第14話 王都ゼオン
その後はたいしたトラブルらしいトラブルもなく順調に旅は過ぎていき、そしてラティアたちがルーフデンを旅立ってから2週間後、ついに彼女たちは王都ゼオンにたどり着いた。
正確に言えばまだその堅牢そうな城壁の外に続いている都に入るための長い列に並んでいる状態ではあるが。
「うわー」
馬車の荷台の後部からぴょこんと首を伸ばして周囲の町並みを眺めていたカレンが先ほどから漏らしている感嘆の言葉に、御者台のチェイスとハンスは笑みを浮かべていた。
「ねえねえラティア! 城壁の外の町もすごいよ。あっ、可愛いアクセサリーを売ってるお店まである」
「そうだね。売り子もいっぱい来るし」
「あっ、さっき買った焼き菓子ラティアも食べる? なんか変な味だけど美味しいよ」
「それじゃあ1枚もらおっかな」
先ほどやって来た売り子の少年から買ったお菓子の入った袋をがさがさと漁り、カレンがラティアに円形の焼き菓子を差し出す。
少してかりのある茶色のそれをラティアは受け取り、はむっとかじりつく。パリッという音と共に、香ばしい醤油の香りがラティアの鼻から抜けていった。
「やっぱりせんべいだね」
「へー、せんべいって言うんだ。どうやって作るかラティアは知ってる?」
「たしか米粉をねって平らにして、醤油をつけて焼いたお菓子のはずだよ。料理スキルは高くないはずだけど、材料が特殊だからこの国ではなかなか見ないかもね」
「へー」
ラティアの説明に感心しつつ、カレンもとりだしたせんべいを食べ始める。少し首を傾げながら、味を確かめるように食べるカレンの姿に、ラティアは小さく笑みを浮かべる。
「気に入った?」
「うん。あと色々な料理に使えそうな味だなぁって」
「たしかに使える料理は多いと思うよ。冒険者ギルドの用事が済んだら、その調味料を探してみよっか?」
「うん!」
嬉しそうに返事をしたカレンが、せんべいをパリポリとほおばっていく。
先ほどカレンがせんべいを買った値段からして、醤油が希少品というほどのものではないことをラティアは推察していた。
おそらく探せばルーフデンにもあったのだろうが、普段使わない調味料などカレンは気にもとめなかったのだろう。
「ちょっとは役に立てたかな」
「んっ、ラティアなにか言った?」
「ううん、なんでもない」
初めての王都ということで舞い上がっている感はあるが、売り子から知らないお菓子を買うくらいの余裕が持てたカレンにラティアは微笑みかけ、そして手に持ったせんべいをパクリと口に含んだ。
口の中に広がる懐かしい味が、もしかしたら近い将来木だま亭で食べられるかもしれない。
そんな未来を想像するラティアの頬は自然と緩んでいた。
門番による審査も滞りなく終わり、外壁の門近くの冒険者ギルド前までやってきたハンスが馬車を停めて荷台に向かって振り返る。
「いやー、ほんま今回の旅はラティアはんとカレンはんのおかげで楽しかったわ」
「こちらこそ快適な旅をありがとうございました」
「カレンは食事を作っていたけど、私は特になにもしなかったような気が」
「モンスターをしばいとったやないか。まあラティアはんもカレンはんも、そこにいてくれるだけでええねん。男には潤いが必要なんや」
手を拳にして力説したハンスにカレンとラティアは荷台から降りながら小さく笑みを浮かべる。
その言葉に反して、ハンスは特にラティアやカレンに女性を求めるどころか、よこしまな視線を向けるようなことさえこの旅の間一切なかった。
それを知っている2人はそれが冗談だとわかっているが、親しい付き合いをしてきたはずのチェイスは良い顔をしていない。
「ハンス。あんまり調子に乗ると奥さんにばれるぞ」
「いや、冗談、冗談やないか。いややなー、チェイスどんは真面目過ぎてあかんわ。ほな、また」
ぼそっと呟いたチェイスの肩をハンスがばんばんと力強く叩く。その表情は笑顔のままだったが、だらだらと流れ始めた額の汗は追い詰められたハンスの心情を如実に表していた。
そしてチェイスが降りてすぐに3人とククとチノの2体を冒険者ギルドの前に残し、ハンスは逃げるように馬車を走らせ去っていく。
