エルンストの決意
雨上がりの空気は、ひどく澄んでいた。
魔の森を洗い流した水が、土と血と焦げた魔力の匂いをすべて地へ沈め、代わりに冷たい静けさだけを残している。
訓練は終わった。
――だが、俺の中では、何かが始まってしまった。
隣を歩くアイナの気配が、はっきりと分かる。
足音。呼吸。湿った髪が風に揺れる音。
生きている。その事実が、胸の奥を強く打つ。
失いかけた。
あの日、彼女が視界から消えた瞬間の、あの喪失感。
心臓を鷲掴みにされ、世界が裏返ったような感覚。
――俺は、冷静ではなかった。
守るべき対象が消えた恐怖。
それを奪おうとする“意志”の存在。
ヴィル・シュピネル。幼馴染という名の、最も厄介な立場。
理解してしまった。
彼は、危険だ。
理性と感情の境目で、踏みとどまっているだけの男だ。
そして俺も――同じ場所に立っている。
違うのは、覚悟の向きだ。
アイナは、強い。
だが、無防備だ。
人を信じることを疑わず、治癒にすべてを捧げる。
その在り方が、どれほど多くの欲を引き寄せるかを、彼女はまだ知らない。
俺は知っている。
戦場で、何度も見てきた。
だから、決めた。
もう、距離は曖昧にしない。
“守る騎士”という立場に甘えない。
“好意”という言葉で誤魔化さない。
欲しい。
はっきりと、そう思っている。
彼女の声を。
彼女の手を。
彼女の帰る場所を。
――彼女の選択肢に、俺がいる状態を。
横目で見ると、アイナは小さく息を吸い、雨上がりの空を見上げていた。
その横顔が、胸を締め付けるほどに愛おしい。
奪わない。
縛らない。
だが、渡さない。
それが、俺の選んだやり方だ。
アイナが立ち止まれば、俺も止まる。
走れば、必ず隣にいる。
振り返れば、必ず視線が合う場所に。
逃げ道は作らない。
だが、強制もしない。
――選ばせる。
俺を。
この想いを、曖昧なまま終わらせるつもりはない。
訓練は終わった。
だが、これは訓練ではない。
恋だ。
戦いだ。
そして、生涯を賭ける決意だ。
エルンスト・トゥルペは、もう理解している。
――自分は、とっくに彼女に落ちている。




