ポメとマカロン
「きゃふ」
(よう、俺)
俺が右手を挙げれば、鏡の中の俺も右手を挙げる。
「わふ」
(やあ、俺)
俺が左手を挙げれば、鏡の中の俺も左手を挙げる。
「きゃんきゃん」
(今日も花粉が元気爆発しそうな天気だぞ)
はっはっはっと笑えば、鏡の中の俺も舌を出して笑う。
「…きゅふうぅうう~」
(…まあたポメったよほほほほほほほ~)
「わっふ!」
肉球を鏡に押し付けて、ずるずるとカーペットに頭を押し付けてから、一声掛けて俺はベッドへと飛び乗る。
そうすれば、勉強机の上に置いてある物が見えた。
俺の部屋には不似合いな、可愛いピンク色した包装紙に包まれた物が。
「…きゃふぅ~…」
(…なぁんで買っちゃったかなあ~)
◇
「…ホワイトデーって…男の為の日じゃねーの…?」
デパ地下の特設コーナーで、俺は戦々恐々としていた。
いや、義人がデパ地下とか無理って言ってたから、あんなの大した事無かったぞって、ちょっとマウント取ってやろうかな、なんて思った俺が馬鹿だった。
ハッピーホワイトデーとか、書かれた垂れ幕が天井から下げられていたり、ピンクやら赤やらの風船がふよふよ浮いていたり、今年こそは感謝のうんたらとか書かれた、ピンク地のポップがあったり…これ、どう見ても男が来る場所じゃなくね? 周りも女の子やらや大人の女性やらしか居ないんだが!?
けど、ここまで来て手ぶらで帰るなんて出来ないよな!?
適当に選んで、ちゃちゃっと帰ろう、そうしよう。中身とかどうでも良いよな? こう云うのは、気持ちだもんな!? バレンタインにチョコ貰ったから、そのお返しで深い意味はないんだからな!? 何かをして貰ったなら、ちゃんと『ありがとう』って言うんだぞって、雄兄が言ってたからな! 俺はちゃんとお礼が言える男だからな!
「あっれー? 白井じゃん」
「何してんの?」
ほわっ!?
なるべく人の少ないワゴンに、こそこそと俯き加減で向かい、目に付いたそれを手に取ったら、思い切り俺の名前が呼ばれた。
「なになに? 誰かからチョコ貰ったの?」
「ええ? 白井が~?」
ギギギ…と、錆び付いたネジの様に顔を動かしたら、同じクラスの女子が居た。
「あれ。でも、バレンタインは休みだったよね?」
「あ、そうだ! 黒川君も休みだった!」
黒川ってのは、義人の苗字だ。てか、何でこいつらが居るんだよ!?
「かっ、母ちゃんへのお返しだよ! てか、何でお前らがこんなトコに居るんだよ!? ここはホワイトデーの売り場だぞ!!」
「何でって、友チョコのお返しに決まってるでしょ。ねー!」
「ね!」
と・も・チ・ョ・コ。
そ、そうか! それで、こんなに女の人で溢れかえってるのか。てか、友チョコ? こいつら本命居ないのか? そいや、チロルチョコとか言ってたのもこいつらだった?
「…ちょっと…何、その可哀想な子を見る目は…」
「お母さんからしかチョコを貰った事ない子に、そんな目で見られたくないんですけどー」
「うっ、うるせーっ!!」
男が女に口で勝てる筈が無い!
沈黙は金! 逃げるが勝ち!! って、雄兄が言ってた!!
俺は手に取った物を手に、捨て台詞を吐いてレジへと走った。
◇
そんな事があったのが、昨日の日曜日。
買ったこれを、今日、何時、どうやって渡せば良いのかと悶々としながら眠って…朝、目が覚めたらご覧の通り、ポメってた。
ぎっくり腰どころの頻度じゃないよな、これ。何だよ、もう。ポメって月の使者なのかよ。
「兄貴ー。ごは…」
ベッドの上でゴロゴロ転がっていたら、弥生がやって来た。一瞬、動きを止めたと思ったら、ササッと傍に来て、枕元にあった俺のスマホを手に取って操作しだした。
「きゃふっ!!」
(おい、何勝手に弄ってんだよ!)
