エルンストが現れた!
汗が、背中を伝って落ちる感覚がはっきりわかる。
肺がまだ、うまく空気を掴めていない。
視界の端が揺れて――
そこで、あり得ない光景を見た。
青い髪。
一瞬、現実を疑った。
雪の反射で見間違えたんじゃないかと、本気で思った。
でも。
あの立ち方。
あの視線。
あの、空気を切り裂くような存在感。
間違えようがなかった。
「うっそぉ……エルンストがいるーーー!」
自分でも驚くくらい、声が弾んだ。
さっきまで締め上げられて、
床に転がされて、死にかけていたのに。
身体は限界のはずなのに。
――嬉しい。
ただ、それだけで、胸がいっぱいになった。
足に力を入れようとして、ぐらりと視界が揺れる。
「ほら、大丈夫か?」
ヴィルが腕を引いて、支える。
その動きは、いつもと同じ幼馴染のものだった。
「ん、ありがとう」
礼を言った、その瞬間。
空気が、変わった。
重い。
冷たい。
刃物のように、肌を撫でる圧。
エルンストが、こちらへ歩いてくる。
一歩ごとに、床が軋むような錯覚がした。
ヴィルの手を、真っ直ぐに見据えたまま。
「……離せ」
声は低く、静かだった。
けれど、逆らえる余地のない声音。
「支えていただけだ」
ヴィルも、視線を逸らさない。
笑わない。
譲らない。
一瞬、空気が張り詰めて――
次の瞬間。
エルンストの手が、私の手首を掴んだ。
強くはない。
けれど、迷いもない。
「行くぞ」
それだけ言って、引かれる。
訓練所の床が遠ざかる。
汗と土と、息の音が混ざった空間から、どんどん離れていく。
足が縺れた。
「あ――」
身体が前に倒れかけた瞬間、
腕が回って、抱き留められる。
胸板に、顔が当たった。
「……すまない」
すぐに離れようとする気配。
でも、私は反射的に服を掴んでいた。
「だ、大丈夫……で、も……ちょっとだけ……待って?」
息が、整わない。
肺が、まだ戦闘を続けている。
深呼吸を、ひとつ。
ふたつ。
そこで、ようやく気づく。
(……汗だく)
「私……今、汗だく!!ごめんなさい」
必死に言い訳すると、
エルンストは一瞬だけ目を瞬かせた。
「……何をしていた」
低い声。
責めてはいない。
けれど、逃げ道はなかった。
これは――
嘘をついたら、いけないやつだ。
「や、焼豚……ちがっ……」
頭が回らない。
「……贅肉と、戦ってた……」
沈黙。
エルンストが、完全に固まった。
数秒。
いや、たぶん一瞬。
「……」
「……本気で?」
「本気だよ!
籠城したらさ、動かないとヤバいじゃん!
贅肉って、裏切るんだよ!?」
そして、ゆっくりと視線を逸らす。
「……そうか」
「……相変わらずだな」
その声は、妙に優しかった。
でも。
腕は、離れなかった。
むしろ、ほんの少しだけ力がこもる。
(……あ)
本能的に、思う。
――怒ってる。
――でも、抑えてる。
それが分かる距離で、
私は彼の腕の中にいた。
背後、少し離れた場所で、
ヴィルがこちらを見ている気配がする。
誰も、何も言わない。
雪の外気が、頬を冷やす。
でも、抱き留める腕は熱いままだった。




