溺愛されたら当たり前
朝のネルケ辺境伯城は、静かで、やさしい。
花咲き乱れる庭から流れ込む風が、
大きな窓を開けた食堂を抜けていく。
白いカーテンがふわりと揺れ、
朝日が長いテーブルの上に柔らかく落ちていた。
「今日もいい天気だね」
何気なく言った声に、
向かいに座るエルンストが微笑む。
「ああ。君がよく眠れていたから、余計にな」
……どうしてそれを知っているのか。
たぶん、寝顔を見ていたのだろう。
問い詰める前に、給仕係が朝食を運んできた。
温かいスープ。
焼き立てのパン。
果物と、薬草茶。
結婚してからというもの、
食事の内容が露骨に「体を大事にする方向」に振り切れている。
(溺愛が加速している……)
そう思いながら、スープを一口。
……次の瞬間。
「……うっ」
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
気持ち悪い。
味がどうとかではない。
匂いでもない。
ただ、急に、込み上げる。
「……アイナ?」
エルンストが即座に立ち上がりかける。
「だ、大丈夫……」
と言おうとして、
もう一度、口元を押さえた。
「……気持ち悪い」
その一言で、
食堂の空気が一瞬、凍った。
カトラリーの音が止まり、
給仕係の動きも止まる。
そして――
「……あら」
最初に声を出したのは、母だった。
ゆっくりとこちらを見て、
私の顔色、仕草、手の位置を確認する。
「……朝から?」
「……うん」
短く答えると、
母はすっと背筋を伸ばした。
「皆、落ち着いて」
その声だけで、
ざわつきかけた空気が静まる。
エルンストが、
私の横にしゃがみ込んだ。
「どこがつらい?」
「めまいは?」
「痛みは?」
質問が、早い。
真剣すぎる。
「……エルン、近……」
そう言った瞬間、
母が静かに咳払いをした。
「エルンスト」
「少し、距離を」
「……はい」
即答だった。
その反応を見て、
母は小さく微笑む。
「……まあ」
「そういうことね」
「え?」
私がきょとんとすると、
父――ネルケ辺境伯が、ゆっくりと立ち上がった。
「……医師を呼べ」
その声には、迷いがない。
「……え? え?」
混乱する私をよそに、
城は一気に動き出した。
ほどなくして、
治癒魔術師団の面々が姿を見せる。
――治癒魔術科B班。
結婚式後、
正式にネルケ辺境伯城の治癒魔術師団へ編入された、
私の「いつもの皆」。
「おはよー」
「顔色、ちょっと悪いね」
「吐き気?」
遠慮ゼロ。
でも、目は真剣。
その瞬間、
なぜか少し安心した。
(……ああ)
(やっぱり、この人たちがいると落ち着く)
簡易診断が、すぐに始まる。
魔力の流れ。
脈。
体温。
沈黙。
そして――
「……あー」
B班の一人が、ぽつり。
「これ」
「たぶん」
全員が、顔を見合わせる。
「……だよね」
「だよね」
「……うん」
「え?」
「なに?」
「なに!?」
私が声を上げるより早く、
「――おめでとうございます」
母が、にっこり笑った。
「孫、ね」
一拍。
「…………は?」
脳が追いつかない。
「……まご?」
ゆっくりと、
エルンストの方を見る。
彼は――
完全に固まっていた。
次の瞬間。
「……っ!」
音がしたかと思うほど、
目が見開かれる。
「……本当か?」
声が震えている。
B班が揃って頷いた。
「ほぼ確定」
「念のため正式診断はするけど」
「でも、これは……」
「「「 おめでとう!!」」」
一斉に言われて、
世界が一段、明るくなる。
父が、深く息を吐いた。
「……そうか」
「そうか……!」
母はもう、涙ぐんでいる。
「まあ……」
「忙しくなるわね」
エルンストは――
私の前に跪いた。
「……アイナ」
両手を取られる。
「ありがとう」
「本当に、ありがとう」
声が、震えている。
「俺は……」
「幸せすぎて、どうしたらいいか分からない」
私は、ぽかんとしたまま、
でも、胸の奥がじんわり温かくなった。
「……なんということでしょう」
思わず、そう呟くと、
城中が、あたたかい空気に包まれる。
溺愛されたら、当たり前。
それは、
こうして世界が、祝福する形で現れるものらしい。
私は、
エルンストの手を、ぎゅっと握り返した。




