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モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで  作者: ChaCha


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54/208

幼馴染と私だけ

崩れた。


そう感じたのは、音よりも先だった。


地面を踏み抜くような衝撃。

魔の森の奥で、何かが“意図的に”ずれた気配が走る。

叫び声と怒号が重なり、視界が一瞬、煙と粉塵で遮られた。


「陣形を保て!」

「後衛、下がれ!」


飛び交う指示。

けれど、その一つだけが、わずかに遅れた。


――違う。


遅れたんじゃない。

外された。


「アイナ!」


ヴィルの声が、やけに近い。

次の瞬間、私の腕を強く引く力が加わった。


「こっちだ!」


抵抗する暇もない。

足元の根が絡み、私は半歩よろける。

その一瞬で、視界の端から本隊が消えた。


「……え?」


魔物の咆哮。

金属の衝突音。

それらが、急に遠くなる。


代わりに、耳に残るのは――

荒い呼吸と、私の名前。


「アイナ。大丈夫だ」


振り向くと、ヴィルがいた。

血と土に汚れた姿。

剣は抜かれたまま、でも、魔物の気配はない。


不自然なほどに。


「ヴィル……? みんなは……」


「今は気にするな」


低い声。

いつもの軽さがない。

私の手首を掴む指に、力がこもる。


「俺がいる。俺が守る」


その言葉に、胸がざわついた。


守る?

今まで、何度も聞いてきた言葉なのに。

今日のそれは、違う。


周囲を見渡す。

倒木。

岩壁。

視界を遮る茂み。


――逃げ場が、ない。


「……合流しないと」


私がそう言うと、ヴィルは一瞬、黙った。

ほんの一瞬。

でも、その沈黙が、怖かった。


「今は無理だ」


きっぱりとした断定。

判断の速さ。

騎士としてのそれに、間違いはないはずなのに。


「ここは安全だ。魔物の気配もない」


そう言って、距離を詰めてくる。

近い。

近すぎる。


「ヴィル……?」


名前を呼ぶと、彼の視線が揺れた。

焦点が、私だけに合っている。


「怖かっただろ」


そっと、肩に手が触れる。

いつもなら、安心するはずの温度。


なのに――

胸の奥で、警鐘が鳴った。


「俺が間に合ってよかった」


その言葉に、違和感が走る。


間に合って?

何に?


ふと、脳裏をよぎる。


青い髪。

静かな視線。

治癒を頼む声。


――エルンスト。


その名が浮かんだ瞬間、ヴィルの指が、きゅっと強くなった。


「……離れるな」


命令に近い声音。


「ここでは、俺しかいない」


刷り込むように。

逃げ道を塞ぐように。


近づく顔。

息が、かかる距離。


心臓が早鐘を打つ。

怖い。

でも、それ以上に――混乱している。


「ヴィル、待っ……」


言いかけた瞬間。


脳裏に、二つの光景がフラッシュバックした。


焚き火の夜。

「必ず君を守る」と言った、あの声。


そして――

今、目の前にいる幼馴染の、熱を帯びた瞳。


(……だめ)


何かが壊れる予感がした。

一線を越えたら、もう戻れない。


ヴィルの腕が、抱き寄せる寸前で止まる。


彼の喉が、ごくりと鳴った。


――今なら。

誰にも見られず、奪える。


そんな思考が、彼の中を走ったことを、

私はまだ、知らない。


ただ。


彼の胸が、大きく上下し、

押し殺したように息を吐くのを、間近で見ていた。


「……行こう」


絞り出すような声。


「合流する」


手は、離れない。

でも、それ以上も、来ない。


極限で踏みとどまった理性と、

抑えきれない感情が、空気を張りつめさせていた。


私は、何も言えなかった。




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