第14話 木だま亭の朝
「ごほっ、ごほっ。ちょっとラティア、正気なの!?」
「あー、うん。なんか私、誘拐されたらしくて気づいたらこの国に居たんだ。だからこの国のお金がなくってね」
「えっ、それは大変だったね。じゃなくって、どうやって家賃を払うつもりだったの?」
「いや適当にモンスター狩ればいけるかなって。今日だってホーンラビット狩って1100ゼニーもらえたし」
あっけらかんとそう言い放つラティアをなんともいえない表情で眺めていたカレンだったが、しばらくして大きくため息を吐く。
そしてオニオンスープを飲み始めたラティアの目の前で腕を組んだ。
「いい、ラティア。冒険者なんて危険と隣り合わせの危ない仕事で、ラティアみたいな女の子がする仕事じゃないんだよ。家賃を払うために無茶するなんて絶対にダメだからね」
「それは偏見だと思うけど」
「お父さんがそう言ってたもん。家賃はラティアがちゃんと働けるようになってからでもいいし……そうだ、朝の店の手伝いをしてくれればその分のお給料を私が払うよ。朝は常連さんが来るから忙しいし」
「いや、私は銀級……」
「遠慮なんていいから。じゃあ、さっそく明日から頼むね。ラティア」
そう言って自己解決させてしまったカレンは、ニコニコと笑いながら自分の食べ終えた食器を奥の厨房へ運んで行ってしまう。
その後姿を眺めながら、どちらにせよ冒険者ギルドに行く道をカレンに教えてもらうつもりだったラティアは朝の手伝いくらい別にいいかと考え、それ以上はなにも言わずに薄いスープに舌鼓を打ったのだった。
その後、結局誰もやってこなかった店を2人で片付け、着替えさえ持っていないラティアために貸した服のサイズの一部分が合わずカレンがしかめっ面になったりということはあったものの、それ以上のことはなく2人は眠りについた。
ラティアとしてはゲーム時には行けなかった2階の居住スペースに入れたことに少し驚いたが、それ以外は特になにごともなく夜はふけていった。
ただ自動人形の睡眠は、うっすらと意識が残ったまま体は眠っているという奇妙なものでこれにいつか慣れる日は来るんだろうかと少し不安になったりはしていたが。
翌朝。
まだ薄ぼんやりと空が明るくなってきたところ、ベッドで眠っていたカレンは眠い目をこすりながらゆっくりと身を起こした。出そうになったあくびをそのままに、ベッドから両足を投げ出すと立ち上がって強制的に目を覚まさせる。
そして一歩踏み出そうとして、床に敷かれた毛布にくるまれているラティアを見つける。
「そっか。ラティアがいるんだった」
まるで全く動いていないかのように綺麗な姿勢で眠るラティアの顔をカレンはまじまじと眺める。
シーツに広がったさらさらとした赤い髪は艶があって美しく、きめ細やかな白い肌をした整った顔立ちをしている。うっすらと赤く染まる頬はそれだけで人の目をひきつけてやまないだろう。
そんなラティアの顔を眺めながら、カレンはなんとなく猫に似ているな、などと考えていた。
突然自分の前に現れたかと思ったらずかずかと心の中に入り込み、優しく慰めてくれたかと思えばすっと引いてからかったりしてくる。
その気まぐれさは猫にとても良く似ているようにカレンには思えたのだ。
「変な人だよね、ラティアって」
そう言って笑うとカレンは音を立てないように静かに部屋を出て行く。
普通であれば初対面の人を泊めたり、ましてや一緒の部屋で寝ることなんてカレンは絶対にしない。しかしなぜかわからないが、ラティアなら大丈夫だろうとそう思えた。
トットットと軽い足取りでカレンが階段を降りる。今日から何かが変わる。そんな予感がカレンの胸を騒がせていた。
それから数分後、ラティアがむくりと体を起こす。ラティアはてっきり起こされるかと思っていたのだが、カレンはそのまま下に行ってしまった。
カレンが開店の準備をしているのは明らかであり、家賃を払っていない現状でさすがにこのまま寝続けるのはどうかと考えたのだ。
下着以外、昨日着ていた一張羅に着替えたラティアが階段を降りると、予想どおりカレンは店内の床の掃除をしていた。
「おはよう、カレン」
「おはよう、ラティア。あなたは疲れているだろうから、もう少し寝てても良かったのに」
「手伝うって約束したしね」
カレンからほうきを受け取り、ラティアが床掃除を始める。あまりゴミが落ちているわけではないが、机や椅子の脚の隙間などに多少残っているようだった。
