幼馴染として
学園の朝は、いつも通り騒がしい。
訓練場から聞こえる剣の音、魔術科の棟から漂ってくる焦げた匂い、そして治癒魔術科の前に並ぶ、いつもの顔ぶれ。
その中で、ヴィルは一瞬だけ立ち止まった。
――アイナが、エルンストの妻になった。
頭では、もう何度も理解している。
式も済んだ。手紙も届いた。本人の笑顔も見た。
それなのに、こうして学園の風景の中に立つと、胸の奥で、まだ何かが静かに軋む。
「……まあ、そうだよな」
ぽつりと零した声は、誰にも届かない。
幼馴染だ。
それは変わらない。
彼女が笑えば嬉しいし、無茶をすれば叱る。
守る位置が変わっただけで、関係が消えたわけじゃない。
……消えたわけじゃ、ない。
「ヴィル!」
後ろから呼ばれて、振り返る。
治癒魔術科A班。
いつも騎士科A班の後ろを、黙々と走り続けてきた少女がいた。
地味なローブ、目立たない髪色、けれど瞳だけは妙に真っ直ぐで、折れない光を宿している。
「今日は、早いですね」
「ああ。準備が早く終わった」
それだけの会話。
それだけなのに、彼女は少しだけ嬉しそうに笑った。
彼女は、ずっとそこにいた。
最初から、ずっと。
騎士科A班が初めて野外訓練に出た日も。
魔物に囲まれて撤退した夜も。
誰よりも先に倒れ、誰よりも遅くまで回復を回していた。
ヴィルは、それを“当たり前”のように受け取ってきた。
(……今思えば、ひどいな)
彼女の名前を、ちゃんと呼んだことがあっただろうか。
感謝を、真正面から伝えたことがあっただろうか。
「ヴィル?」
「……ああ、悪い。ぼーっとしてた」
「大丈夫ですか?」
心配そうな声。
その距離は、いつも一定で、踏み込みすぎない。
アイナとは違う。
違いすぎて、今まで比べることすらしてこなかった。
「今日の合同、結構きついですよ」
「そうか」
「でも、A班なら大丈夫です」
根拠のない断言。
それでも、不思議と腹は立たない。
訓練が始まる。
騎士科A班は前に出て、治癒魔術科A班は後方で円を組む。
魔力が循環し、流れが安定していく。
彼女の手が、正確に魔力を送る。
無駄がない。
派手さはないが、決して崩れない。
(……強い)
訓練の最中、ふと視線が合った。
彼女は驚いたように瞬きをして、それから小さく頷く。
それだけで、なぜか胸が軽くなった。
訓練が終わり、皆が散っていく。
ヴィルは、気づけば彼女の隣を歩いていた。
「なあ」
「はい?」
「……いつも、ありがとうな」
彼女は、きょとんとした。
「え?」
「治癒。助かってる」
言葉は短い。
不器用で、遅すぎる。
でも――
彼女の顔が、みるみる赤くなる。
「い、いえ……それが、仕事ですから」
「それでもだ」
一拍。
沈黙。
それから、彼女は小さく息を吸って、言った。
「……私、騎士科A班が好きなんです」
「……ああ?」
「いえ、その……」
慌てて言い直す。
「一緒に戦う、この距離が、好きで」
少し震える声。
でも、逃げない。
ヴィルは、足を止めた。
(……ああ)
気づいていなかったわけじゃない。
見ないようにしていただけだ。
幼馴染が遠くへ行ってしまった今、ようやく、目の前に立つ人間がはっきり見える。
「……俺は」
言いかけて、言葉を選ぶ。
「今は、まだ……不器用だ」
正直な答えだった。
彼女は、ゆっくりと頷いた。
「待ちます」
即答だった。
「逃げません」
その強さに、思わず苦笑する。
「……強いな、お前」
「治癒魔術科ですから」
ちょっと誇らしげに言うのが、可笑しい。
学園の風が吹く。
遠くで、エルンストとアイナが並んで歩いているのが見えた。
幸せそうだ。
胸の奥で、少しだけ痛んだものが、静かに落ち着いていく。
(……俺も)
歩き出す。
隣には、ずっと支えてくれていた少女がいる。
幼馴染としての時間は終わった。
だが、人生は続く。
ヴィルは、前を見た。
自分の足で、選ぶために。




