夜の焚き火と共に
雨の名残は、いつの間にか完全に消えていた。
昼間までぬかるんでいた地面は乾き、焚き火の火の粉がぱちりとはぜるたび、夜気に溶けていく。
見上げれば、雲ひとつない空に星が無数に散らばっていて、まるで誰かが黒い布に光を縫い留めたみたいだった。
(……綺麗)
学園の中庭から見る夜空とも、寮の窓から見る星とも違う。
遮るものが何もない分、空は近く、深く、静かだった。
班の仲間たちは、食後の片付けを終えると、それぞれ思い思いの場所で休み始めている。
焚き火を囲んで剣の手入れをする者、毛布にくるまってうとうとする者。
小さな話し声が、夜の森に吸い込まれていく。
その少し離れた場所に、ひとり立つ背中があった。
――エルンスト。
見張り役として、静かに周囲へ目を配っている。
焚き火の明かりが横顔を照らし、青い髪が淡く光を反射していた。
昼間の鋭さとは違い、夜の彼は落ち着いていて、どこか柔らかい。
(今なら……)
そう思った瞬間、胸が少しだけ高鳴った。
私は、ぎゅっとローブの端を握ってから、彼の方へ歩み寄った。
足音を立てないように、でも、逃げないように。
エルンストがこちらを向く。
星明かりの下で、視線が合った。
「……どうした?」
低くて、穏やかな声。
「えっと……」
一瞬、言葉が喉で詰まる。
でも、ここで引いたら、きっと後悔する。
「隣……いいですか?」
少し間があってから、彼は小さく頷いた。
「ああ」
焚き火の近くに腰を下ろすと、熱がじんわりと伝わってくる。
昼間、重りに耐えて冷え切っていた体が、ようやく解けていく感覚だった。
深呼吸をひとつ。
「いつも……私を……」
途中で言い直す。
「いえ、みんなを守ってくれて、本当にありがとうございます」
そう言って、頭を下げた。
焚き火がぱちり、と鳴った。
エルンストは少し驚いたように目を瞬かせ、それから、困ったように笑った。
「礼を言われるようなことはしていない」
「でも……」
言いかけて、言葉を探す。
頭の中では、訓練中の光景が次々と浮かんでいた。
土砂降りの中、迷いなく前に出る背中。
魔物の気配をいち早く察知して、静かに合図を出す声。
疲労が溜まっているはずなのに、誰よりも周囲を見ていた姿。
「……私は、すごく心強かったです」
そう言うと、彼は焚き火の向こうを見つめたまま、少しだけ視線を伏せた。
「騎士だからな。守るのは当然だ」
その言葉は淡々としていたけれど、どこか揺れがあった。
「でも、怖くなかったですか?」
思わず、そんなことを聞いてしまう。
エルンストは一瞬だけこちらを見て、それから、ふっと息を吐いた。
「怖くないと言えば、嘘になる」
夜風が、星の匂いを運んでくる。
「だが……守るべきものがはっきりしている時、人は迷わない」
その言葉に、胸がきゅっと締まった。
(守るべき……もの)
それが、誰なのか。
あえて聞く勇気はなかった。
沈黙が落ちる。
けれど、不思議と気まずくはない。
焚き火の音。
遠くで鳴く夜鳥。
規則正しい、彼の呼吸。
その全部が、静かに心を落ち着かせてくれる。
「……野外訓練、きついですよね」
ぽつりとこぼすと、彼は小さく笑った。
「治癒魔術科は特にな」
「ですよね……」
思わず苦笑する。
「腕も足も、もう自分のものじゃないみたいで」
「それでも、君たちは前に出た」
その言葉に、顔が熱くなる。
「治癒がなければ、俺たちは立てない」
はっきりとした声音だった。
「だから――感謝している」
胸の奥で、何かが静かに広がった。
(……そんなふうに、思ってくれてたんだ)
星空の下で、焚き火を挟んで交わされた言葉は、派手じゃない。
でも、確かに、心に残る。
しばらくして、エルンストが立ち上がった。
「冷える。無理をするな」
「はい」
そう答えると、彼は少しだけ躊躇ってから、続けた。
「……ありがとう、来てくれて」
その一言に、胸がどくんと鳴った。
「いえ……こちらこそ」
彼は小さく頷き、再び見張りの位置へ戻っていく。
その背中を見送りながら、私は焚き火の前で、しばらく動けずにいた。
星は変わらず瞬いている。
夜は静かで、深い。
(……勇気、出してよかった)
そんなふうに思えた夜だった。




