エルンストの来訪
ネルケ辺境伯領の城門前に、ひときわ端正な騎士が立っていた。
長旅の埃を払った外套の下、揺るぎない姿勢。
その佇まいだけで、彼がどんな覚悟でこの地を訪れたのかが伝わってくる。
「ようこそ、ネルケ辺境伯領へ」
父の落ち着いた声に、騎士は一歩前へ出て、丁寧に頭を下げた。
「短い期間ではありますが、よろしくお願いいたします」
その声音は低く穏やかで、聞き慣れているはずなのに、胸の奥がきゅっと鳴る。
――本当に、来たんだ。
「娘のアイナとは……学園で会ったことがあったかな?」
父の問いに、彼は一瞬だけこちらへ視線を向け、柔らかく口角を上げた。
「はい。命の恩人です」
その言葉に、心臓が跳ねた。
慌てて淑女としての礼を取ると、指先がわずかに震えるのが自分でもわかる。
「私室は城内に用意してある。我が家と思って、まずは寛いでくれ」
「ありがとうございます」
「アイナ、城内を案内して差し上げなさい」
「……はい」
応接室を出ると、静かな回廊に二人きりになる。
石床に響く足音が、やけに大きく聞こえた。
歩きながら、視線を逸らそうとして――
ふと、横を見る。
バチッ。
視線が、絡んだ。
一瞬、世界が止まったように感じた。
彼の薄い青の瞳が、まっすぐにこちらを映している。
彼が、ほんの少し笑った。
それにつられるように、私の頬も緩む。
「……本当に、来てくれた」
口に出した瞬間、はっとする。
「っ、いまのは、その……案内しますね!」
慌てて口元を押さえると、彼が小さく笑った。
「ははは」
軽やかな笑い声。
それでも視線は外れず、熱を帯びた揺らぎが、確かにそこにあった。
「……会いたかった」
息が止まる。
「……私も、です」
絞り出すように返すと、彼は小さく息を吐いた。
「案内を、頼めるか?」
「もちろんです」
騎士宿舎。
訓練場。
食堂。
城内の動線。
歩きながら説明する声は、どこか上の空だった。
そして、彼に与えられた部屋の前に立つ。
「私室を用意してくれたんだな」
「騎士宿舎もあるんですけど……父の判断だと思います」
彼は一瞬だけ考えるような表情をして、納得したように頷いた。
(正式な申し込みがあったから、か……)
扉が開く。
私は中へは入らない。
それが、淑女として守るべき一線。
「では、晩餐で」
「はい。また後で……」
そう言い合ったのに、足が動かない。
視線だけが、静かに絡み続けていた。
夏の風が、二人の間をすり抜けていく。




