眠れない夜
夜は静かだった。
静かすぎるほどに。
討伐を終え、幕舎に戻っても、身体は休めと言うのに、心だけが落ち着かなかった。焚き火の残り香と、湿った土の匂い。遠くで警戒の足音が規則正しく続いている。そのすべてが“通常”であるはずなのに、世界の芯が欠けたような感覚だけが、消えない。
――アイナが、いない。
視界から消えた瞬間。
胸の奥が、音を立てて崩れた。
守る対象が消えた。
それは恐怖だった。喪失だった。
剣を握る理由が、一瞬で宙に浮いた。
探しに行きたい衝動を、歯を食いしばって押し殺した。指揮がある。隊がある。守るべき者は、彼女だけではない。そう自分に言い聞かせながら、魔物を屠り、治癒魔術師の盾となり、前線を維持した。
理不尽だ、と思った。
彼女がいないのに、世界は進む。
彼女を探せないまま、戦えと言う。
――その間、ヴィルの姿が脳裏をよぎった。
断片的な違和感。
わずかな判断の遅れ。
視線が交わった、あの一瞬。
確信に近いものが、胸に刺さる。
ヴィルは――何かをした。
いや、何かを“しようとした”。
だからこそ、あの合図が来た。
戦場の雑音の中、はっきりと届いた手信号。
短く、確かで、迷いのない動き。
「今から」
「あなたの元へ」
「かえります」
……理解に、時間はいらなかった。
胸の奥に溜まっていた闇が、すっと引いた。
同時に、ぞくりとするほどの安堵が走る。
――帰ってくる。
俺のところへ。
返した合図は、抑えきれない本音だった。
「了解」
「こちらへ」
「来い」
その瞬間、はっきりと悟った。
俺はもう、彼女以外を要らない。
守る、では足りない。
支える、でも足りない。
選ぶ、でも足りない。
――欲しい。
喪失を味わった今日だからこそ、はっきりわかる。
彼女が世界から消える恐怖に、俺は耐えられない。
幕舎の天井を見上げる。
眠気は来ない。
代わりに、胸の奥で熱が渦を巻く。
どうすれば、彼女は俺だけを見る?
どうすれば、二度と離れない?
答えは、まだ出ない。
だが、決意だけは固まっていた。
明日は、傍から離れない。
一瞬たりとも、視界から外さない。
――ヴィルから、彼女を守るためにも。
今夜はただ、想像する。
俺の腕の中に、彼女が戻ってくる光景を。
強く、強く、抱き締めて。
二度と、手放さない。
それだけを胸に刻み、眠れぬ夜をやり過ごした。
エルンスト視点




