第2話 開かないメニュー
ずきずきと痛む頭に顔をしかめながらミツキがゆっくりと目を開ける。もう見飽きた白い天井はそこにはなく、澄み渡るような青い空に薄い雲が流れていた。
「なんだ?」
強制ログアウトの件でまた小言を言われるんだろうと思っていたミツキは、むくりと体を起こして周囲をうかがう。
どこか焦げ臭いにおい漂うそこは半球状に2メートルほどくぼんだ地面の底であり、むき出しの土の茶色以外の情報など……
「なんだろう、これ?」
地面から少しだけ顔をのぞかせているピンク色の水晶のような物体にミツキが気づき、そこに手を伸ばす。そして摘もうとミツキが軽く触れた瞬間、まるで溶けてしまうかのようにさらさらと崩れ去ってしまった。
不可思議な現象にミツキは首を傾げかけ、その途中で固まる。自分の視界に入った、その見覚えがありすぎる美しい白い手に気づいたからだ。
ミツキは確かめるようにその手を開け閉めして自らの手であることを確認すると、自分の体を見下ろす。
ボタンの外れた白いシャツからのぞく胸の谷間は危うい色気を放っており、乱れた真紅のスカートからはすらりとした白い足が見えている。すねまであるハーフブーツの革のこげ茶色がその美しさをより強調していた。
明らかにゲームのミツキでも、現実のミツキでもない。
「ラティアの体だ。うーん、もしかして強制ログアウトのせいでバグった?」
ゲームのミツキとして装っていた変わり者の人形師としてではなく、ミツキは素で驚きの声をあげた。
ここまで致命的なバグはほとんどなかったトワメモでは珍しいな、と考えながらミツキは立ち上がると服についた土を落として凹んだ地面の底から出るべく歩き出す。
「んっ?」
違和感を覚えつつも、それがラティアの体になってしまったからだと無視して地上に出たミツキが改めて周囲を眺める。
周囲を大岩に囲まれ視界が遮られたそこは、ミツキにとっても見覚えのある場所だった。
「土竜の源泉かー。懐かしいな」
そこは外に出ること自体が珍しいミツキが自ら赴いた数少ない場所の一つだ。
生産技能として竜の素材を扱うことができるようになるために、火竜、水竜、風竜、土竜いずれかのクエストをクリアする必要があり、自分の工房から最も近いからという理由でミツキが選んだのがこの大岩に囲まれた土竜の源泉だった。
一際高い、竜が首をもたげているように見える特徴的な大岩をしばらく眺めていたミツキだったが、その方向から響いたピシッという音に嫌な予感を覚える。
そしてそれを証するかのように竜の首部分に亀裂が入り、ミツキなど軽く潰せるほどの竜の顔部分である大岩が転がり落ちた。
「うわっ、マズイ!」
ごろごろとかなりの速度で転がってくる大岩をミツキが慌てて避けようとする。駆けるために地面を蹴りつけると、風のような速さで大岩の進路と離れた場所にミツキの体は動いていた。
先ほどまでミツキの体があった位置を大岩が潰すようにして転がっていき、そして最初にいた凹んだ地面の底でその動きを止める。それを見下ろしながらミツキは大きく息を吐いた。
「さすがラティアの体。生産職とは雲泥の差だ」
もし生産職のミツキの体であれば、大岩を避けるのはギリギリだったはずだ。
人形師のミツキも高レベルであるため、ある程度のステータスはあるものの、そのほとんどは生産に関係してくる魔力や器用さ、幸運などに特化させたキャラメイクをしている。
外に出る時はガチガチに装備を固めてステータスを補正し、一般の戦闘系プレイヤー並にはなっているのだが、それでも比較にならないほどラティアの動きは速かった。
「一級の素材を使っているし、装備補正もあるから当然か」
ハーフブーツでトントンと地面を叩き、ミツキが笑う。
そもそも体を構成する素材によって人形はステータスが決定するのだが、最高の出来を目指したラティアの体は当然現状で手に入れられる最高の素材が使われている。
素材の入手にかかった費用を知れば、普通のプレイヤーが目をまわすほどの金額である。そのステータスが低いはずはなかった。
それに加えて、装備したブーツによる補正もかかっているのだ。生産職の体とは比較にならないのは当然だった。
「ラティアの体、楽しいのは楽しいんだけど。とりあえず運営に連絡しよっかな」
普段とは違う自分の体の動きに面白さを感じつつも、ミツキはバグの報告を入れるためにメニューを呼び出そうとする。
「んっ? あれっ?」
しかしいつまで経っても、宙に浮かぶ半透明のメニュー画面が現れることはなかった。
「メニュー。メニュー画面表示。運営にメール。通報。フレンドリスト表示。ヘルプ。ログアウト」
普段なら必要ないそれらの言葉を発しながら、ミツキは反応がないか試していく。しかしいずれもなしのつぶてであり、首を傾げながら試していたミツキはついに大きく息を吐いた。
「けっこう深刻なバグみたいだ。これってあんまり動かない方がいいのかな?」
そう考えてしばらく大人しく待っていたミツキだったが、ぶんぶんと首を振って立ち上がる。
この土竜の源泉は竜素材を扱うために必要な生産職のクエストがあるが、それ以外のクエストは今のところ実装されていない。
周囲のモンスターのレベルが高くて強い割に経験値や素材がうまくなく、生産職のクエストも他に比べて難易度が格段に高いため人気がないのだ。
「とりあえずここで無駄に時間を使うよりも、街に向かって他のプレイヤーに頼もう。それでなにかあっても保証はされるだろうし」
ここまでやりこんだゲームデータが消えてしまうのは怖いが、このままここに居ても事態が好転するとはミツキには思えなかった。
生産職として運営にはよく連絡しているしなんとかなるだろう。最悪消えてしまったとしてもラティアが残っているのであれば、また一から始めればいい。
そう踏ん切りをつけたミツキが重なった大岩の隙間にできた出入り口から外に出る。
開けた視界に飛び込んでくるのは荒涼とした赤茶けた大地だ。でこぼこした地面には人より大きな岩がごろごろと転がっており、所々に生えたサボテンのみがそこに緑の彩りを添えている。
「誰もいない、か」
ミツキが辺りを見回すがそこに人の気配はなかった。もし会えれば街まで行く手間が省けたのにと落胆しつつ、ミツキは足を踏みだす。
「たしかこっちの方だったはず」
ミツキが首を傾げながらおぼろげな記憶を頼りに進んでいく。
ミツキが土竜のイベントでここにきたのは1年以上前の1度きりであり、その時も竜素材が扱えるようになったら何を造ろうかと考えながらだったためほとんど記憶にないのだ。
だからこそだろう。ここに来る者なら警戒すべきと知っているべき周囲の振動をミツキがさして気にも留めなかったのは。
ミツキの目の前で突然土が吹き上がる。
驚き見開いたミツキの目に飛び込んできたのは、今まさに自分に向けて振り下ろされようとしている5本の鋭い爪だった。
「うえっ!?」
ミツキはとっさに両手を目の前に突き出す。しかしその両手の間を縫うようにその爪は進んでいき、刃と見間違わんばかりの漆黒の爪がミツキの白いシャツに肉薄した。
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本日は3話投稿予定です。次は午後9時ごろに投稿予定になります。




