新春、ポメ始め
吾輩は猫である、名は未だ無い。
と云う一文を俺は鏡の前で思い出していた。
まあ、鏡に映っているのは、真っ白なふっわふわのポメラニアンなんだけどな。
「きゃふ」
(ほれ)
と、俺が右手を上げれば、鏡に映るポメが右前脚を上げる。
んべっと、俺が舌を出せば、鏡に映るポメも、はっはっと赤い舌を出した。
「きゃふ」
(うん)
俺、ポメった。
「きゅふぅ~…」
(マジか~…)
人が突如ポメラニアンになると云う奇病が発生してから、既に数世紀が過ぎていた。
原因は解らず『もう、新たな種にしちゃえば良いんじゃね?』って、なってから更に数世紀。
解っている事は、ストレスやらショックやら何やらが原因でポメるらしいと。
人に戻るには、そのストレスやらを解消させれば良いと。一般的には多幸感を与えれば良いとされている。てか、それでポメった奴らは人間に戻ってる。ただ、一度ポメるとポメやすくなるそうだ。ギックリ腰かよ。
ま、それは置いといて。
…ポメった原因は…あれしかないよなあ~…。
◇
「食べ物は人間と同じで良いのよね? お雑煮いけるかしら?」
「ぎゃんっ!!」
(餅は止めろ!! 息子を殺す気か!!)
鏡の前で項垂れていたら、昼になっても起きて来ない俺を心配した母ちゃんがやって来た。で、ポメった俺に目を丸くしたものの、直ぐに俺を抱きあげてリビングへと連行して行った。
「見て見て~、睦月ったらポメったのよ~」
「何だ。睦月でもストレスがあったのか。まあ、冬休み中で良かったな。学校始まる前に戻るかな?」
母ちゃんが俺の両脇に手を入れて、ホットカーペットの上で横になってテレビを観てる父ちゃんに差し出せば、父ちゃんはとんでもなく失礼な事を言って来た。ムカついたから、自由な(後ろ)脚をバタバタと動かしたら二人から『可愛い~!!』との有難くも無い言葉を貰った。ポメ化が受け入れられた原因はこれだろ、これ。
可 愛 い は 正 義 。
「ぎゃふぎゃふ!!」
(和んでないで飯食わせろ飯!!)
母ちゃんの手から抜け出して、手(前脚)でたしたしとホットカーペットを叩きながら抗議すれば、更に『かーわーいーいー!!』と、黄色い声と野太い声の合唱が聞こえて来た。
で、母ちゃんが言った言葉が雑煮である。ポメの手(前あ…以下略)じゃ、餅が喉に詰まったら取れないだろがっ!! 餅を喉に詰まらせて、口の前で手をわきわきさせて藻掻くポメを見たいのか!? ああ!?
「もう、冗談よ冗談。おせち、お皿に取ってあげるわね」
「ぎゃふ!」
(最初から素直に出せよな! ポメで遊ぶな!)
「うわ、混んでるな…弥生大丈夫か?」
テレビを観てた父ちゃんの呟きに、伊達巻きを齧ってる俺の耳がピクリと動く。
テレビ画面に映し出されているのは、各地の初詣の様子だ。何処もかしこも満員御礼。そんな中継される程…いや、ローカルなら中継されてるか? まあ、そこに俺の一つ下の弟の弥生が行ってる筈だ。ってか、父ちゃんの口振りからして行ってるのは間違いないけど、俺は出掛けるのを見た訳じゃないし。親友とラ〇ンしてる内に寝落ちて、起きたらポメってたからな。
「雄太君が居るから大丈夫でしょ。昔からそうだったけど、更に落ち着いたわよね~」
母ちゃんの言葉に、俺の尻尾がペタンと垂れるのが解った。
…あー、本当に二人で行ったんだな…。
雄太こと、雄兄は、家の隣に住んでた八つ年上の幼馴染みだ。
大学へは行かずに高校卒業と同時に就職して、一人暮らしを始めた。で、この年末年始の休みに久しぶりに帰って来た。久しぶりに見た雄兄は、昔からそうだったけど、更に落ち着いていて大人の雰囲気を醸し出していた。
久しぶりって、頭を掻きながら何処か照れ臭そうに笑う雄兄に、俺は何だか気後れして『お、おう…』ってボソッと言うのが精一杯だった。けど、弥生は『雄兄!!』って、笑顔で両手を広げてその胸に飛び込んで行った。
…何か、もやっとしたんだよ。
迷わず抱き付いて行く弥生の姿に。
そんな弥生の肩に手を置いて、柔らかく笑いながら頭を撫でる雄兄の姿にも。
「睦月は…って、ポメじゃ行け…いや、父さんが連れて行ってやろうか?」
何、鼻の下伸ばして言ってるんだ。
『可愛い~!』って、ちやほやされたいだけだろ。ふざけんな。行くんなら、一人で行くわ。
「え、ポ…睦月を連れて行くなら、私も行くわよ」
おい!『初詣なんて、混むのが解る三が日に行く物じゃないわよ。松の内に行けばいいのよ』って、言ってたのは誰だ!? てか、今ポメって言いそうになったな!? 人のポメを笑う奴はポメに泣くんだからな!? 雄兄が言ってたぞ!!
