君とふたりで
あれから、夜の学園は俺たちの静かな居場所になった。
授業が終わり、喧騒が引いた回廊を抜け、あのベンチへ向かう。魔法灯の淡い光が石畳を照らし、風に揺れる葉の音だけが残る時間。そこで、必ず彼女は待っている。
アイナ。
名前を呼ばずとも、気配でわかる。
近づくほどに、胸の奥が落ち着くのを感じる。戦場で鍛えた感覚とは別の、もっと柔らかな確信だ。
「今日は、どうだった?」
そう問えば、彼女は少し考えてから笑う。
座学で眠気に勝ったこと、治癒の詠唱が一段、澄んだこと。寮の階段で転びかけたことまで、何でも話してくれる。俺はそれを、ひとつ残らず受け取る。相槌を打ち、時に笑い、時に頷く。それだけでいい。
俺の話もする。
兄の癖、家族の食卓、訓練で覚えた小さな工夫。騎士としての話は控えめに、ただ“人としての俺”を置いていく。彼女の目が、真っ直ぐに聞いてくれるからだ。
時間はいつも、足りない。
別れの合図が近づくと、胸の奥で熱がゆっくりと高まる。だが、踏み込まない。
触れるのは、境界線の手前まで。
そっと、指を伸ばす。
頬に触れ、温度を確かめる。唇の輪郭に、ほんの一瞬だけ触れる。深くはしない。名残を置くように、息を整える。
彼女が息を呑む音が、確かに聞こえる。
それだけで、俺は満たされる。
「おやすみ、また明日」
その言葉を、いつも同じ距離で告げる。
彼女は少し照れて、でも必ず応えてくれる。
「良い夢を」
背を向けるまでが、我慢だ。
歩き出してから、俺は指先を見る。彼女に触れた場所。そこに、熱が残っている。
……彼女は知らない。
この指を、俺が唇に当てていることを。
触れた温度を確かめるように、
目を閉じて、想像の中でだけ口付けを交わしていることを。
欲しい。
はっきりと、欲しい。
だが、奪わない。
選ばせる。選ばれる。
彼女の歩幅に合わせるため、俺は境界線を引いた。
触れないための線ではない。
越えないための線だ。
越えた瞬間、戻れなくなることを、俺は知っている。
だから、今日もここまで。
夜風が少し冷たい。
それでも胸は、静かに熱い。
――また明日。
その約束だけで、今夜は十分だ。
エルンスト視点