「あ、義人さん? うん、弥生。兄貴がまたポメったから宜しく。って、訳で…それ、ちゃんと渡しなよ」
クイッと弥生が顎を動かした先は、俺の勉強机だ。
「ぎゃんぎゃんっ!!」
(おまっ!! 何勝手にっ!! てか、何でバレてんだよ!?)
「ポメの声がするっ!!」
「何!? 先月は見逃したからな!!」
大声で叫んだせいか、母ちゃんと父ちゃんの声が聞こえて来た。
「…きゅふうぅうううう~」
…ああ…何でウチの家族はこんななんだ…。
◇
「…睦月、生きてる?」
父ちゃん母ちゃんに散々構い倒された後に、義人がやって来て俺は解放された。てか、チャイムが鳴った瞬間に、弥生が父ちゃんの手から俺を取り上げて、そのまま玄関まで連れて行って『はい。親が五月蠅いから、出掛けるまで兄貴の部屋に行ってて』って、義人にバトンタッチされた。
…助かった。
ポメの毛を持ってしても防ぎ切れない、父ちゃんの髭剃りのあとよ…。
「…きゃう…」
(…生きてるし…父ちゃんの髭剃りのあとで死ぬとか最悪だろ…)
ベッドに座って、その膝の上に俺を乗せて頭を撫でる義人に、軽く頷いた。
頭を撫でる手は優しくて、腹に回された手は温かくて、俺、何悩んでたんだろなって思った。
「でも、何でまたまたポメったの?」
「きゃふ」
だから、義人のその言葉に、俺は素直に首を動かして勉強机を見た。
「…え?」
それを見た義人の動きが止まる。
「…俺、に?」
「きゃう」
俺が頷けば、義人は俺をそっとベッドの上に下ろして、勉強机の方へと歩いて行って、ピンクの包みを手に取った。
「う、わ…。やべ…すっげー嬉しい…」
そう言って笑う義人の顔が何か眩しくて、更には目に涙も浮かべてるから、俺のちっちゃい心臓がドクンッてなった。
「開けていい?」
「きゃん」
その為に買ったんだからな。お前に食って貰わないと可哀想だろ。中身知らないけど。
「ありがと」
って言いながら、義人が包みを開けていく。壊れ物を扱う様に丁寧にゆっくりと。包装紙なんかどうせ捨てるんだから、べりべり破けば良いのに。
「…え…? マカロン…? え? 嘘だろ…? いや、睦月だし…意味は知らないよな…? え、でも…。俺が毎年あげるチョコより高い…え、マジか…」
「きゃふ?」
マカロン? 何それ美味しいの? てか、高いって何が? まあ、小遣い貰ったばっかで良かったって思ったけどな。
何かブツブツ言ってる義人の言葉は良く聞き取れなくて。けど、やっぱり嬉しそうなままで。
「二人で食べようか」
「きゃん」
首を傾げた俺を義人は抱き上げて笑うから、俺も笑った。
そうしたら『ありがと』って、また鼻ちゅーされた。好きだよな、鼻ちゅー。まあ、俺も嫌じゃないけど。何か安心するし。慣れたのかな?
それから義人と二人で、色とりどりのマカロンを半分こしながら食べた。
全部、義人が食べても良いんだけどな?
でも、嬉しそうに半分に割って寄越すから、俺は尻尾を振りながら食べた。
○年後の、とある二人。
俺と睦月はパートナーシップ制度のある街に引っ越して来た。
届けを出したその夜。
そう、初夜だ。
初夜だよ、初夜なんだよ。
それなのに。
「何で、風呂入ってる間にポメってんだよおおおぉおおおおっ!!」
「ぎゃうっ!!(知るか)」