メトロノーム
右に、左に。フラッカ・フリューリングの心は振れる。
あまりに振り回されたので、最近は少し疲れてきた。
薄暗いステージの上。閉じられたグランドピアノの上で、メトロノームが揺れている。四回に一度ベルを鳴らして、規則正しく針を揺らす。刻む拍子は〝緩やかに〟。そんな風にじりじりと、世界は終わろうとしている。
その事実を知ったとき、フラッカは絶望した。そして真綿で首を絞めるように緩やかな終末に苦しんだ。そのうちに、疲れてしまった。今は機械のように日々を過ごしている。この小さなバーで、歌を歌って。
バーの開店には、まだ時間があった。拍子を数えているのに飽いたフラッカは、振り子を止めてステージを下り、客席の向こうの階段を登った。
半地下の店内を出ると、沈みかけた太陽が赤く染めた景色が目に入った。心地良い風が通り抜け、フラッカの肺が磯の香りで満たされる。穏やかな潮騒。店の目の前は海だ。
セピアに染まった海との境、波で削れた防波堤に天使が座っていた。ひとまとめにした金の髪を揺らし、こちらの背を向けて、海側に足を投げ出して。淡い色のワンピースは残照で色が判然としないのに、その背に生えた翼は白色を貫いている。
天使は熱心に海を見つめていた。かと思えば、時折自分の膝元に視線を落としていた。そっと近づいて覗き込んで、彼女が絵を描いているのだと分かった。いろんな色の混ざった赤い海。水平線は歪み、雲は重そうで、世界の終わりが描かれているようだった。
「天使の目にも、この世界は絶望的に映るのね」
憂いに思わず溜め息を溢すと、
「……絶望?」
むっとした表情で天使が振り返った。整った顔立ちに見えるあどけなさが、フラッカに抗議している。
天使はスケッチブックを掲げ、目を細めて自分の絵を見た。そして、肩を落とした。
「……まあ、確かに私は絵が上手ではないらしいが」
拗ねたように頬を膨らませて、手にした色鉛筆で紙を塗りつぶす。絵がさらに悲惨なことになって、フラッカは苦笑いした。
「この景色は綺麗じゃないか。切り取って残して置きたいほどだ」
だから天使は絵を描いているのだ、とフラッカは悟った。
「刻一刻と世界は移ろう。総てを残してはおけないのは、もったいないな」
天使が海を見つめる姿は、この上なく穏やかで美しく。
フラッカは少しだけ羨ましくなった。
刻一刻と天が墜ちる。フラッカは、機械仕掛けの日常の中で少しだけ、揺らぐ世界を見つめるようになった。




