第十六章 会戦
翌朝、陽が昇ると同時に、地平線に砂煙が見えた。
「来たぞ! 敵だ!」
見張り台からの叫びが、野営地に響き渡った。
誠司は、塹壕の後方に設置された指揮所に立っていた。
高台に作られた簡易な櫓。そこから、戦場の全体を見渡すことができる。
「敵の数は?」
「約三千。騎兵が三分の一、歩兵が三分の二」
「魔物は?」
「見えません。人型の兵士だけのようです」
「よし」
誠司は、指揮所に設置された大きな板を見た。
そこには、戦場の配置図が描かれていた。塹壕の位置、逆茂木の位置、味方の部隊の配置。すべてが一目で分かるようになっている。
「各部隊、配置につけ!」
セレスティアの声が響いた。
彼女は、誠司の隣で指揮を執っていた。戦闘の指揮は彼女が担当し、誠司は後方支援と兵站の管理を担当する——そういう役割分担だった。
兵士たちが、塹壕に飛び込んでいく。
弓兵は塹壕の縁に並び、槍兵は塹壕の中で待機。騎兵は後方に控え、反撃の機会を窺う。
「勇者たちは?」
「最前線に配置しました。敵の指揮官を直接叩く役目です」
「分かりました」
誠司は、地平線を見つめた。
魔王軍が、近づいてくる。
黒い鎧を纏った騎兵。長槍を持った歩兵。その背後には、巨大な旗が翻っている。
「あれが、魔王軍か……」
誠司は呟いた。
初めて見る敵の姿。恐怖を感じないと言えば嘘になる。しかし、今は恐怖に囚われている暇はない。
「物資の状況は?」
誠司は、後方に目を向けた。
「矢の備蓄は、一万二千本。一人あたり三十本を配布済みです」
「医療班は?」
「後方に三箇所設置。負傷者の搬送経路も確保しています」
「予備兵力は?」
「五百人を後方に待機させています」
「よし」
誠司は頷いた。
やれることは、やった。後は、戦いの結果を見守るだけだ。
いや——違う。
戦いの最中も、誠司にはやるべきことがある。状況を把握し、問題があれば対処する。それが、監督の仕事だ。
*
「敵騎兵、突撃してきます!」
報告と同時に、魔王軍の騎兵が突進を開始した。
地響きのような蹄の音。黒い波が、こちらに向かって押し寄せてくる。
「弓兵、射撃開始!」
セレスティアの命令が飛ぶ。
一斉に、矢が放たれた。空を覆うほどの矢の雨が、騎兵に降り注ぐ。
数十騎が落馬した。しかし、残りは止まらない。
「逆茂木に突っ込んでくるぞ!」
騎兵は、逆茂木に到達した。
しかし、馬は急に止まれない。先頭の騎兵が、尖った木の枝に突っ込んでいく。
悲鳴が上がった。馬が倒れ、騎手が投げ出される。後続の騎兵が、それに衝突して次々と倒れていく。
「効いている!」
誠司は呟いた。
逆茂木は、思った以上に効果を発揮していた。騎兵の突撃を完全に阻止し、混乱を引き起こしている。
「残存騎兵、退却していきます!」
「第一波撃退!」
塹壕から、歓声が上がった。
しかし、セレスティアの表情は厳しかった。
「まだ終わっていません。敵の歩兵が来ます」
見ると、魔王軍の歩兵が、ゆっくりと前進を開始していた。
*
歩兵同士の戦いは、騎兵の突撃とは違った。
緩やかに、しかし確実に、敵は近づいてくる。
弓兵は矢を射続けたが、敵も盾を掲げて防いでいる。死傷者は出るが、前進は止まらない。
やがて、敵歩兵は逆茂木に到達した。
「斧兵を前に出せ!」
敵の指揮官の声が聞こえた。
斧を持った兵士たちが、逆茂木を叩き始める。一本、また一本と、障害物が取り除かれていく。
「まずい」誠司は呟いた。「逆茂木が突破される」
「予想通りです」セレスティアが言った。「即席の障害物ですから、時間稼ぎにしかなりません」
「どうするんですか」
「塹壕で迎え撃ちます」
