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時間の無い部屋と時計仕掛けの真実

第一節:禁断の書

夜九時五十五分。門限のブザーが鳴る五分前。

レンとカイは、再び息を潜めて西棟の古図書館に忍び込んだ。カイは手のひらの汗で滑るジャマーを握りしめ、極度の緊張状態にあった。

「レン、本当に大丈夫か?あのミズホという生徒、何を考えているかまるで分からないぞ。それに、あの本...」カイは囁いた。

レンが脇に抱えているのは、図書館の書庫の最奥から持ち出した、羊皮紙で作られた分厚い古書。『天宮年代記てんきゅうねんだいき』というラテン語のタイトルが刻まれた、レンの胴体ほどの重さがある禁断の書物だ。

「彼女は何かを知っている。それも、僕たちが命を賭けて地下で得た断片的な情報とは比べ物にならないほど、この学園の根幹に関わる秘密を」レンは答えた。「『時間の無い部屋』。そこが、この学園の時計仕掛け(クロックワーク)の心臓部だ」

ブザーがけたたましい音を立てて鳴り響いた。門限だ。

レンとカイは図書館を出て、中庭の東側、めったに使われない古い鐘楼しょうろうの裏手に急いだ。東側の建物群は、事務棟や古いメンテナンス設備が集中しており、生徒が近づくことは稀だ。

「ここだ」

カイの懐中電灯の光が、苔むした石壁にある、目立たない金属製の扉を照らした。その扉には、古びたネジと歯車のレリーフが施されているだけで、ネームプレートはなかった。カイが扉の取っ手を回そうとしたが、鍵がかかっている。

「任せろ」カイは小型のツールを取り出し、鍵穴に差し込んだ。数秒間の集中した後、カチリという静かな音が響いた。

第二節:時の歪み

扉の奥の空間は、予想外だった。それは部屋というより、円筒形の高い塔の一部であり、巨大な歯車と銅のパイプが複雑に絡み合った機械室だった。

しかし、この部屋の最も異常な点は、音がないことだった。

時計は無数にある。大小様々な振り子時計が壁に取り付けられ、中央の巨大な歯車機構へと繋がっている。だが、本来聞こえるはずの、秒針が刻む「カチコチ」という音や、ゼンマイの作動音が、完全に消滅しているのだ。

「まるで...真空状態だ」カイが息を呑んだ。

レンの異能が、ここで再び活性化した。この部屋の空気は、時間そのものが歪んでいるかのように、重く、淀んでいた。残留思念はほとんどないが、代わりに、純粋で巨大な魔力的なエネルギーが部屋全体を覆い尽くしている。

部屋の隅、巨大な歯車機構の影で、ミズホが待っていた。彼女はいつもの制服ではなく、白と黒のシンプルな、古代の儀式服のようなものを身につけていた。髪は丁寧に編まれ、その手には、古文書の解読に使われたと思われる羅針盤のような道具が握られていた。

「よく来たわ、神崎レン。そして...共犯者カイ君」ミズホの瞳は、昼間とは違い、底知れない決意の光を宿していた。

レンは『天宮年代記』を彼女に手渡した。「これが君の望み通り、この学校の歴史が詰まった本だ。君の秘密を話してくれ。『時間の無い部屋』とは何だ?」

「ここは、天宮学園の『時間管理室』よ。この学園は、設立当初から、シオン機構によって動いている」ミズホは淡々と語り始めた。「生徒の才能という『エネルギー』を抽出し、それを永遠に保つための仕組みよ。そして、この部屋は、そのエネルギーが循環する『時』を調整する場所。だから、音がない。ここでは、通常の時間の流れが存在しないの」

第三節:人形使いの正体

「そして、校長は...人形使いなんだな」レンは確認するように尋ねた。

ミズホは首を振った。「いいえ、違う。麗春校長は、**現行の『うつわ』に過ぎないわ。本当の人形使いは、この学園に数百年にわたって根付いている『シオン機構そのもの』**よ。この機構は、生徒の命を糧に自己を永続させる、一種の知性を持った魔術的な契約、あるいは生命体なの」