ふんすふんすと鼻を鳴らしていたら『ピポーン』と、チャイムの音が聴こえた。
「あら、誰かしら?」
「初詣に行くんだから、長話はするなよー」
リビングから出て行く母ちゃんの背中に父ちゃんが暢気に声を掛ける。
行くの決定かよっ!! 俺は行かないからな!! 見せ物になる気はない!!
◇
「おじさんとおばさんに悪い事したかな?」
「きゃふ」
(別に助かったし)
「そっか」
片手で俺を胸に抱きながら、ぽふっと俺の頭に手を置いてわしゃわしゃ撫でるのは、親友の義人だ。昨夜のラ〇ンの相手。今日、俺と初詣に行く約束をしたのに、待ち合わせ場所に来ないから、家に来たと。それを聞いた母ちゃんが『お友達との約束が先よね』と、目を丸くする義人に俺を預けた。が『…いや、流石に潰されるかも知れない場所に連れて行けないだろ…』と、晴天の下、家の近くの寒風吹きすさぶ人気の無い公園に来た。この冬の寒空の下で遊ぶ子供なんて居ないし、ママ友仲間達だってまだ三が日だから井戸端会議は休みなんだろな。
「ま、初詣は睦月が人間に戻ってから行こうな。初めて行くから初詣って言うんだろ? うん」
陽の当たるベンチに座り、俺の頭を撫でながら笑う義人に俺は申し訳なさそうに項垂れる。
「きゅぅ…」
いや、ゴメン。記憶に無い。昨日はむしゃくしゃしながらラ〇ンしてたから、自分が何を書いたとか覚えていない。
「…ポメる程、好きだったんだな…」
…好き? 誰が? 誰を?
「きゃふ?」
ぐりんと首を動かして義人を見上げれば、眉を下げて困った様な顔をして笑ってる。てか、何か泣きそうに見えるんだけど、何で?
「…自覚無しか…」
そう言いながら、義人は俺を膝の上から下ろし隣に座らせてから、コートのポケットからスマホを取り出した。
俺に見える様にと、僅かに空いたスペースにスマホを置いて操作して行く。
義人の指が操作するラ〇ンの画面を俺はじっと見る。そこにあるのは、俺達の昨日のやり取りだ。
『弥生のばーか。雄兄のばーか。九歳差犯罪犯罪ショタショタ』
…頭いてぇ…。俺、何送ってんだよ…。
『キスしてたキスしてた!! 見たの俺だからいいけど、他の奴に見られたらヤバいだろ!!』
あー…うん…。
三十日に雄兄が帰って来てから、弥生は『大掃除の手伝い!』て言って、雄兄の家に遊びに行ってた。自分の部屋の掃除をしろよと思ったけど、あいつは普段から綺麗にしてるし、雄兄の両親は結構な歳だから、男手が増えて嬉しいって感謝された。で、大晦日の夕方、俺は見てしまった。『年越し蕎麦食べるから、早めに夕飯にするわよ。弥生呼んで来て』って、母ちゃんに頼まれて庭に出てさ。胸の高さぐらいまでしかない塀の向こうに二人を見付けてさ、声を掛けようとしたけど、何か声が出なくてさ。だって、すんげー仲良く見えたんだよ。邪魔するみたいで嫌だったんだ。二人、それぞれ紐で縛って纏めた雑誌を持っててさ、年内のゴミ収集は終わったから、それまで物置にしまって置くんだろな~、なんて物置に向かう二人を見てたさ。で、想像通りに物置にしまってさ。で、弥生がキョロキョロしだしてさ。思わず身を屈めたよ。いや、本当に咄嗟に。『…暗いから…わからないよね…』なんて、何かやたら甘えた声が聞こえて来てさ。あいつ、こんな声出せたのか? って思いながら、そお~っと身を起こして、塀の向こうを覗いたら…弥生と雄兄の顔がくっついてた。
ゼロ距離!!