やがて、逆茂木が取り除かれ、敵歩兵が塹壕に殺到した。
「槍兵、前へ!」
塹壕の縁で、激しい白兵戦が始まった。
誠司は、指揮所から戦場を見守っていた。
今の自分にできることは、何か。
戦闘の指揮は、セレスティアがやっている。誠司が口を出すべきではない。
しかし、後方支援なら——
「伝令!」
誠司は叫んだ。
「はい!」
「矢の消費状況を確認してこい! 各弓兵部隊に、あと何本残っているか聞いてくれ!」
「分かりました!」
伝令が走っていった。
誠司は、記録用の板に「矢の消費状況」と書いた。
これが、自分の仕事だ。戦闘の中でも、物資の管理を続ける。
*
戦闘は、数時間続いた。
塹壕のおかげで、味方は有利に戦えていた。高低差があるため、敵は上から攻撃を受けながら塹壕を越えなければならない。その間に、味方の槍兵が敵を突き刺す。
しかし、敵の数は多い。
徐々に、塹壕の一部が突破され始めた。
「第三区間、敵に突破されました!」
「予備兵力を投入!」
セレスティアの指示で、後方に待機していた五百人が第三区間に向かった。
「矢の残りは?」
誠司は伝令に尋ねた。
「各部隊、平均で残り十本です」
「十本……」
かなり厳しい状況だ。戦闘がさらに続けば、矢が尽きる。
「補給はできるか」
「後方の集積所に、まだ三千本あります」
「よし。今すぐ前線に運べ。各部隊に、二十本ずつ追加で配布しろ」
「分かりました!」
伝令が走っていった。
誠司は、戦場を見渡した。
戦況は膠着している。敵は塹壕を突破できず、味方も反撃に転じる余力がない。
このまま持ちこたえれば——増援が来れば——勝てる。
「監督!」
声がして振り返ると、ハンスが走ってきた。
「どうした」
「負傷者が増えています! 医療班の容量を超えています!」
「何人だ」
「現時点で三百人以上。そのうち重傷者が五十人」
誠司は、歯を食いしばった。
三百人の負傷者。そのうち五十人が重傷。
「医療班を増強できるか」
「人手が足りません」
「作業員から志願者を募れ。治療は無理でも、搬送や簡単な手当てならできるはずだ」
「分かりました!」
ハンスが走っていった。
誠司は、再び戦場に目を向けた。
戦いは、まだ続いている。
*
日が傾き始めた頃、転機が訪れた。
「監督! 殿下!」
伝令が、息を切らせて走ってきた。
「増援です! 南から、増援部隊が近づいています!」
「増援?」誠司は驚いた。「予定より一日早いぞ」
「強行軍で来たそうです! 数は二千! 一時間後には到着します!」
セレスティアの顔に、初めて笑みが浮かんだ。
「間に合った……」
「全軍に伝達!」誠司は叫んだ。「増援が来る! あと一時間持ちこたえろ!」
その知らせは、瞬く間に戦場に広がった。
塹壕の中から、歓声が上がった。
「増援だ!」「勝てる!」「もう少しだ!」
士気が、一気に上がった。
疲れ果てていた兵士たちが、再び武器を握りしめる。
一時間後——
増援部隊が、戦場に到着した。
彼らは、敵の側面に回り込み、挟撃を仕掛けた。
魔王軍は、完全に包囲された。
「敵軍、退却開始!」
報告を聞いた瞬間、誠司は座り込んだ。
「勝った……」
「はい」セレスティアが言った。「勝ちました。あなたのおかげです」
「いや、俺は——」
「防衛線がなければ、我々は全滅していました。二日で塹壕を完成させた。それが、勝利の鍵でした」
誠司は、戦場を見渡した。
塹壕の周りには、敵味方の遺体が散乱していた。
勝利の代償は、決して小さくはなかった。
「……負傷者の救護を急いでくれ」
誠司は、立ち上がって言った。
「戦いは終わった。だが、俺たちの仕事は終わっていない」




