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モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで  作者: ChaCha


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206/208

初産は長期戦。

「なんということでしょう!!」


それが、最初の一言だった。


窓の外は、まだ朝の色を残している。

ネルケ辺境伯城の産室は、清潔で、静かで、

万全の準備が整えられているはずだった。


……はず、だった。


「……終わらない……」


アイナの声は、すでに震えている。


痛みが、来る。

去る。

そして――戻ってくる。


その間隔が、確実に、確実に、短くなっていた。


「はぁ……っ、はぁ……っ」


息を整えようとするたびに、

身体の奥から、逃げ場のない圧が押し上げてくる。


「まだ、力んではダメですよ」


落ち着いた声で告げる助産師に、

アイナは信じられないものを見る目を向けた。


「……え?」


次の瞬間。


「うそでしょ!?

 ダメなの!?

 今!?

 今めちゃくちゃ来てるんですけど!?!?」


全力の抗議。


だが――


「まだです」


「無慈悲!!」


エルンストは、ただひたすら、

アイナの手を握り続けていた。


離さない。

力を抜かない。


自分の手が、彼女の世界に繋がる唯一のもののように。


(……長い)


初産は長期戦。

分かっていた。

理解もしていた。


だが。


「……っ、いた……っ!」


アイナが顔を歪めるたび、

胸の奥が、ぎゅっと掴まれる。


代われるなら代わりたい。

斬り伏せられる敵なら、いくらでも引き受ける。


だがこれは、

彼女にしか越えられない戦場だった。


「はぁ……っ、はぁ……っ……」


汗で濡れた前髪。

震える指先。

それでも、逃げない瞳。


その強さに、

エルンストは何度も、何度も、息を呑んだ。


「これさ……」


荒い呼吸の合間、

アイナが、ふいに口を開いた。


「……はぁ……

 スパッと切って……

 治癒魔術で……

 塞げば……よくない?」


一瞬、室内が静まった。


「だ、ダメです!!」


助産師の即答。


「医学的にも倫理的にもダメです!!」


「ですよねー!!」


納得するなり、次の痛みが襲う。


「ぐぁあああ!

 いたいっ!!

 いたいっ!!

 なんということでしょう!!」


握る手に、思わず力が入る。


アイナは、ふと、

エルンストの顔を見上げた。


涙で滲んだ視界。

それでも、確かに、彼がいる。


「……エルンに……なら……」


か細い声。


「……切られても……いい……」


エルンスト

「………………」


思考が止まった。


(ダメだ)


喉が、ひくりと鳴る。


「……それは、

 俺が一生、

 自分を許せなくなる」


絞り出すように言うと、

アイナは、少しだけ笑った。


「……そっか……」


そして、また、波が来る。


時間は、伸びて、歪んで、

何度も同じ場所をぐるぐる回っているようだった。


「……もう少しですよ!」


その言葉が、

どれほど救いになるか。


「……力んで!!」


「……今!?

 今なの!?」


「今です!!」


アイナは、叫んだ。


痛みも、恐怖も、

全部まとめて。


「なんということでしょう!!」


そして――


世界が、一瞬、静かになる。


産声。


高く、力強い、確かな声。


「……生まれました」


その言葉に、

エルンストは、崩れるように息を吐いた。


「……男の子です」


アイナは、呆然と天井を見つめていた。


「……終わった……?」


「終わりました」


「……生きてる……?」


「はい」


一拍。


それから。


「……なんということでしょう……」


声が、笑いに変わる。


涙でぐしゃぐしゃのまま、

アイナは、そっと目を閉じた。


エルンストは、

小さな、小さな命と、

命を懸けた妻を、

静かに、静かに、見つめていた。


長期戦だった。


だが。


この戦場は、

確かに、勝利で終わった。


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