第十三章 防衛線
王都から北へ馬で三日。
誠司は、王国軍の野営地に到着した。
野営地と言っても、その規模は誠司の想像を超えていた。
見渡す限りの天幕。炊事場から立ち上る煙。馬たちの嘶き。武器を手入れする兵士たち。行き交う物資を運ぶ荷車。
数千人、いや、万単位の人間が、ここに集結している。
「これが、王国軍か」
誠司は呟いた。
「驚いているようですね」
隣で馬を降りたセレスティアが言った。
彼女は、王都からずっと誠司に同行していた。軍の参謀として、前線の視察を兼ねているのだ。
「これでも、まだ全軍の半分です。残りは、各地の防衛拠点に分散しています」
「半分で、これだけ……」
「そう。そして、これだけの軍勢を養うためには、膨大な物資が必要です」
セレスティアの声が、少し暗くなった。
「正直に言えば、我々は兵站の問題で苦しんでいます。食糧、武器、医薬品——すべてが足りていません。補給線は細く、しかも魔王軍の襲撃で度々寸断されています」
「だから、俺を呼んだ」
「はい。あなたの能力で、この問題を解決してほしいのです」
誠司は、野営地を見渡した。
混乱している。
一目で分かった。
天幕の配置は無秩序で、動線が悪い。荷車が行き交うための通路も確保されていない。物資の集積所は点在していて、どこに何があるか把握しにくい。
「まず、この野営地の配置を直す必要がありますね」
誠司は言った。
「配置?」
「ええ。今のままでは、物資の移動に無駄な時間がかかります。通路を確保し、集積所を集約し、作業の流れを整理する。それだけで、効率は格段に上がります」
「それだけで?」
「それだけで、です。大きな改革の前に、まず足元を固める。それが俺のやり方です」
*
翌日から、誠司は野営地の「再設計」を開始した。
まず、現状を把握するために、野営地全体を歩き回った。
天幕の数と配置。物資集積所の位置と規模。炊事場、医療天幕、馬繋ぎ場、武器庫——それぞれの施設がどこにあり、互いにどう繋がっているか。
すべてを、簡易な図面に書き起こした。
「これは……」
図面を見た副官の一人が、驚いた声を上げた。
「こうして見ると、いかに無秩序か分かるな」
「そうです」誠司は頷いた。「この配置では、例えば負傷者が出た時、担架を医療天幕まで運ぶのに、いくつもの障害物を避けなければならない。それだけで、救命の機会を逃す可能性がある」
「……なるほど」
「新しい配置を提案します」
誠司は、もう一枚の図面を広げた。
「まず、野営地を区画に分けます。第一区画は司令部と医療。第二区画は物資集積。第三区画は兵舎。第四区画は馬と車両。そして、各区画を繋ぐ主要通路を確保します」
「これなら、物資の流れが一目で分かる」
「さらに、各区画には責任者を置きます。その区画で何が起きているかを常に把握し、問題があれば報告する。そういう体制を作ります」
副官たちは、顔を見合わせた。
「言われてみれば、当たり前のことのような気もするが……なぜ今まで誰も思いつかなかったのだろう」
「当たり前のことを、確実に実行する。それが難しいんです」誠司は言った。「考えるだけなら誰でもできる。実行するのが難しい」
「では、実行するのか」
「はい。今日から始めます」
*
野営地の再編は、予想以上の反発を招いた。
「なぜ、俺たちが移動しなきゃならないんだ!」
ある部隊の指揮官が、声を荒げた。
「今の場所に慣れているんだ。移動なんて、手間がかかるだけだ」
「手間は最初だけです」誠司は冷静に答えた。「新しい配置に移れば、今後の作業効率が上がります。トータルで見れば、時間の節約になります」
「そんなの、信用できない。お前は軍人じゃないだろう。建築の監督か何かだと聞いた。軍のことに口を出すな」
誠司は、少し間を置いた。
「おっしゃる通り、私は軍人ではありません。しかし、プロジェクトを管理してきた経験はあります。建設現場でも、軍隊でも、多くの人が協力して一つの目標を達成する——という点では同じです」
「同じじゃない! 戦争は、建物を建てることとは違う!」
