図書室で魔術科対策
図書室は、戦場とは別世界だった。
厚い扉を閉めた瞬間、耳鳴りも爆音も、霧の向こうに置いてきたかのように消える。
漂うのは、紙と革表紙とインクの匂い。
静寂が、重く、しかし優しく降り積もっていた。
「……生き返る……」
思わず本音が零れる。
「わかる」
「ここ、天国じゃない?」
「さっきまで地獄だったのに」
治癒魔術科B班は、自然と長机を囲んで腰を下ろした。
誰も「静かにしろ」と言わない。
ここでは、声を落とすことが当たり前なのだ。
アイナは深呼吸をひとつして、机に手をつく。
「さて……魔術科対策会議、始めます」
「はい拍手」
「パチパチ」
「議題:生存」
その軽口の裏で、全員の目は真剣だった。
午前の訓練――
あれは、事故ではない。
実戦を想定した“意図的な地獄”だった。
「まず前提確認」
アイナはノートを開き、ペンを走らせる。
「魔術科の火力は、単体でも広範囲でも“致死”」
「しかも制圧後、鎮火名目で氷と水を重ねる」
「結果、視界ゼロ・音過多・地形変化」
「はい、詰み」
「治癒する前に死ねるやつ」
「先生たち、慣れすぎ」
それでも、ただの愚痴で終わらせないのがB班だ。
「でもさ」
別の生徒が顎に手を当てる。
「完全に無策ってわけじゃなかったよね」
「重り2倍」
「衝撃波に耐えられた」
「踏ん張れた」
「つまり」
アイナは顔を上げた。
「物理的耐性と、立ち位置の問題」
視線が集まる。
「魔術科は“撃てば終わる”前提で動く」
「だから、治癒魔術師は後方・固定位置になりがち」
「でも、それが一番危ない」
「視界遮断で孤立」
「吹き飛び要員」
「守られる前提の弱点」
誰かが小さく唸った。
「じゃあ、どうする?」
アイナは一瞬考え、言葉を選ぶ。
「……“逃げる治癒”を前提にする」
「逃げる?」
「それって臆病じゃなくて?」
「違う」
きっぱり言った。
「生き残るための機動」
「治癒魔術師は“その場に留まる存在”じゃない」
ペン先が紙を叩く。
「視界が遮られたら、陣を捨てる」
「個別治癒に切り替える」
「騎士科と魔術科の“間”を取る」
「間……?」
「挟まれない位置か」
「そう」
アイナは頷いた。
「火力の中心にも、逃げ場の端にもならない場所」
静かに、納得が広がる。
「あと」
少し声を落とす。
「魔術科の詠唱タイミング、癖がある」
「え、わかるの?」
「観察してたの?」
「……推しを見るついでに」
「そこ!?」
「動機が不純!」
笑いが起きるが、アイナは真面目だった。
「詠唱前、必ず一拍ある」
「大規模展開ほど、視線が上に行く」
「その瞬間が、回避と移動の合図」
「なるほど……」
「音より、視線か」
ページをめくる音が続く。
古い戦記。
魔術戦闘の失敗例。
治癒魔術師が生き残った事例。
図書室は、静かな戦場になっていた。
「……ねぇ」
誰かがぽつりと呟く。
「アイナ、なんでそこまで考えられるの?」
一瞬、空気が止まる。
アイナは、少しだけ目を伏せた。
「……生きたいから」
「それと」
顔を上げる。
「大切な人がいるから」
それ以上は言わない。
でも、誰も聞き返さなかった。
守る理由がある者の声だと、わかったから。
「よし」
誰かが本を閉じた。
「まとめよう」
「魔術科火力前提の配置変更」
「視界ゼロ時の個別行動ルール」
「治癒魔術師の“逃げる勇気”」
「次の訓練、試そう」
「先生に怒られそうだけど」
「生き残ったら勝ちだよね」
アイナはノートを閉じ、息を吐いた。
図書室の窓から差し込む午後の光が、紙の上を照らす。
(……エルンスト)
今頃、彼はどこで何をしているだろう。
戦場で、騎士として、前に立っているのだろう。
その背中に、追いつくために。
「……帰ろうか」
知略は、揃った。
次に燃えるのは、森じゃない。
生き残るための、私たちの意思だ。
図書室を出る足取りは、来た時よりもずっと軽かった。