彼女は続けた。「校長は、機構によって選ばれた、最も優秀で支配欲の強い人形に過ぎない。彼女の行動は全て、この部屋にある歯車、つまりシオンの『意志』に従っているわ。だから、ユウキを解放し、このサイクルを止めるには、校長を告発するだけでは無意味よ」

レンは胸のペンダントを握りしめた。彼の祖母は、この学園の真実を知っていたのかもしれない。

「僕たちが持っている古文書の破片...『人形使いを顕現させよ』とは、どういう意味だ?」

ミズホはレンが持ってきた『天宮年代記』を祭壇のような台の上に開き、古文書の破片を隣に置いた。

「『顕現けんげん』とは、強制的な出現を意味する。このシオン機構を動かしている真の『人形使い』の意志、つまり魔力の核を、一時的に物理空間に引っ張り出すのよ。そうすれば、私たちは核を破壊できる。そしてこの年代記には、その『顕現』を起こすための、魔力の流れと時の流れを逆転させるカウンター・儀式の正確な座標と時間が記されている」

ミズホは羅針盤を手に、年代記の古びた羊皮紙の上に置いた。

「もう時間がない。ユウキは完全に『種子』として定着しつつある。この儀式は、日蝕の瞬間にしか実行できない。そして、今晩、午前三時三分、この山の上空で、僅かながら特殊な天文現象が起きる。それが、私たちの唯一のチャンスよ」

彼女は真剣な表情で、年代記に書かれた複雑な星の運行図と古代語を翻訳し始めた。カイは、ミズホの真剣さと、彼女から発せられる魔術的な知識の重圧に、息をするのを忘れていた。

第四節:時間の番人

ミズホが、一連の複雑な記号を解読し終えようとした、まさにその時だった。

**ドンドン!**という轟音が、金属製の扉を叩く。扉の向こうから、冷徹な声が響き渡った。

「中にいるのは誰だ!門限を破り、重要施設に侵入したな!すぐに扉を開けろ!」それは、守り手である**大河たいが**の声だった。彼の背後には、リュウたち数人の生徒の影が見える。

「見つかった!」カイがパニックに陥った。

「嘘よ...この部屋は、校長以外には発見できないはずなのに...」ミズホは動揺したが、すぐに顔を引き締めた。

「レン、聞いて!」ミズホは焦るレンに向かって叫んだ。彼女は翻訳を終えたばかりの年代記のページを破り、それをレンの手に押し付けた。

「この儀式に必要なのは、『時間の心臓』。それは、この学園に複数ある、時計仕掛けの制御盤の中でも、最も古く、最も魔力的な力を持つものよ。**『本当の心臓』**を探すの!この部屋は違う!」

扉が激しく軋み始めた。大河は力づくで錠前を破壊しようとしている。

ミズホはレンのペンダントを一瞥すると、決意したように祭壇へと戻った。

「私がここで時間を稼ぐ。この部屋の魔力的な流れを一時的に混乱させて、彼らを足止めする。あなたは逃げなさい!そして、必ずユウキを助け出すのよ!」

「ミズホ!」レンは叫んだ。

ミズホはレンを押しやり、扉とは反対側にある巨大な歯車機構の前に立ち、両手を広げた。その小さな身体から、圧倒的な魔力が噴き出し始めた。

キィィィィン...

時間の無い部屋に、初めて音が発生した。それは、ガラスが砕けるような、あるいは金属が悲鳴を上げるような、耳をつんざく高周波の音だった。

「行け!ここを出るのよ!」ミズホが叫んだ。彼女の周りの銅製のパイプが、魔力の奔流によって赤熱し始める。

レンは破片のページを握りしめ、カイを引っ張りながら、彼らが来た扉とは別の、裏の通気口のような狭い通路へと飛び込んだ。

レンが滑り込む直前、彼は見た。扉が内側から吹き飛び、大河が部屋になだれ込む姿を。そして、ミズホがその場から動かず、自らの命を犠牲にする覚悟で、巨大な歯車機構と一体化しようとしている、その悲劇的な横顔を。

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