週末当日、野外訓練の準備
週末の街は、学園とはまるで違う顔をしていた。
石畳に反射する陽の光、人の笑い声、焼き菓子と香草の匂いが混ざり合う空気。
それだけで、少しだけ肩の力が抜ける。
今日は治癒魔術科B班で、野外訓練の準備を整える日だ。
実戦続きの訓練を思えば、これはもう遠足に近い……はずだった。
「アイナ、これどう思う?」
「それ、前回すぐ底ついたやつじゃん」
「学習してないな!」
わいわいとした声に囲まれながら、私は棚の前で立ち止まる。
「これかな」
手に取ったのは、乾燥野菜と豆、干し肉が詰め込まれた小袋。
魔力を少し流すと、お湯を注いだ瞬間に具沢山のスープになる便利品だ。
「おお、いいじゃん」
「俺、こっち。肉が倍入ってるやつ」
「それ絶対、後で喉乾くやつだよ」
笑い声が弾む。
前回の地獄のような合同訓練を経て、みんなの準備はやけに実践的だ。
(こういう時間、嫌いじゃないな)
心の奥が、少しだけ軽くなる。
エルンストとの約束は、今日は別。
班の準備を優先すると決めたのは、自分だ。
……決めた、はずだった。
カラン。
店のドアベルが鳴った、その音がやけに大きく聞こえた。
反射的に、顔を上げる。
――青い髪。
それだけで、心臓が強く跳ねた。
(……うそ)
背筋が、ぞわっとする。
視線が合う前から、分かってしまう。
立ち姿、空気のまとい方、歩幅。
エルンストだ。
「こんにちは!」
班の子たちが、屈託なく声をかける。
「エルンスト君も買い出し?」
「騎士科も大変だね」
エルンストは穏やかに微笑んだ。
「ああ。準備不足で困るのは、現地だからね」
その声が、いつもより少し低く聞こえたのは気のせいだろうか。
「奇遇だね。一緒に回っても?」
自然な提案。
断る理由なんて、どこにもない。
「もちろんです!」
「人数多い方が楽しいし」
「いいよね、アイナ?」
視線が集まる。
「う、うん……」
答えた瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。
エルンストが、一歩、距離を詰める。
本当にさりげなく、班の輪の内側に入るように。
棚を覗くふりをしながら、私のすぐ横に立つ。
肩が触れない、ぎりぎりの距離。
そして。
「……みつけた」
耳元で、低く囁かれた。
息が、止まる。
「っ……」
思わず顔を上げると、
エルンストはほんの少しだけ口角を上げていた。
人に見せる笑顔じゃない。
私にだけ向けられた、確信の色。
(……なに、が)
言葉にできない問いが、喉に詰まる。
「アイナ、これ軽いけど保温性高いな」
「……あ、うん。いいと思う」
班の会話に、ぎこちなく相槌を打つ。
心臓の音がうるさくて、自分の声が遠い。
エルンストは何事もなかったかのように、商品の説明を読み、意見を出す。
でも、視線だけは、確実に私を追っていた。
逃げ場はない。
けれど、捕まえられているわけでもない。
(……ずるい)
そんな距離の取り方。
買い物籠が少しずつ埋まっていく。
笑い声も、会話も、途切れない。
それなのに、私の意識は、彼の存在に引き寄せられたままだ。
エルンストが、もう一度だけ、こちらを見る。
何も言わない。
でも、その目が語っていた。
――逃がさない。
背筋が、ぞくりとした。
週末は、始まったばかりだ。
なのに、この一瞬で、嫌な予感と甘い期待が、同時に胸に広がってしまった。
(……どうして、こんな顔で笑うの)
答えは、聞かない。
聞けない。
私はただ、買い物籠を握りしめて、彼の隣を歩き続けた。
気づかないふりをしながら。
気づいてしまった心を、抱えたまま。




