帰還と境界線
帰還後の空気は、
私の人生の中でも、最悪に近い重さを持っていた。
魔の森を抜け、陣地へ戻る隊列は整っているはずなのに、
誰もがどこか歪んでいた。
血と土と焦げた魔力の匂い。
濡れた装備が擦れる音。
疲労で浅くなった呼吸。
――生きて帰ってきた。
それだけが事実で、
それ以外は、何ひとつ同じではなかった。
私は治癒魔術師として、淡々と動いた。
傷を確認し、魔力を流し、繋ぎ止める。
手は震えていない。
声も乱れていない。
けれど、心だけが、置き去りになっている。
視線が、勝手に探してしまう。
青い髪。
薄い青の瞳。
――エルンスト。
彼はいた。
確かに、そこに。
鎧は傷だらけで、泥と血にまみれている。
けれど、立っている。
生きている。
目が合った。
ほんの一瞬。
それだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
(……よかった)
その感情が湧いたことに、
自分で驚くほど、強かった。
平静を装う。
私は治癒魔術師だ。
ここで感情を表に出すわけにはいかない。
でも。
その視線の端に、
ヴィルの姿が入った瞬間。
空気が、変わった。
彼は無事だった。
怪我も少ない。
いつもと同じように、剣を持ち、立っている。
――なのに。
目が、違う。
私を見ている。
いや、「見ている」というより、
確認している。
逃げていないか。
壊れていないか。
まだ、手の届く場所にいるか。
その視線に、背筋が冷えた。
(……大丈夫)
自分に言い聞かせる。
今は、何も起きていない。
起きなかった。
それだけで、いい。
けれど、心は知っている。
あの瞬間。
混戦の中で、分断された時。
呼ばれた名前。
――あれは、偶然じゃない。
私は理解しないふりをして、
気づかないふりをして、
治癒魔術を展開し続けた。
それが、正解だったのかどうかは、わからない。
ただ、ひとつだけ確かなのは。
エルンストの方を見た時、
私は「帰ってきた」と思った。
彼の視線が、私を捉えた時、
私は「ここにいる」と思えた。
そして。
ヴィルの視線を感じた時、
私は、はっきりと恐怖を覚えた。
幼馴染。
守ってくれていた人。
一番近い存在。
そのはずなのに。
今は、違う。
それぞれの思いが、
それぞれの温度で、
はっきりと、垣間見えてしまった。
帰還は、終わりじゃない。
これは――
境界線が、引かれた瞬間だった。




