第十五章 初陣
防衛線の構築が始まって二週間が経った頃、予期せぬ事態が発生した。
「監督! 大変です!」
伝令が、血相を変えて駆け込んできた。
「どうした」
「魔王軍です! 偵察隊が、三十キロメートル北で魔王軍の先遣隊を発見しました! 数は約三千! こちらに向かっています!」
誠司の心臓が、冷たくなった。
「三千? あと何日でここに着く」
「このままの速度なら、二日後です」
「二日……」
防衛線は、まだ完成していない。塹壕の掘削は七割程度。馬防柵はまだ手をつけていない。投石機の台座など、影も形もない。
「間に合わない……」
誠司は呟いた。
しかし、呟いている暇はなかった。
「将軍たちを集めろ。緊急の軍議だ」
*
軍議は、殺気立っていた。
「撤退すべきだ」一人の将軍が主張した。「防衛線が完成していないのに、ここで戦っても勝ち目はない」
「撤退すれば、王国の心臓部まで敵が進軍してくる」別の将軍が反論した。「ここで食い止めなければ」
「食い止めるだと? 何を使って? 塹壕も馬防柵もない状態で、どうやって三千の敵を相手にする」
「しかし——」
「待ってください」
誠司が口を開いた。
将軍たちの視線が、誠司に集まった。
「二日あれば、最低限の防衛は可能です」
「最低限?」
「塹壕は七割完成しています。残りの三割を、二日で急いで掘ります。馬防柵は間に合いませんが、代わりに簡易的な障害物を設置します」
「簡易的な障害物?」
「逆茂木です。木の枝を尖らせて、地面に刺す。即席で作れる障害物です」
将軍たちは、顔を見合わせた。
「それで、三千の敵を止められるのか」
「止められます。完璧ではありませんが、敵の進軍を遅らせることはできる。遅らせている間に、我々の増援が到着すれば、戦況は変わります」
「増援……」
セレスティアが口を開いた。
「増援は、三日後に到着する予定です。その間持ちこたえられれば、勝機はあります」
「二日で敵が来て、増援が三日後……つまり、一日持ちこたえればいいのか」
「そうです」
誠司は頷いた。
「一日なら、何とかなります」
将軍たちは、しばらく黙って考えていた。
「……分かった」
最年長の将軍が言った。
「鷹野殿の案を採用する。二日で、最低限の防衛体制を整える。そして、一日持ちこたえる」
「ありがとうございます」
誠司は立ち上がった。
「では、すぐに作業を再開します。作業員には、俺から説明します」
*
誠司は、作業員全員を集めた。
「聞いてくれ。緊急事態だ」
誠司の声が、静まり返った作業員たちに響いた。
「二日後、魔王軍がここに来る。数は三千」
ざわめきが広がった。
「三千?」「そんな……」「まだ準備できていないのに……」
「黙れ」
誠司の声が、ざわめきを断ち切った。
「パニックになるな。まだ二日ある。二日あれば、やれることはある」
「でも、塹壕も完成していないのに——」
「完成させる。今から、全力で作業する。昼も夜も、交代で掘り続ける。二日で、塹壕を完成させる」
「そんな……無茶だ……」
「無茶じゃない」誠司は言い切った。「計算した。今の作業速度なら、二日間休みなく働けば、塹壕は完成する。ただし、全員が全力を出すことが条件だ」
誠司は、作業員たちを見渡した。
「正直に言う。これから二日間は、地獄だ。体力の限界まで働いてもらう。倒れる者も出るかもしれない」
誠司の声が、少し震えた。
「だが、ここで諦めたら、全員死ぬ。魔王軍に蹂躙される。お前たちだけじゃない。お前たちの家族も、友人も、故郷の街も、全部滅ぼされる」
「……」
「俺は、お前たちに死ねとは言わない。生き残るために、全力で働いてくれ、と言っている。この二日間を乗り越えれば、勝機はある。増援が来る。戦える態勢が整う」
誠司は、右手を握りしめた。
「頼む。俺と一緒に、この二日間を乗り越えてくれ」
長い沈黙が続いた。
そして——
「やるしかないだろう」
ドワーフのバルドが、前に出てきた。
いつの間にか、彼も防衛線の現場に参加していたのだ。
「このまま逃げても、どこで死ぬか分からない。だったら、ここで戦う方がましだ」
「バルド……」
「俺は石工だ。塹壕を掘るのは専門じゃない。だが、穴を掘ることくらいはできる。やってやろうじゃないか」
バルドの言葉に、他のドワーフたちも頷き始めた。
「俺たちもやる」
「ドワーフの意地を見せてやる」
その声に引きずられるように、人間の作業員たちも声を上げ始めた。
「やるぞ」
「家族のためだ」
「負けてたまるか」
獣人たちも、低く唸りながら同意を示した。
誠司は、その光景を見ながら、胸が熱くなるのを感じた。
「よし」誠司は言った。「作業開始だ。まず、各区間の責任者は俺のところに来い。作業の割り振りを決める」
*
二日間は、まさに地獄だった。
昼も夜も、作業は続いた。
松明の明かりの下、作業員たちは黙々と土を掘り続けた。交代で休憩を取り、食事を掻き込み、また掘る。
誠司も、ほとんど眠らなかった。
現場を巡回し、進捗を確認し、問題があれば対処する。疲れ果てた作業員を励まし、限界を超えようとする者には休憩を命じる。
「監督、少しは休んでください」
ハンスが声をかけてきた。彼も、王都の現場からこちらに移ってきていた。
「お前こそ、大丈夫か」
「俺は平気です。でも、監督が倒れたら、現場が止まります」
「……分かった。一時間だけ寝る」
誠司は、天幕の片隅で横になった。
しかし、頭は働き続けていた。
工程を頭の中で確認する。塹壕の進捗、逆茂木の設置状況、作業員の配置。何か見落としはないか。改善できる点はないか。
そうしているうちに、一時間が過ぎた。
誠司は起き上がり、また現場に戻った。
*
二日目の夕方。
「監督! 塹壕、完成しました!」
報告を聞いた時、誠司は思わず膝をついた。
「……間に合った」
「はい。全区間、繋がりました」
誠司は立ち上がり、塹壕を見に行った。
五キロメートルに及ぶ塹壕が、平原を横切っている。深さ二メートル、幅一・五メートル。完璧ではないが、機能は果たせる。
逆茂木も、塹壕の前方に設置されていた。木の枝を尖らせて地面に刺した、原始的な障害物。しかし、騎兵の突進を阻むには十分だ。
「よくやった」
誠司は、作業員たちに向かって言った。
「お前たち全員のおかげだ。ありがとう」
作業員たちは、疲労困憊の表情だったが、どこか誇らしげでもあった。
「さあ、今夜は休め」誠司は言った。「明日、敵が来る。それまでに、少しでも体力を回復しろ」
作業員たちは、それぞれの天幕に向かって歩いていった。
誠司は、一人残って、塹壕を見つめていた。
「これで、本当に戦えるのか」
呟きが、口から漏れた。
「戦えます」
声がして、振り返ると、セレスティアが立っていた。
「あなたが作った防衛線があれば、戦えます」
「……そうですか」
「信じてください。私たちは、あなたの仕事に命を預けます。その信頼に、応えてくれましたね」
セレスティアは、微笑んだ。
「明日、勝ちましょう。鷹野殿」
「……はい。勝ちましょう」
誠司は、夜空を見上げた。
二つの月が、冷たく光っていた。




