第17話 エステル
どうにもエステルは極度の引きこもりだったようで、現在はラティアの工房の一室を借りて住んでいるのだがまともに話せるのはサラだけだった。
一応ひとつ屋根の下に住むアシュリーとも面識はあるのだが……
「これだけエステル殿が話しているのを見たのは、拠点にやってきたとき以来でござるな」
と漏らすほどだった。
別にそれは決してエステルを責めているような言葉ではないのだが、ビクリと体を震わせたエステルが申し訳無さそうに顔を伏せる。
とはいえまだアシュリーは視線の中に入るだけましだろう。一緒にいるチェイスやルドミラは明らかに避けられているのだから。
「エステル様は人がちょっと苦手?」
「えっ、あの、その……はい。ごめん、なさい」
「んっ? 別に謝る必要はないですよ。私の知り合いの職人にもそういう人はたくさんいましたし。正直生産者は腕さえあれば仕事は入りますしね」
ラティアの言葉にエステルがほっと胸をなでおろす。
エステル自身、自分がちょっとどころではない人見知りだということを自覚していた。なぜなら昔はどこにでもいる普通の貴族の子女だったのだから。
サリーを壊してしまいその自責の念から引きこもりがちになっていたところに、両親を病で亡くしてしまったエステルは完全に部屋から出られなくなってしまった。
昔から仕える使用人たちは良くしてくれたし、領主として跡を継いだサイモンもエステルを気遣い、なんとか立ち直らせようとしてくれたものの動くことは出来なかった。
もし自分がなにかしたら、また大切なものが消えてなくなってしまうのではないか、そんな脅迫概念が心に染み付いていたのだ。
ただ締め切った薄暗い部屋の中で、人形とも呼べない人形もどきを作り続ける日々。
本当の目的だったそれが、言い訳に変わっていく苦しい日々を過ごしていたエステルの前に現れたサイモンが抱きかかえて持って来たもの。
それは完璧に修復され、動くようになったサリーだった。
「そこにいるのはフリーマ? あらっ、違ったようね。でもとても良く似ているわ。親戚の方かしら?」
その可愛らしい声を聞いた瞬間、エステルの目からはとめどなく涙があふれてとまらなくなってしまった。
エステルが小さい頃、一緒に遊んでくれたサリーは話すことはできなかった。それでもエステルにとっては一番の友だちだったのだ。
もしかしたらこんな風に話すのかな、そんな想像をしていた記憶が蘇り、そして自らを助けるために身を挺して階段から転がり落ちた姿が重なる。
「サ、リー?」
「あらあら、どうしたの? そんなに泣いたら可愛い顔が台無しよ」
とてとてとその小さな足で近づいてきたサリーが、エステルの顔を下から覗き込む。
エステルは座っていた椅子から滑り落ちるようにして床に腰を下ろすと、泣きながらサリーをそっと抱きしめた。
「ごめ、んなさい。サリー。私が、私のせいで、うわぁぁぁん」
「あらあら」
まるで子どものように泣きじゃくるエステルに抱かれたサリーはそれ以上なにも言うことなくそっと抱きしめ返した。
サリーにとってウェルチ家の者は全て家族なのだから。
しばらくしてようやく落ち着いたエステルは事の次第をサイモンに聞いた。
サリーの修理については、生前の両親もサイモンも手を尽くしていたことをサリーは知っている。
そもそも人形師自体少ないのだが、その中でも腕が良いと評判の者には全て声をかけ、そしてその全てに断られていたことを。
「まるで奇跡のようだった。あのラティアという職人に出会えたことはウェルチ家にとって非常に大きな意味を持つだろう」
いきいきとした目をしながら、その恩を少しでも返すのだ、と張り切って出ていったサイモンの後ろ姿を眺めながら、サリーを膝の上に抱いたままエステルはポツリと漏らす。
「ラティア様。本物の人形師。そんな人がこの世界にはいるんだ」
これほど完璧にサリーを直してみせたというのに、その人形師は完全には修復できなかったと自らの腕の未熟を恥じたという。
はるか高みにある人形師のその態度は、エステルの心の奥にくすぶっていたものに火をつけた。
既にサリーを修復するという目的は果たされている。しかしエステルの心に人形造りをやめるという選択肢は不思議となかった。
