辺境訓練への参加希望
ベンチに並んで腰を下ろすと、夜の空気がゆっくりと肺に満ちていくのを感じた。
学園の中庭は、昼間の喧騒が嘘のように静かで、石畳に落ちる灯りが淡く輪郭を描いている。
さっきまでヴィルと笑い合っていた余韻が、まだ胸の奥に残っているのに――この空気は、それとはまるで違った。
二人きりで、ちゃんと話すのは初めてだ。
思い返せば、野外訓練の夜、焚き火の前で言葉を交わしたことはあったけれど、周囲には仲間がいた。
今は違う。
視線を上げれば、すぐ隣に彼がいる。
「呼び止めてすまない」
低く、穏やかな声。
それだけで背筋が自然と伸びる。
「い、いえ! こちらこそ……?」
疑問形になってしまった自分の声に、内心で頭を抱えた。
どうしてこう、肝心な時に落ち着けないんだろう。
ふっと、空気が和らぐ。
エルンストは視線を夜空に向けたまま、少し考えるように間を置いた。
「君の領地では、辺境訓練へ参加する者を募っていたな」
「あ……はい。各地の騎士の方々が、実戦経験を積むために参加されてます」
教科書で見た文字列をなぞるように答えながら、胸の奥がざわつく。
どうして、今その話を?
一拍。
彼が身体の向きを変えた。
視線が絡む。
近い。思っていたより、ずっと。
「君のそばへ……いや」
一瞬、言葉が切れる。
その小さな間に、心臓が大きく跳ねた。
「辺境訓練に、参加することにした」
思考が止まった。
本当に、文字通り。
風が吹き、私の髪がふわりと揺れる。
その流れを追うように、彼の指が伸びた。
指先が、そっと髪に触れる。
絡まった一房を…
丁寧にすくい上げて――耳にかける。
「~~~~っ」
声にならない音が喉の奥で詰まった。
触れられたのは髪だけなのに、熱が一気に頬まで上がる。
エルンストは、私の反応を確かめるように、じっと瞳を覗き込んだ。
逃げ場がない。
いや、逃げる気力が、もう残っていない。
耐えきれず、両手で顔を覆う。
「……話は、それだけだ。ありがとう」
いつもの落ち着いた声音。
さっきの距離感が嘘みたいに、すっと引いていく。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
背中が遠ざかるのを見送ってから、ようやく息を吐いた。
胸の奥が、まだどきどきとうるさい。
辺境訓練。
実戦。
危険な場所。
――どうして、そこまで?
問いは浮かぶのに、答えは聞けなかった。
聞けるはずもなかった。
寮へ戻る道すがら、夜風がやけに冷たく感じる。
けれど、胸の内側は、ずっと熱を帯びたままだ。
今夜は、きっと眠れない。
そう確信しながら、私はそっと空を仰いだ。