「ハンスさんの奥さんって、怖いんですか?」
「俺も数回しか会ったことはないが、まあ豪快な性格なのは確かだな。見た目は大人しそうなんだが、ハンスを足蹴にしながらにこやかに完了証を渡されたときはどうしようかと思ったぞ」
その言葉にラティアの頭の中で、床にはいつくばったハンスを踏みつけながら笑みを浮かべる女性の姿が描かれる。
旅の途中で笑い顔ばかり見ていたせいか、ハンスはまんざらでもない表情をしていた。
「えっと、そういうプレイ?」
「ちょ、おまっ。なに言ってんだよ!」
「ラティア、プレイってなに?」
「世の中には、女性にいじめられることに喜びを見出す特殊な……」
「カレンに変な知識を与えようとすんな」
意味がわからないと首を傾げて尋ねたカレンの耳に、ラティアの余計な言葉が届かないようにチェイスが慌てて両手でその耳をふさぐ。
いきなりチェイスに両耳をふさがれたカレンは首を左右に振って驚きを示していたが、ニヤリと笑うラティアに渋い顔で返すチェイスの姿を見て、自分が聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと悟る。
「チェイス、知識は無駄にならないんだよ」
「その知識がどこで生きるんだよ」
「うーん、好きになった人がそういう性癖だったときとか?」
「捨てちまえ、そんな男は!」
「えー、ただの個性だって。多様性の否定をすると炎上するよ」
そんな風に2人がじゃれあっていると、いつの間にか目つきの鋭い女性冒険者がそばまで寄ってきていた。
それに同時に気づいたラティアとチェイスがおしゃべりをやめ、カレンを守るようにして立ち位置を変える。
その女性冒険者は少し驚いたようにその澄んだ緑色の目を開き、そしてそれを再び鋭くしながらチェイスに視線を向けた。
「女をはべらかせて、良いご身分だな黒狼」
「ミラ」
「お前にその名を呼ばれる筋合いはない」
「ああ、すまなかったな。ルドミラ」
「ふんっ」
不機嫌そうに鼻を鳴らし、ルドミラがチェイスを睨みつける。それに対してチェイスは少し悲しげにしながら見つめ返すだけだった。
ルドミラとチェイスの間に過去なにかあったことは明らかだったが、事情を知りもしない者が踏み込めるような空気ではなかった。現にカレンは空気の重さに負けて視線を伏せてしまっている。
ただ、ラティアだけはルミドラの顔をじっと見続けていた。その理由は……
(うわっ、本物のエルフ耳だ。本物はピクピク動くのか。これは参考にしないと)
ルドミラの整った顔の横に広がった長いエルフ耳を観察するのに忙しかった。
ゲームの頃はプレイヤーが最初に選べる種族としてエルフが入っていたため、ルーフデンの街にもそこらじゅうにエルフがいたのだが、ここにラティアとして来てからは一度もエルフを見たことはなかった。
そんなわけもあり、入念に観察を続けるラティアの視線に気づいたルドミラが顔をしかめる。
「色仕掛けでもして黒狼に助けてもらおうとしたのかい? はぁ、これだから下品な人間は……」
「すぐにそういう発想になる、あなたの品性の方が下なのでは?」
「小娘、エルフを馬鹿にしてただで済むと思ってないだろうね!」
ラティアの指摘に、顔を真っ赤にしたルドミラが威圧を放ち始める。
先ほどからのやり取りのせいで集まっていた群衆が後ずさり、その輪を大きく広げていく中、ラティアは首を傾げながらただルドミラを見返していた。
「エルフなんか馬鹿にしてませんよ。私はただ、そういう発想がすぐ出てくるってことはあなたは常日頃からそういう考えを持っているんだろうなって……もごもご」
火に油を注ぐどころか、油の入った壺ごと投げ入れるかのようなラティアの言葉を、チェイスが両手でふさいで無理やり止める。
しかしそこまでの言葉だけで、ルドミラの堪忍袋の緒は完全に切れてしまっていた。
「幼子のような歳の小娘の戯言と流そうかと思ったけれど、一度本気でわからせたほうが良さそうね。あなたに黒狼の隣に立つ資格などないと」
そう告げたルミドラが手を前に掲げたその瞬間、彼女の美しい金の前髪が十数本、はらりと地面に向かって落ちていった。