驚いた俺はわたわたと家の中に転がり込んだ。
何だあれ、何だあれ!?
母ちゃんが『弥生は?』って、言ってた気がするけど、返事する気力が無かった。少ししてから弥生が帰って来たけど、俺はまともに顔が見れなかった。
で、昨日の正月。昼に雑煮食べて眠くなったから、自分の部屋に戻ってベッドでゴロゴロしてたら、弥生がやって来た。
『明日、雄兄が初詣に行こうって』
って言われて咄嗟に『あ~、俺、明日義人と行く約束してるんだ』って、言ってしまった。いや、言うだろ。ちらちらと何か言いたげに見られたら、さ。『眠いから』って、頭から布団被って、弥生を追い出すようにしたのは悪かったと思う。
…けど、何か、何か…なんだよ。何か、胸がもやっとしてさ…。俺だって、雄兄と初詣行きたいよ。けど…けど、なんだよ。
夜になっても、そのもやもやは消えなくて、眠い筈なのに眠れなくて、義人にラ〇ン攻撃かました。
『ばーか。ばーか』
『はいはい。じゃ、明日、何時?』
『十一時ぐらいに駅前のマック』
『睦月時間だな』
『文句言うなら行かない』
『はいはい』
『二人を見ても声掛けるなよ』
『はいはい』
そんなやり取りの後、スタンプが大量に画面に並んでいた。泣いてるのとか、ハート飛ばしてるのとか、陰からこっそり覗いてるのとか…いや…何かここら辺記憶に無い…。
「ばーかばーかって言いながら、祝福や応援してるんだよな。これなんか、二人の邪魔したくないって事だろ?」
トン、トンッて、義人の指が俺の言葉やら、花束やハートを使ったスタンプを突いて行く。
…知らんがな…。
「…泣いてるのにさ」
今度は号泣してるスタンプを指差す。
…だから、記憶に無いんだってば。
無いけど、そのスタンプ達の脇には『むつ』って名前がある不思議。
「泣いて泣いて疲れて眠ってポメになったのに、失恋した事にまだ気付かない鈍さも睦月らしいけどさ」
「ぎゃんっ!?」
(失恋!? 誰が、いつ!?)
「好きだったんだろ? 隣のお兄さんの事」
「ぎゃうんっ!?」
(ふぁっ!?)
「はいはい。ま、俺はそんな睦月が好きだけど」
笑いながら義人の手が伸びて来て、その顔の高さまで抱き上げられて、真っ直ぐと目が合う。
「きゃふ?」
好きって、何を今更? 嫌いな奴と中一の時から、高二の今の今まで親友なんか出来ないだろ?
首を傾げてたら、義人の顔が近付いて来て、鼻にふにっと何かが当たった。
「…本当は口にしたいけど、今はこれで我慢する」
離れて行く義人の顔が微妙に赤く見える。寒さのせいなんかじゃないよな。てか、口って言った! くちって!!
「あれ、固まった。おーい? 睦月ー? むつー? むっちゃんー?」
固まったままの俺に、また義人が顔を近付けて来た。
「…お姫様じゃないけど、キスしたら人間に戻るのかな?」
「ぎゃふんっ!?」
「うわ!?」
その叫びと共に、ぼふんって音が聴こえた気がする。けど、そんなの気にしてる場合じゃ無かった。
「さっむ!! 痛い痛い空気が痛いーっ!!」
「あ、服着てないんだ」
着てる訳ないだろ!! ポメった時、ずるずるで邪魔だったから抜け出したわ!!
「じゃあ、はい」
両腕で身体を抱き締める俺の身体に、義人が着ていたコートが掛けられた。
「取り敢えず、それ着て帰ろうか。せっかくの冬休みなのに、風邪で潰れたら勿体無いから」
「お、おぉ…」
「あ、コンビニで靴下買って来ようか?」
「コンビニ行くより、家に帰る方が早い、し…っ!!」
足の裏、痛いし冷たいけど…けど…けど、何か…。
何か、顔が熱いんだよ!!
何だよ、これ!?
って、今、義人が言ったじゃん!
風邪だ、風邪!!
速攻で風邪引いて、速攻で発熱したんだ。それしかない。
だから、早く帰ろう、さっさと帰ろう。
でも…と、隣を歩く義人をちらりと見れば、眉を下げて困った様な感じに笑ってた。
何でかな?
それを見た俺は、またポメるかも知れないって思った。