「確かに違います。しかし、共通点もあります。どちらも、限られた資源を効率的に配分し、多くの人を統率し、決められた期限内に結果を出さなければならない。その意味では、同じです」
指揮官は、言葉に詰まった。
「……」
「一つ提案があります」誠司は言った。「まず、一週間だけ、新しい配置を試してください。一週間で効果が出なければ、元に戻します。しかし、効果が出れば、そのまま続ける。どうですか」
「一週間……」
「リスクは最小限です。しかし、効果は大きいかもしれない。試す価値はあると思いませんか」
指揮官は、しばらく考え込んでいた。
「……分かった。一週間だけだ」
「ありがとうございます」
誠司は一礼した。
こうして、少しずつ、野営地の再編は進んでいった。
*
一週間後。
野営地の様子は、見違えるように変わっていた。
整然と並ぶ天幕。広々とした通路。一箇所に集約された物資集積所。効率的に動く人々。
「信じられん」
あの反発していた指揮官が、呆然と呟いた。
「物資の搬入時間が、半分になった。負傷者の搬送も、以前より格段に速くなった」
「効果が出て良かったです」
誠司は言った。
「配置を変えただけで、ここまで変わるとは……」
「配置は基本です。基本がしっかりしていれば、後はスムーズに進む。逆に、基本ができていなければ、どんなに頑張っても効率は上がらない」
指揮官は、誠司をまっすぐに見た。
「認めよう。お前は、ただの建築監督じゃない。我々軍人にも通じるものを持っている」
「光栄です」
「今後も、協力を頼む」
指揮官は、手を差し出した。
誠司は、その手を握った。
「こちらこそ」
*
野営地の改善は、最初の一歩に過ぎなかった。
誠司の本当の仕事は、その先にあった。
「防衛線を構築する」
軍議の場で、セレスティアが発言した。
「魔王軍の南下を食い止めるため、ここ——」
彼女は地図の一点を指さした。
「——リンドル平原に、防衛線を築きます。塹壕、馬防柵、投石機の台座。敵の進軍を阻む、本格的な防御施設です」
「工期は」将軍の一人が尋ねた。
「一ヶ月」
「一ヶ月? そんな短期間で、防衛線が作れるのか」
「作ります」セレスティアは言った。「そのために、鷹野殿をお招きしました」
視線が、誠司に集まった。
「一ヶ月で、防衛線を構築する計画を立ててください」
「……承知しました」
誠司は立ち上がり、地図の前に進んだ。
「まず、現地を調査させてください。地形、土質、資材の調達可能性。それを把握した上で、詳細な計画を立てます」
「どのくらいかかる」
「調査に三日。計画策定に三日。つまり、一週間後には工事を開始できます」
「一週間後か……」
将軍たちは、顔を見合わせた。
「可能なのか?」
「可能にします」
誠司ははっきりと言った。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「必要な人員と資材を、確実に手配してください。俺が計画を立てても、それを実行する人手がなければ、どうにもならない」
「……分かった。手配する」
「それから、現場の指揮権を俺に任せてください。軍の指揮官には、俺の計画に従って人を動かしてもらいます。現場での判断は、俺に一任してほしい」
将軍たちは、渋い顔をした。
「現場の指揮権を、軍人でもない者に任せる……」
「戦闘の指揮権ではありません」誠司は言った。「建設工事の指揮権です。塹壕を掘る順序、馬防柵を立てる位置、投石機の台座をどこに作るか——そういう判断です。戦闘に関しては、もちろん将軍方の判断に従います」
「……」
セレスティアが口を開いた。
「私からも、お願いいたします。鷹野殿の能力は、既に証明されています。彼に任せれば、一ヶ月で防衛線は完成します。それが王国を守ることに繋がるのであれば、些細な体面にこだわっている場合ではありません」
王女の言葉に、将軍たちは黙り込んだ。
やがて、最年長の将軍が口を開いた。
「……分かった。鷹野殿に任せる。ただし、週に一度は進捗を報告してもらう」
「もちろんです」誠司は頷いた。「毎週、詳細な報告書を提出します」
こうして、防衛線構築プロジェクトが始まった。




