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モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで  作者: ChaCha


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俺の名を

野外訓練後の事後処理は、思った以上に時間を食った。

負傷者の確認、報告書の提出、装備の点検、隊列の反省。

頭では理解しているが、身体は正直で、どこか地に足がついていない。


書類に視線を落とし、ペンを走らせる。


……その時だった。


「エルンスト」


はっ、と顔を上げる。


「呼んだか?」


近くにいた班の騎士が首を傾げた。

「いや? 誰も呼んでないが」


気のせいか、とペンを戻した瞬間。


「エルンスト!」


今度は、はっきりと。


胸の奥を叩くような感覚。

音ではない。

外から聞こえた声でもない。


……内側だ。


魂の奥に、直接刻まれるような――名前。


「……アイナ?」


思わず、その名が零れた。


周囲を見渡しても、彼女の姿はない。

治療室に運ばれたと聞いたきりだ。


それでも。


呼ばれている気がする。


幻聴?

疲労?

否。


それは、不快なものではなかった。

むしろ、胸の奥が熱を帯びる。


呼ばれるたびに、思い出す。


あの瞬間を。


野外での混乱。

逃走。

地鳴り。

横合いから現れた、巨大な影。


衝撃を受け流した直後、脇腹を抉られる感覚。

赤が舞い、視界が歪んだ。


――終わった、と思った。


だが。


「エルンスト!!」


その声が、世界を引き戻した。


必死で、命を繋ぎ止める声。

叫び。

祈り。

気合い。


魔力が、体内に流れ込んでくるのがわかった。

荒々しく、けれど真っ直ぐで。

迷いがなく、温かい。


視界が定まった時、彼女がいた。


焦げ茶の瞳。

涙を浮かべたまま、必死にこちらを見つめる顔。


「……アイナ」


思わず、手を伸ばした。

頬に触れた指先に、確かな温度。


安堵の涙が、頬を伝って落ちる。


生きている。

彼女も。

俺も。


その後の記憶は、断片的だ。


撤退。

討伐。

治癒の連携。


だが、はっきり覚えている場面がある。


彼女が力尽き、崩れ落ちた瞬間。


「俺が背負う」


反射的だった。

他班が申し出る声も、耳に入らなかった。


背中に感じた、軽い重み。

規則的な呼吸。

生きている証。


首元に、彼女の額が触れる。

次の瞬間――


「……好き……」


微かな吐息。

唇が、かすかに触れた。


錯覚だと思いたかった。

だが、あれは確かに――彼女の声だった。


熱が、腹の底から一気に込み上げた。


死の縁から引き戻され、

耳元で“好き”だと告げられて。


抗えという方が、無理だ。


報告書の文字が、滲む。

ペンを置き、深く息を吸った。


……認めるしかない。


俺は、アイナに落ちた。


理由など、いらない。


そんなものは、最初から存在しない。


これは、現実だ。


必死に命を繋ぎ、

名前を呼び、

泣いて、祈って、

俺をこの世界に留めた――彼女。


どうしようもなく、欲しい。


守りたい。

傍にいたい。

もう一度、あの声で呼ばれたい。


報告書を閉じる。


彼女は、目を覚ましただろうか。


治療室の方向へ、視線が自然と向いた。


また――

俺の名を呼んでほしい。


今度は、はっきりと。



エルンスト視点

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