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モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで  作者: ChaCha


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勇気が出なかった昼食

昼の鐘が鳴る少し前から、胸の奥が落ち着かなかった。

理由は分かっている。

分かっているからこそ、余計にやっかいだった。


週末。


その二文字が、朝から頭の中で何度も浮かんでは沈んでいる。


「昼、行くぞ」


いつものように、ヴィルが声をかけてきた。

声の調子も、距離も、表情も、何一つ変わらない。


「うん」


返事をして立ち上がる。

足はちゃんと動く。

けれど、心だけが一拍遅れて、身体についてきていない気がした。


食堂へ向かう回廊は人が多く、ざわめきに満ちている。

週末が近いからか、どこか浮ついた空気。

野外訓練の準備、買い出し、帰省の話題。


――週末。


その言葉を耳にするたび、喉の奥がきゅっと縮んだ。


(言わなきゃ)


そう思うのに、言葉は形にならないまま、胸の中で絡まっている。


席に着くと、ヴィルはいつも通りの動きで料理を取りに行った。

私の好みを把握しきった、迷いのない選択。


「今日は軽めでいいか?」


「うん……ありがとう」


フォークを持つ。

けれど、視線は皿に落ちたまま、なかなか上がらない。


(今、言えばいい)

(今しか、ない)


そう思った瞬間だった。


「遅れた」


低く落ち着いた声。

顔を上げる前から、分かってしまう。


エルンスト。


視線を上げると、彼はいつもと変わらない様子で席に加わった。

青い髪。背筋の伸びた姿勢。

けれど、その視線が一瞬だけ、確かにこちらを捉えた。


胸が、きゅっと鳴る。


(……来た)


それだけで、空気が少し変わった気がした。


「混んでた?」


「少しな」


短い会話。

それだけなのに、声を聞くだけで心拍が上がる。


ヴィルは、気づいていないふりをしている。

あるいは、本当に気づいていないのか。

それとも――気づいていて、あえて触れないのか。


三人での食事が始まる。

話題は授業のこと、野外訓練の装備のこと。


「今回、B班は軽量寄りで行くんだろ?」


「うん。前回の反省活かして」


「正解だな」


会話は、いつも通り流れている。

笑いもある。相槌もある。


――なのに。


(言えない)


エルンストと週末に出かける。

ただそれだけのことなのに。


ヴィルの前で、それを口にする勇気が、どうしても出てこなかった。


(なんで……こんなに、怖いんだろう)


ヴィルは変わらず、幼馴染として接してくれている。

優しくて、自然で、安心できる。


でも、その「自然さ」が、今は逃げ道を塞いでいるように感じた。


「アイナ、どうした?」


不意に名前を呼ばれ、肩が跳ねる。


エルンストだった。

眉をわずかに寄せ、こちらを見ている。


「食べていない」


「あ、うん……ちょっと考え事」


それ以上は聞かれなかった。

彼は何も言わず、そっと視線を外す。


――優しい。

そして、それが余計に苦しかった。


ヴィルが、気づいていないはずがない。

私の反応の遅れも、視線の揺れも。


「……週末さ」


唐突に、ヴィルが口を開いた。


心臓が、どくんと強く跳ねる。


「準備、班で集まるんだろ?」


「う、うん」


声が、少しだけ上ずった。


「無理すんなよ。倒れたばっかなんだから」


その言葉は、純粋な心配だった。

だからこそ、胸の奥が痛む。


(今だ)

(今、言わなきゃ)


でも――


「……気をつける」


それだけしか、言えなかった。


エルンストの手が、わずかに止まる。

ほんの一瞬。


けれど、その沈黙は、確かに存在した。


(……ごめん)


心の中で呟く。

誰に向けた謝罪なのか、自分でも分からない。


食事が終わる。

片付ける。立ち上がる。


いつも通りの流れ。

いつも通りのはずなのに、胸の奥には重たいものが残ったままだ。


(言えなかった)


週末は、もうすぐそこだ。


このまま何も言わずに迎えるのか。

それとも――どこかで、覚悟を決めるのか。


視線の先で、エルンストが一度だけ振り返った。

何も言わない。

けれど、確かに「待っている」目だった。


ヴィルは、私の隣を歩いている。

いつもより、ほんの少し近い距離で。


――言えないまま、時間だけが進んでいく。


それが、こんなにも苦しいなんて。



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