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モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで  作者: ChaCha


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アイナの日記

寮の部屋は、夜になると驚くほど静かだ。

昼間、あれだけ騒がしかった学園の空気が嘘のようで、窓の外から聞こえるのは、遠くで鳴く夜鳥の声と、風に揺れる木々のざわめきだけ。


ランプに灯を入れ、机に向かう。

慣れたはずの日課――日記帳を開く手が、今日は少し震えていた。


羽ペンの先が、紙の上で止まる。


(……何を書こう)


今日一日を振り返ろうとすると、どうしても、あの瞬間に引き戻される。


――視線。


確かに、私を捉えていた。


それが、怖かった。


だって、私はモブだ。

乙女ゲーム的に言えば、画面の端にいて、背景と一体化している存在。

セリフもなければ、選択肢もない。

攻略対象と目が合うイベントなんて、最初から組み込まれていない。


なのに。


今日、確かに――

彼は、こちらを見ていた。


回廊ですれ違った時。

合同訓練の合間。

教室で、ふと顔を上げた瞬間。


偶然じゃない。

見間違いでもない。


何度も、目が合った。


そのたびに、胸の奥がきゅっと縮んで、息が詰まりそうになった。

心臓の音が、やけに大きく聞こえる。


(……なんで)


私は、何もしていない。

ヒロインみたいに可愛い台詞を言ったわけでも、特別なイベントを踏んだわけでもない。

ただ、治癒魔術科の一学生として、必死に授業を受けて、気合いで回復して、ビンタをしていただけだ。


それなのに。


視線が、絡む。


思い出すだけで、頬が熱くなる。


あの時。

エルンストがこちらを向いて、ほんの少し口角を上げた瞬間。


(……笑った)


その笑顔が、やけに自然で、やけに柔らかくて。

訓練中の張りつめた空気とは、まるで別人みたいだった。


それを見た瞬間、胸の奥が、ふわっと浮いた。


嬉しい、なんて言葉じゃ足りない。



でも、怖い。


私は、モブだ。

これは、物語の外側にいる人間が、踏み込んではいけない場所だ。


(……勘違いだよね)


自分に言い聞かせるように、ペンを走らせる。


攻略対象は、ヒロインを見る。

それが、この世界の“筋書き”。


私を見る理由なんて、あるはずがない。


そう思おうとすればするほど、逆に、昼間の出来事が鮮明によみがえる。


エルンストが、こちらに向けて手を挙げたこと。

首を傾げた仕草。

訓練で使う、あの手信号。


――来い、の合図?


(……私に?)


あの瞬間、頭が真っ白になって、勢いよく席を立ってしまった。


先生の咳払い。

周囲の視線。

何をどう誤魔化したのか、正直あまり覚えていない。


ただ、逃げるように女子トイレへ駆け込んだ。


「……はぁ」


日記帳の上で、ペンを置く。

ため息が、静かな部屋に溶けた。


怖い。


でも。


――嫌じゃなかった。


その事実に気づいた瞬間、さらに胸がざわつく。


(だめだめだめ)


これは、よくない兆候だ。

乙女ゲーム脳が暴走しているだけ。


近くで見られるからって、勝手に意味を持たせてはいけない。


私は、モブ。

モブは、距離を守る。


そう、決めたはずなのに。


ベッドに横になっても、瞼の裏に浮かぶのは、あの薄い青の瞳だった。

澄んでいて、強くて、でもどこか優しい色。


心臓が、また早くなる。


(……明日)


もし、また目が合ったら。


どうしよう。


逸らす?

無視する?

気づかないふりをする?


どれも、うまくできる気がしない。


布団を引き寄せて、顔を埋める。

胸の奥が、どきどきとうるさい。


これは、イベントじゃない。

選択肢もない。

セーブもロードもできない、現実。


だからこそ、余計に――怖い。


でも。


視線が、確かに、私を捉えていた。


その事実だけは、どれだけ否定しても、消えてくれなかった。


ランプの灯を落とし、暗闇の中で目を閉じる。


眠れない夜。




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