幼馴染の視線。
あの日からだ。
――あの事件。
いや、正確には、エルンストに助けられてから。
アイナは、ふとした瞬間に、俺ではなく彼の方を見るようになった。
訓練場で。
中庭で。
回廊を歩いている時。
誰かが名前を呼んだわけでもないのに、視線だけが、すっと彼を追う。
それに気づいた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
もし、あの時。
俺が間に合っていたら。
賊に絡まれたあの場に、俺が先に駆けつけていたら。
剣を抜いて、アイナの前に立っていたら。
――その瞳は、俺を見ていたはずだ。
そんな考えが、何度も何度も頭を巡る。
意味がないとわかっていても、止まらない。
騎士科では、最近よくアイナの話題が出る。
治癒魔術科の優秀な令嬢。
気合いがすごい。
声が綺麗。
筋肉が靭やか。
回復が的確で早い。
冗談半分、感嘆半分。
その中に混じる、男の目。
……全部、わかる。
幼馴染で、何年も隣にいて。
見慣れているはずの俺ですら――
この気持ちを自覚してからは、正直、見惚れてしまう。
柔らかい絹糸のようにさらさらと流れるブラウンの髪。
風が吹くたび、光を含んで揺れる。
長い睫毛に縁取られた、焦げ茶の瞳。
真剣な時ほど、強く、まっすぐで。
そして、少しぷっくりとした唇。
笑うと、無防備で。
甘そうで――
……駄目だ。
こんなふうに考えた時点で、アウトだ。
わかってる。
こんな気持ちを、アイナに見せたら終わる。
今の関係を壊すわけにはいかない。
俺は“守る側”でいなきゃいけない。
幼馴染。
兄のような存在。
安心できる場所。
そうあるべきなのに。
最近は、違う感情が、胸の底で蠢いている。
アイナを独占したい。
他の男に見せたくない。
近づく視線を、全部、遮りたい。
実際――
アイナに向けられる男たちの視線を、無意識に制している自分がいる。
訓練場で一歩前に出る。
街で半歩近づく。
寮への帰り道で、自然に隣を取る。
……気づかれたら、終わりなのに。
「アイナ」
名前を呼ぶと、彼女はいつもと変わらない顔で振り向く。
「なぁに?」
その声。
何でもない一言なのに、胸の奥がきゅっと締まる。
「週末は、お前の好きな魚料理でも食べに行こうか」
できるだけ、いつも通りに。
幼馴染としての距離感を守って。
「わ! 本当? 大好き!」
ぱっと明るくなる表情。
「魚料理が、大好き、だもんな?」
「うん!」
……大好き。
その言葉が、魚じゃなくて。
料理じゃなくて。
俺に向けられていたら。
ドクン、と胸が鳴った。
痛いほどに。
エルンスト。
あいつは――
流石としか言いようがない。
親父や騎士団に、幼い頃から叩き込まれた剣技。
実戦。
辺境での戦い。
それなりに修羅場はくぐってきた。
自信もあった。
……それでも。
あの男は、別格だ。
動き。
間合い。
判断。
無駄がない。
化け物の類だ。
辺境で魔物や賊を相手にしてきた俺より――
純粋な“強さ”が、違う。
だが。
まだだ。
俺は、まだ強くなれる。
あいつにだけは、負けたくない。
チラッと視線を向けると、
アイナは、知らない音色の歌を口ずさみながら、楽しそうに歩いていた。
今日も、無防備で。
眩しくて。
……俺の可愛い幼馴染。
この想いが、どこへ向かうのか。
まだ、答えは出せない。
ただ一つ、確かなのは。
――もう、ただの幼馴染では、いられないということだけだった。




