだ。
縁の下の力持ち。
それが、自分の役割だった。
*
馬車に乗り込み、王都を離れた。
街道を北へ進む。道は、十年前とは比べ物にならないほど整備されていた。
「この街道も、長官の計画で作られたものですよね」ミハエルが言った。
「ああ。復興計画の一環で、王国全土の街道網を整備した」
「どのくらいの距離を?」
「総延長で、約三千キロメートル」
「三千キロ……」ミハエルは絶句した。「とてつもない距離ですね」
「一人で作ったわけじゃない。何千人もの職人が、何年もかけて作った。俺は、その計画を立てただけだ」
「計画を立てるのも、大変な仕事でしょう」
「そうだな」誠司は頷いた。「どこに道を通すか、どのくらいの幅にするか、どんな材料を使うか——すべてを決めなければならない。一つ間違えれば、無駄な工事になる」
「どうやって、それを学んだんですか」
「経験だ。失敗して、反省して、次に活かす。その繰り返しだ」
「失敗も、あったんですか」
「もちろんだ。数え切れないほどある」
誠司は、窓の外を見た。
「魔法学院の工事で、足場が崩れた事故。あの時、お前が怪我をした」
「……」
「あれは、俺のミスだった。土留めの設置方法を、ちゃんと説明していなかった。それで、足場が不安定になった」
「でも、それは——」
「俺は、あの事故を忘れない」誠司は言った。「あれ以来、安全管理は、俺の最優先事項になった。どんなに工期が厳しくても、安全を犠牲にしない。それが、俺のルールだ」
ミハエルは、黙って聞いていた。
「お前も、覚えておけ」誠司は言った。「現場監督の仕事は、建物を建てることじゃない。人を守ることだ。職人たちを守り、使う人を守り、そして——その建物が長く残るよう、品質を守る」
「人を、守る……」
「そうだ。それが、俺たちの仕事だ」
*
視察を終え、王都に戻ったのは、日が暮れた後だった。
「今日は、ありがとうございました」
ミハエルが、深々と頭を下げた。
「明日から、よろしく頼む」
「はい!」
ミハエルは、足早に去っていった。
誠司は、一人になって、夜空を見上げた。
二つの月が、空に浮かんでいる。
この世界に来て、十年以上が経った。
女神ルシェラとの約束——世界を救う——は、果たされた。魔王は討伐され、王国は平和を取り戻した。
しかし、誠司の仕事は終わっていなかった。
復興は、まだ道半ばだ。やるべきことは、山ほどある。
「あと何年かかるかな」
誠司は呟いた。
しかし、それは嫌な気持ちではなかった。
むしろ、楽しみだった。
自分の仕事が、この世界を変えていく。建物が建ち、街ができ、人々の暮らしが豊かになっていく。
それを、この目で見届けたい。
「地図に残る仕事」
誠司は呟いた。
日本にいた頃、就職面談でそう言った。地図に残る仕事がしたい、と。
今、誠司がやっているのは、まさにそれだった。
この世界の地図を、自分の手で描き変えている。
それが、誠司の誇りだった。
*
それから、さらに数十年が経った。
誠司は、老人になっていた。
白髪が増え、背中は少し曲がっている。現場を歩き回る体力は、もうない。
しかし、彼の目は、まだ輝いていた。
「長官、お体に障りますよ」
隣を歩くミハエルが言った。
彼も、もう中年だ。今では、王国建設庁の次官を務めている。
「大丈夫だ」誠司は言った。「まだ歩ける」
二人は、王都の広場に立っていた。
目の前には、巨大な建物がそびえている。
「王国記念館」
魔王討伐五十周年を記念して建てられた、王国最大の建造物だ。設計は、若手の建築家。しかし、その建設を監修したのは——
「見事な建物だな」
誠司は呟いた。
「長官の最後の仕事ですね」ミハエルが言った。
「最後か……そうかもしれないな」
誠司は、建物を見上げた。
この建物は、誠司がこの世界で手がけた、最後の大規模プロジェクトだった。
「ミハエル」
「はい」
「俺が死んだ後も、仕事は続けてくれ」
「……長官」
「王国には、まだやるべきことが山ほどある。街道の整備、橋の建設、老朽化した建物の修繕——お前が、それを引き継いでくれ」
ミハエルは、真剣な顔で頷いた。
「お任せください。長官から学んだことを、すべて活かします」
「ありがとう」
誠司は微笑んだ。
「俺は、この世界に来て、良かったと思っている」
「良かった……ですか」
「ああ。日本にいた時は、ただ働いているだけだった。仕事は好きだったが、何のために働いているのか、分からなくなっていた。でも、この世界に来て——」
誠司は、王都の街並みを見渡した。
自分が監督した建物が、街のあちこちに立っている。街道が伸び、橋が架かり、人々が行き交う。
「——俺の仕事が、この世界を変えた。それを、この目で見ることができた」
「長官……」
「それが、俺の誇りだ」
誠司は、夕日に照らされた街を見つめながら、静かに微笑んだ。
「地図に残る仕事。それが、俺の人生だった」
*
鷹野誠司は、その翌年、静かにこの世を去った。
彼の功績を讃え、王国は記念碑を建てた。
その碑には、こう刻まれている。
『鷹野誠司
異世界より来たりし者
魔王を討ち 王国を救い
この地に永遠の礎を築く
彼の言葉をここに記す——
「地図に残る仕事。それが俺の誇りだ」』
その記念碑は、王都の中心広場に立っている。
今日も、その前を人々が行き交う。
誰もが、彼の名前を知っている。
そして、彼が築いた建物は、今も——この世界の地図に、残り続けている。
(完)