その都度移動してほうきで掃いていたラティアだったが、ふと思いつき左手を振るう。すると四人掛けのテーブルと椅子が空中に浮いた。
「これで掃きやすくなった」
「えっ、机が飛んでる。ラティアがしてるの?」
非現実的な光景に、机を拭いていたカレンが思わず手を止め、目を見開く。
「うん。私のスキルの1つで【操糸】だね。糸を操って色々できるんだ。もちろん限度はあるけど」
「へー、すごいスキルがあるんだねぇ。私なんて【算術】とか【交渉】とか普通のばっかりだよ」
「でも商売には必要な大事なスキルじゃない?」
「それはそうだけどさ」
少し不服そうにしながらもカレンはそれ以上なにも言わずに掃除を再開する。そんなカレンの態度に少しだけ苦笑いを浮かべたラティアは、その後は黙々と床の掃除を続けていった。
日が昇り、通りがざわざわと賑やかになりはじめた六時半。焼きたてのパンを抱えて戻ってきたカレンがドアにかかった看板を『営業中』に変える。
しかし開店待ちをしているようなお客はおらず、少し拍子抜けしたラティアは店の外の清掃を続けていた。
その後、ぽつぽつと常連客らしき人々が掃除をするラティアに不思議そうな視線を向けながら店に入っていくが、カレンだけで十分対応できているようでラティアの出番などなさそうだった。
「それもそうか。今まではカレン1人で営業してたんだし」
窓越しに、手伝いに行く? と視線で確認したラティアだったが、カレンは笑って首を横に振って返してきた。
しかたなくラティアは自分にできることを手伝おうと、少し荒れ気味だった店の外の清掃に力を入れる。
ラティアは周辺を掃き清め、カレンの背では届かなかったであろう外壁の汚れや、枯れたもしく繁茂しすぎた葉などを【操糸】を利用して除去していく。
1時間もした頃には、木だま亭は昨日までの姿よりはるかに綺麗になっていた。
なかなかの出来栄えにラティアはうんうんと満足げにうなずき、集めたゴミを店先の黒色の大きめな箱に突っ込んで店に戻る。
「カレン、表の掃除は終わったよ」
「ありがとう。じゃあ食事の終わった席の片付けとお皿洗いをお願い」
「わかった」
忙しそうにくるくると走りながら厨房に戻っていくカレンにそう返し、ラティアは食事の終わった皿が残されたテーブルを片付けていく。
視線が集まるのを感じつつ、まあ新参者がいれば当然かと割り切って作業していたラティアに隣に座っていた老婆が声をかけた。
「あなた、ラティアちゃんって言うのよね」
「はい。昨日の夕方からこちらでお世話になっています。これからも度々こうやってお手伝いするかと思いますのでよろしくお願いします」
そう言って頭を下げたラティアに、目を細めた老婆が柔らかく微笑む。
「カレンちゃんと仲良くしてあげてね。あの子、強がっているけどとても寂しがりやだから」
「えっと、それはどういう……」
「ちょっと、シー婆ちゃん。ラティアに余計なこと言わないの!」
「あら怖い。お年寄りはもっと大切に扱って欲しいものね」
少し荒々しくカレンが老婆のテーブルにスープを置く。スープはこぼれなかったものの、カップの淵まで揺れた波は達していた。
ぱちりとラティアにウインクする余裕を見せながら、その老婆がテーブルに置かれたスープに口をつける。
この隙に、といわんばかりにカレンは空いた皿を持ったラティアを厨房に連れて行った。その途中、自分たちを見つめる客たちの視線が老婆と同じ色であることにラティアは気づく。
「じゃあラティアは皿洗いをお願い。シー婆ちゃんがなに言ったのかはわからないけどあまり気にしなくていいからね。本当にお節介なんだから」
そんな文句を言いつつも、ラティアにはカレンが怒っているようには見えなかった。
それはそうだろう。初めて会ったラティアでさえ、彼らがカレンのことを心配し見守り続けてくれたのだとわかったのだ。それに気づかないほどカレンは鈍くない。
「いい常連さんだね」
「みんなでおしゃべりしたいだけよ」
そうつっけんどんに返しながら、カレンはそっと服の袖で目元を拭ったのだった。
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本日も2話投稿予定です。
次の話は午後6時ごろに投稿予定になります。




