ガチの現場にはビンタが必須
午後の鐘が鳴り終わると同時に、治癒魔術科の学生たちは中庭奥の訓練場へと誘導された。
回廊を抜けた先に広がるのは、石畳と土が混じった広い演習場。
周囲には結界柱が等間隔に立ち、空気そのものが張りつめている。
(あ、これ……ガチの現場だ)
アイナは無意識に背筋を伸ばした。
隣では同じ科の女生徒が小声で緊張を漏らし、少し前方では騎士科の学生たちが既に準備運動を始めている。
剣を構える姿勢ひとつとっても、身体の重心が違う。
筋肉の付き方、肩の張り、脚の踏ん張り
――どれもが「戦うための身体」だった。
治癒魔術科の前に立ったのは、短くまとめた髪と鋭い眼差しを持つ女性教官だった。
白衣の上からでも分かるほど、引き締まった体躯。
「初めての合同訓練ですからね。今から注意事項を挙げますよー!」
朗らかな声とは裏腹に、その場の空気が一段階引き締まる。
「まずひとつ。剣撃の範囲に絶対に入らないこと」
「ふたつ。吹っ飛んできたら、全力で避ける」
「みっつ。傷の程度によって、自己判断しない」
「よっつ。無理をしない」
一つ一つ、指を立てながら確認する。
「そして最後に、最重要事項です」
教官の視線が、治癒魔術科
――特に女子学生たちへと向けられた。
「特に女子は、しっかり聞いてください」
アイナは思わず姿勢を正す。
「治癒魔術を騎士にかけた際。相手が瞳を合わせてきて、ぼーっと惚けてきたら」
一拍。
「――思いっきりビンタを喰らわせること!
厳守です!
気合いのビンタ!
忘れないように!!」
(……なぜ、ビンタ?????)
思考が一瞬フリーズした。
だが、教官の表情は真剣そのものだ。
「以上! では始めます!」
合図と同時に、騎士科と治癒魔術科がそれぞれ配置につく。
騎士科は前線、治癒魔術科は後方支援。
実戦を想定した陣形だ。
開始から数分も経たないうちに、状況は一変した。
ドンッ!
鈍い衝撃音と共に、騎士科の男子が地面を転がる。
「ぐあっ……」
「A班、回収せよ!」
教官の号令が飛ぶ。
「治癒、展開!」
治癒魔術科の数名が一斉に前へ出る。
詠唱、魔力循環、陣の構築。
座学で習ったはずの流れが、現場では一気に忙しくなる。
バーーーンッ!
今度は別方向で衝撃と破壊音。
ゴギャッ!
「意識喪失! そこ!! 前に出るんじゃない!」
「先生っ! 回復陣がうまく組めません!」
「B班、構え! 展開!!」
「はいッ!!」
アイナも即座に反応した。
魔力を練り、詠唱を短縮し、陣を展開する。
「気合い足りてないぞ!!」
「はいッ!!」
周囲からも次々に声が重なる。
「はいッ!!!」
(なるほど……根性論じゃない)
アイナは理解し始めていた。
魔力は繊細だが、現場では迷いが命取りになる。
最後に陣を押し出すのは、
確かに「気合い」だ。
回復が進む中、また一人、吹き飛ばされた騎士がこちらへ転がってくる。
「きゃっ!」
隣の女生徒が反射的に大きく跳び、間一髪で回避した。
「危ない……」
すぐさま別の女生徒が駆け寄り、治癒魔術を施す。
汗をかきながら必死に魔力を流すその姿は、
確かに美しかった。
――そして。
回復が完了した瞬間。
騎士科の男子が、ぼーっとした瞳でその女生徒を見つめた。
「……女神だ……」
女生徒は気づかない。
必死で次の負傷者を探している。
「俺と……結婚して……」
次の瞬間。
「そこ!! ビンタァ!!」
教官の怒号。
「は、はい!!」
女生徒が条件反射のように、思い切り腕を振り抜いた。
バシーーーーン!!
乾いた音が演習場に響く。
「はっ! 俺は何を……」
正気に戻った男子が、目を瞬かせる。
――その瞬間。
(あ、これ……いる)
アイナは完全に理解した。
治癒魔術は、身体だけでなく心にも影響する。
魔力に包まれ、命を引き戻される感覚は、錯覚を生む。
(めちゃくちゃビンタは必須だ)
むしろ、これは命を守る行為だ。
訓練はその後も続いた。
泥と汗と魔力が混じる中で、
治癒魔術科と騎士科は確実に連携を深めていく。
アイナは息を整えながら思った。
(医療現場は過酷だ。だけど……)
目の前で誰かが助かる瞬間。
それを支える役割に、自分が立てている。
(私は、ここに来てよかった)
遠くで剣がぶつかる音が鳴る。
中庭を渡る風が、汗を冷やした。
――この学園での日々は、想像以上に激しく、
そして確かに、生きている実感に満ちていた。




