秋季、野外訓練最終日。
遠くで、誰かの泣き声がした。
すすり泣きと、笑いと、安堵が混ざったような、不思議な音だった。
(……ごめんよ、みんな。生きろ)
胸の奥でそう呟く。
それは祈りであり、言い訳であり、同時に本音だった。
私は――生き残った。
エルンストのおかげで。
学園へ戻れば、毒とはさよならだ。
今日が、秋季野外訓練の最終日。
そして私は今、彼の背にいる。
視界は高く、揺れは一定で、足元の地面は遠い。
歩ける治癒魔術科の生徒は、もう誰もいなかった。
誰かは担がれ、
誰かは引きずられ、
誰かは……もう数を数える気力すらない。
私はエルンストの首にそっと腕を回す。
落ちないように、という名目で。
でも本当は、それだけじゃない。
背中は広くて、呼吸は落ち着いていて、歩調は乱れない。
毒に侵されているはずなのに、彼は一度も足を止めなかった。
照れ、という感情はどこかへ消えていた。
羞恥心も、遠慮も、毒のダメージの前では役に立たない。
今はただ、身を預ける。
この背中に。
ふわり、と風が抜けた。
揺れのリズムに、既視感が混じる。
(……あれ?)
この香り。
この背負われ心地。
どこかで――覚えがある。
無意識に、鼻先で空気をすくう。
すん、すん、と確かめるみたいに。
(……あ)
分かった瞬間、胸がゆるむ。
好きな匂いだ、と、身体が先に判断していた。
「……好き……」
声に出したつもりはなかった。
でも、言葉は外に零れていた。
エルンストの歩幅が、ほんの一拍だけ揺れる。
それから、何事もなかったかのように戻る。
耳が、赤い。
風のせい、ではない色だ。
「……かわいい耳だね」
思考が追いつかないまま、口が勝手に動く。
毒のせい。きっと、毒のせい。
「食べちゃいたい」
冗談のつもりだった。
冗談、だったはずなのに。
歯が、軽く触れた。
甘噛み――と言うほど強くもなく、
ただ、確かめる程度。
エルンストの背中が、びくりと震えた。
「……っ」
短い息。
それ以上は、何も言わない。
「気持ちいい……」
自分で言って、自分で驚く。
でも否定する気力もない。
背中の温度が、少しだけ上がった気がした。
それでも彼は、歩みを止めない。
一定の歩幅。
一定の呼吸。
確かな方向。
(……ああ)
この人は、最後まで運ぶ気だ。
私を。
確実に。
揺れが心地よくなってきた。
視界が、ゆっくりと滲む。
眠気が、波のように押し寄せる。
身体の重さが、遠のいていく。
最後に感じたのは、
彼の背中の温もりと、規則正しい足音。
――生きて、帰る。
その約束だけを胸に、
私は静かに、意識を手放した。