それよりもそんな本物の人形師に認められるような人形を作れる人物になりたい。その人に人形造りを教わりたい。
これまでの引きこもり生活では全くなかった欲が、次々にエステルの中に湧き上がってきたのだ。
「あらっ、いい顔になったわね」
「うん。私、頑張ってみる。いつかサリーの修復を自分でできるほどの人形師になるために」
「ふふっ、いってらっしゃい。ウェルチの子。私はいつまでもここで待っていますよ」
サリーを机の上に置き、エステルは立ち上がって部屋の外に向けて歩き始めた。そして数年ぶりに自らの意志でその扉を開け、廊下を歩き始める。
執務室で働いているであろうサイモンに、メルローへ行くための相談をするために。
覚悟を決め、旅をするための体力づくりとしてサイモンに鍛えられ、やっとのことでメルローに着いたエステルだったが、そこにラティアはいなかった。
そのころラティアは水晶で飛ばされてオマール共和国にいたのだから。
はるばるウェルチ領から数か月かけてやってきたエステルはがっくりと肩を落としたのだが、そこで運命の出会いを果たす。
それは自分より明らかに幼く、小さいのにもかかわらず一流の職人と遜色のない装備を作り、店を経営していたサラだった。
落ち込むエステルを気にかけ、サラは色々な話を聞かせてくれた。そして部屋は余っているし、知り合いのサイモン子爵の親族なのだからと拠点に住むことをチェイスたちに相談してくれたのだ。
そのおかげでエステルは住む場所を手に入れ、生産職として修行するためにサラと一緒に働くことになった。
独自で『裁縫』などの人形造りに関するスキルは取得していたものの我流だったエステルは、サラの見事なまでの生産技術に目を丸くする。
サラに比べれば、自分が引き込もってひたすらに作っていた時間はあってないようなものだ。それがエステルの正直な感想だった。
しかしサラは決してそんなことは言わず、丁寧にその技術を伝えていった。
「ありが、とう。サラ。こんな私、のために」
「気にしないでください。それに私が教えられるのは『裁縫』だけですから」
そう言ってサラは笑ったが、それがどれだけ幸運なことなのかエステルはわかっていた。
一般的な職人はその身につけた技術を秘匿する傾向にある。それはそうだろう。技術が広まってしまえば自らの製品の価値が下がってしまうのだから。
しかしサラは全くそんな事を気にしない。その持てる技術を、コツをエステルに開示し、教えてくれるのだ。
だからこそエステルは必死にそれに食らいついた。起きている時間のほぼ全てを裁縫技術の習得に使った。
もともと才能があったのか、それとも引きこもり時代の経験の賜物か正しい技術を教えられるとエステルはすぐにものにしていった。
もちろんサラのような装備が作れるわけではない。しかし見習いの職人よりも高い品質のものを作れる程度まで短期間でその腕を上げてみせたのだ。
そして当然のように、エステルはサラになついた。
いや年齢で言えばエステルのほうが5つ以上年上だし、体格に恵まれたウェルチ家ということもありその背は180センチを超えている。
その表現はおかしいとなるのが自然なのだが、実際にはそうとしか言いようがなかった。
1人で生産をし続けてきたエステルの前に現れた、はるか先を行く生産者。そんなサラが優しく丁寧に教えてくれるのだから、依存するのは仕方なかったのかもしれない。
基本的にサラに教えられたとおりに練習し続けるエステルが外に出るのはサラに誘われたときだけ。普通に話せるのもサラだけであり、他の人とは交流をしようとさえしなかった。
サラもその現状に少し思うところはあったものの、とりあえず『裁縫』技術を教えきるまでかラティアが帰ってくるまではこのままでいいかと考えて何も言わなかった。
だからこそ次にラティアの口から出た言葉は、エステルの心に強く突き刺さることになる。
「でも、エステル様が人型の人形を造りたいなら、今のままじゃあダメだね」
お読みいただきありがとうございます。
自動投稿にしていたのですが、投稿されていなかったのでおかしいなと思ったら明日の投稿になっていました。
申し訳ありません。




