君と一緒に隠れたい
なんということでしょう。
心の中で叫んだ瞬間、視界がぐっと近づいた。
「しっ」
低い声と同時に、唇に指が触れる。
柔らかく、けれど確かな圧で、音を閉じ込められた。
床ドン。
……床ドンである。
倒木の影、湿った落ち葉、苔の匂い。
秋の森は静かなはずなのに、私の鼓動だけがやたらとうるさい。
ここは秋季野外訓練。
治癒魔術科一年生、毒を盛られ、削られ、なお生きているアイナです。
時を少し巻き戻す。
騎士一名、治癒一名でペアを組め、という教官の号令が落ちた瞬間。
周囲が理解するより早く、エルンストの手が伸びてきた。
早い。
早すぎる。
毒、まわってないの?
そう思う間もなく、もう隣に立っていた。
当然のように。
迷いなく。
開始の笛。
二度目の笛で、本格的にスタート。
散るペア。
潜む影。
リボンを狙う視線。
そして現在。
私は、エルンストに庇われる形で、木の根元に押し留められている。
唇に触れていた指が、掌へと変わる。
息を抑えるように、音を消すように。
近い。
近すぎる。
(……幻覚?)
毒のせいだろうか。
青い髪の陰影も、真剣な横顔も、やけに鮮明だ。
目が合うと、胸の奥がぎゅっと鳴る。
彼の視線が、私の顔をなぞる。
青ざめた頬。
震える呼吸。
掠れかけた唇。
一瞬、眉がわずかに寄った。
――心配、してる。
それが分かってしまって、余計に息が苦しくなる。
(……だめだ、今の顔……)
見せたくないのに。
弱ってるところ、格好悪いところ。
でも。
エルンストの腕は、離れなかった。
むしろ、囲うように。
外からの視線を遮るように。
彼の胸元が、すぐそこだ。
呼吸の上下が伝わってくる。
体温が、はっきりと分かる。
(あ……あったかい)
庇護欲。
守るための距離。
そう、分かっている。
分かっているのに。
その近さが、妙に胸をくすぐる。
彼の視線が、一瞬だけ私の唇に落ちた。
すぐに戻る。
戻るけれど、完全には切れない。
……ずるい。
そんな目で見ないで。
心臓が、変な跳ね方をする。
エルンストの指が、ほんの少しだけ力を緩めた。
合図だ。
静かに。
動くな。
頷こうとして、やめる。
その代わり、瞬きを一度。
彼はそれを見て、満足そうにほんの少しだけ目を細めた。
胸が、きゅん、と鳴った。
森の奥で、別のペアの気配が近づく。
足音。
枝を踏む音。
かすかな息遣い。
エルンストは、私の前に一歩分、身体をずらした。
完全に盾になる位置。
――この人、騎士だ。
今さらな事実が、強く胸に落ちる。
毒に侵されているはずなのに。
何日も削られているはずなのに。
それでも立って、
それでも守る。
(……ずるい)
格好良すぎる。
指が、そっと離れた。
代わりに、視線が絡む。
言葉はない。
でも、伝わる。
ここにいる。
大丈夫。
俺がいる。
胸が、いっぱいになる。
情欲なんて言葉は、まだ遠い。
でも、その手前。
胸がきゅっと締め付けられて、離れたくなくなる、この感じ。
弱っているからこそ、余計に。
エルンストの瞳に、熱が宿っている。
欲ではない。
でも、確かな感情。
守りたい。
離したくない。
その境界線で、揺れている色。
……危ない。
いろんな意味で。
遠くで、笛が鳴った。
第一ラウンド終了の合図。
エルンストが、ゆっくりと体を離す。
名残惜しそうに、でも、きちんと距離を取って。
「行けるか」
小さな声。
私は、こくんと頷いた。
足はまだ震えているけれど、立てる。
立てる、から。
彼は、また一歩前に出る。
私を背に。
……君と一緒に、隠れたい。
そんな馬鹿な願いが、胸に芽生えたまま。
秋の森は、静かに次の気配を孕んでいた。




