日常が近過ぎる
朝日が、やけに眩しかった。
治療室の窓から差し込む光は、野外訓練前と何も変わらないはずなのに、妙に現実感が強い。白いカーテンが揺れ、消毒薬とハーブの匂いが混じる空気を吸い込みながら、私はゆっくりと上体を起こした。
「……普通さ」
思わず口から零れた声は、少しかすれていた。
「入院って言ったら、二週間くらいは安静にして、点滴して、寝たきりで……そういうものじゃない?」
ベッド脇の椅子に腰掛けていたヴィルが、呆れたようにこちらを見る。
「現実を見ろ」
短く切り捨てるその声音は、いつも通りだ。
そう。
ここは、治癒魔術が存在する世界。
致命傷でも、回復できる。
骨が折れても、立てる。
魔力と気合いがあれば、人は何度でも“戻ってこられる”。
つまり――ゾンビ量産可能な世界である。
「……ポーション、今だけ禁止薬物扱いにしようよ」
本気半分で呟いたら、ヴィルが吹き出した。
「どんだけ寝たかったんだよ」
「だって……心が疲れ果ててるのに、身体だけ元気って、拷問だよ?」
自分の腕を見下ろす。
重りで悲鳴を上げていたはずの筋肉は、もう何事もなかったかのように動く。関節も、痛みはほとんどない。
なのに、胸の奥だけが、まだ重い。
野外訓練から、もう数日が経った。
学園は、いつも通りに動き出している。
朝の鐘。
講義。
合同訓練。
食堂の喧騒。
まるで、あの極限の五日間など、なかったかのように。
けれど、確実に何かが変わっていた。
合同訓練では、なぜか以前よりも、私の方角へ吹っ飛んでくる騎士が増えた。
偶然にしては多すぎる。
「……いや、狙ってるよね?」
心の中で突っ込みながらも、私は淡々と回復陣を展開する。
治癒魔術をかける速度。
判断の早さ。
魔力の流し方。
野外訓練を経て、それらが確実に底上げされているのを、自分でも感じていた。
結果として、私は一年の治癒魔術科の中で、上位に名前が挙がるようになった。
先日の先生の言葉が、ふと頭の中で再生される。
「アイナ君は……治癒を理解しましたね」
理解。
生命を繋ぎ止めるための判断。
迷わず前に出る覚悟。
最後に背中を押す、気合い。
それを理解した、と。
胸の奥が、少しだけ誇らしくなる。
同時に、あの光景が、否応なく思い浮かんだ。
――血の匂い。
――雨に濡れた地面。
――エルンストの、抉れた脇腹。
(……エルンスト)
名前を思い浮かべただけで、心臓が一拍、跳ねた。
「アイナ」
突然、現実に引き戻される。
「戻ってこい。俺を見ろ」
ヴィルの声だ。
「え!? なに?」
慌てて顔を上げると、真正面から視線がぶつかった。
きょとんとした私の顔を見て、ヴィルはほっと息を吐く。
「……大丈夫そうだな」
「? うん」
「迷わず教室だぞ。迎えはしないからな?」
「通い慣れてるから、今さら迷わないよ!」
そう言うと、ヴィルは笑った。
「ははは! じゃあまた昼にな!」
軽く手を振り、騎士科の列へ戻っていく背中を見送る。
――いつものやり取り。
――いつもの距離。
そのはずなのに。
教室へ向かう、いつもの回廊で、私は足を止めた。
無意識だった。
探すつもりなんて、なかったはずなのに。
視線が、自然と人影を追う。
……いた。
エルンスト。
回廊の向こう側。
騎士科の生徒に囲まれながらも、ひときわ目を引く立ち姿。
彼も、こちらに気づいた。
一瞬、視線が絡む。
そして、エルンストは静かに手を挙げた。
次に、訓練で使う手信号。
二本指を自分の目へ。
そして、親指を立てる。
――見てる。
――いいね。
ドクン。
胸が、確かに鳴った。
私は、思わず笑ってしまい、同じように親指を立てる。
二本指で自分の瞳を指し、彼へ向ける。
エルンストが、クスッと小さく笑った。
その瞬間、急に、熱が頬に集まる。
(……なにしてるの、私!)
恥ずかしさに耐えきれず、私はそのまま教室へ駆け出した。
背中に残る視線を、感じながら。
日常は、確かに戻ってきた。
けれど――
あの日を境に、距離は、確実に近くなってしまっていた。
それを、もう、なかったことにはできない。




