ひとつ屋根の下
部屋の前で、見つめ合ったままの沈黙が、ほんの数秒続いた。
その静けさを破ったのは、エルンストの小さな笑みだった。
「……俺の部屋へ入りたい?」
くすっと零れた声は低く、
柔らかく、けれど距離が近すぎて――
その一言が、別の意味を帯びて胸に落ちてくる。
アイナの思考が、一瞬で真っ白になった。
「っ……!」
それは、冗談として受け取るには、あまりにも大人びた声音だった。
男女の距離を、はっきりと意識させる響き。
慌てて一歩引き、両手をばっと前に出す。
「お、おあずけで!」
口から飛び出した言葉に、自分で一番驚いた。
エルンストは一瞬きょとんと目を瞬かせ――
次の瞬間、耳まで赤く染めて、軽く咳払いをした。
「……すまない」
その反応に、今度はアイナの方が耐えきれなくなる。
「で、では……のちほど!」
熱くなった頬に両手を当て、そのまま踵を返す。
逃げるように廊下を走り出した。
(だめだだめだだめだ……!)
胸がうるさくて、呼吸が追いつかない。
距離が、近すぎる。
近すぎて、何が起きているのか、自分でも整理できない。
――ひとつ屋根の下。
その事実だけで、心臓が跳ねる。
◇
自室に戻ると、なぜか城内がそわそわしていた。
廊下の先で、メイドたちがひそひそと声を潜めながら、浮き足立っている。
「見ました? あの騎士さま」
「目の保養すぎます……」
「お嬢様のところに滞在なさるんですって」
その視線が、一斉にアイナへ向いた。
「お嬢様! 本日は晩餐ですし、魔法をかけて差し上げますわ!」
「最高の状態でお出にならないと!」
「え、ちょ、ちょっと……!」
抵抗する間もなく、椅子に座らされ、
髪を整えられ、化粧を施される。
鏡の中の自分が、どんどん“よそゆき”になっていく。
(……ヒロインには敵わないけど)
けれど、鍛えた身体は正直だった。
引き締まった腰、滑らかな背中のライン。
芸術的に言えば――かなり、かなり色気がある。
(いや、だからって……)
差し出されたドレスを見て、即座に首を振る。
「このスリットと胸強調は却下です!
普通のやつにしてください!」
名残惜しそうなメイドたちが、しぶしぶ控えめなドレスを用意する。
その様子を見ながら、
ふと、胸の奥に小さな違和感が芽生えた。
(……なんか、期待されてない?)
城内の空気が、微妙に“その方向”へ傾いている気がする。
その頃、別室で。
「くしゅん」
ネルケ伯爵がくしゃみをした。
(優秀な婿が欲しい)
その期待は――
大正解であり、そして確実に、事態を加速させていた。




