第9話 ラティアの提案
とりあえずここに塔がある理由、そして人形たちの目的を理解したラティアは、黙ったままルクレツィアを見つめるシスルを眺めて考える。
おそらくルクレツィアは最初の頃はどうであれ、最後のときにはこのまま人形たちが穏やかに過ごしていくことを望んでいたはずだ。でなければ自分の死を意識した時点で、共和国に向けて人形たちを侵攻させていたはずだからだ。
シスルもおそらくそれを理解しているだろうが、例えばこの場所が不用意に荒らされたりした場合、静かに眠り続けるという望みを邪魔した者に向け刃を向けることだろう。
それが侵入した者だけで済むのか、それとも拡大していくのかはラティアにもわからない。
ただ言えるのは、それはルクレツィアが望んでいなかったはずの未来ということだ。
当時はここは森の奥深くで人の手が届くような場所ではなかったかもしれない。しかしもうこの付近には開拓村が造られており、ファーリーベアさえも気にしないラティアのような者がいれば彼我の距離は縮まっていく。
いつ眠りを妨げる者が現れてもおかしくはないのだ。
ラティアは頭を巡らし、そしてシスルに提案する。
「ねぇ、シスル。ここから引っ越さない?」
「引っ越すとは?」
「実はこの近くに開拓村ができているんだ。そこが発展して、いつかはここまで普通に人がやってくる未来が来るかもしれない。そうしたらご主人様の眠りが妨げられちゃうでしょ。だから安全な場所に引っ越すの」
ラティアの思いがけない提案に、シスルは首を傾げ思案を始める。
たしかに主であるルクレツィアからはここから移動してはいけないという命令は受けていない。しかし思い出深いここを出て引っ越すというのは、主の望んだ静かに眠り続けるという希望に沿わないのではないかという考えがあった。
同時にラティアから得た開拓村の情報を考えるとその言い分にも一理あるとシスルは判断していた。
「ここに来る侵入者が確実にいるという状況でない現状では、引っ越しはいたしかねます。いくら機械人形とはいえ我々に残された時間はそこまで長く……」
「それを私なら延ばせると言ったら?」
「……どういうことでしょうか?」
シスルが目を見開く身を乗り出す。高度な思考回路を持つシスルは自分たちの現状を正しく理解していた。
ルクレツィアが生前組み上げていたシステムのおかげで長い時を稼働することができていたが、既に他の機械人形たちは限界に近い。整備する者がいない状況で、ここまでできていたというのが奇跡のようなものなのだ。
すでに動作を停止してしまった機械人形たちも現れており、崩壊の足音はすぐそばまで聞こえていた。
ルクレツィアの最高傑作である自分は、優先的に行動維持できるように組み込まれているためもうしばらくもつはずだがいずれは機能停止してしまうことに変わりはない。
それ自体にシスルが思うことはない。だが、そのことによってルクレツィアの命令を守れなくなるということにじくじたる想いを秘めていた。
それを正しく理解しているラティアの言葉は、シスルにとって暴力とも言える強烈な誘惑だった。
「私、人形師なんだ。自分で言うのもなんだけどかなりの腕のね。機械人形はちょっと専門外なんだけど、話には聞いているしここの資料があれば修理や整備は出来るようになると思う」
「ご主人様と同じ人形師? 人形が、ですか?」
「うん。ちょっと変な感じがするけどね。だからこそシスルのご主人様の思いもなんとなくわかるんだよ。そしてシスル自身の思いもね」
そういって微笑むラティアの顔には、嘘やごまかしなど全くないようにシスルには見えた。
もしその言葉が本当なのであれば、これからもずっとルクレツィアの願いを叶え続けることが出来る。
それは機械人形であるシスルにとってなにごとにも代えがたい喜びだった。
だがだからといって直ちに信用するほど、シスルの思考回路は愚かではない。
「提案を承知いたしました。ただラティア様の人形師としての腕を先に確認させていただきたいと思うのですが?」
「それは当然だね。さっきの1階の機械人形たちでも直す? だいぶガタがきていたみたいだし」
「いえ、他に機能停止している者がいますので、そちらを直していただければ」
「了解。じゃあ行こっか」
なんの気負いもなく、自然にそう言って案内を促すラティアの様子に、シスルの長年凍りついていた心に期待という小さな火が灯る。
そしてその火は、その後にまるでなんてことのないように停止してしまった仲間たちを直していくラティアの手腕にその勢いを増したのだった。
「それではラティア様、今後ともよろしくお願いいたします」
「うん、また明日来るね」
シスルに見送られラティアが手を振りながら塔から外に出ていく。
ルクレツィアが静かに眠れる場所が用意されるのであれば引っ越ししても良いというシスルの言葉を得たから機嫌が良いというのもあるのだが……
「いやー、まさか成功報酬としてミスリルコアまで用意されてるとは思わなかったな」
シスルに素材の保管庫を見せてもらったのだが、そこにあった多くのコアに紛れて1つだけ未使用のミスリルコアがあったのだ。
機械人形たちの修復と引っ越しさえ無事に成功させれば残った素材は好きに使ってもらっていいと言われたラティアの足取りが軽くなるのは当然だろう。
そんなラティアの目の前で木の陰から少し体の小さいファーリーベアが姿を表す。
それを自然に聖龍のひげを伸ばして討伐しようとしたラティアだったが、思い直してその糸を頭上の木の枝にまきつけて体を宙に浮かせ、その突進を回避する。
「エネルギー補給用らしいから、育つまでちゃんと待たないとね」
ラティアを追って木を登り始めたファーリーベアに手を振って別れを告げ、ラティアはそのまま枝葉をすり抜け木の上まで体を浮かせる。
開けた視界には先程までいた塔の先が映っており、ラティアが首を振って開拓村の位置を確認するとそれは真後ろの森の切れ目の端に存在していた。
ラティアはしばしその場で停止し、うんうんとうなずいて呟く。
「よし。塔が外から見えるようになったことも確認できたし、帰ろう」
まっすぐ村に向かっているつもりが、いつの間にか塔に戻る方向に進んでいたことには目をつぶり、ラティアはその身を翻して開拓村に向かって移動を始めたのだった。
すでに村が赤く染まり始めた夕方に開拓村に戻ったラティアは、村長であるマッシモの家にやってきていた。
そこでウーゴから、ファーリーベアの肉をラティアにもらったことを聞いていたマッシモに過剰ともいえるお礼の言葉を受けていたラティアが、少し苦笑いしながら口を開く。
「それでですね、ちょっと気になったので森を探索してみたのですが……」
「おお、それでこんな時間まで。大変申しわけない」
「その成果なんですけど、ちょっとテーブルをお借りしますね」
マジックバッグからファーリーベアの肉を取り出したラティアを見たマッシモの顔に喜色が浮かぶ。しかしそれは次から次に取り出されるそれを見続ける内に青白く変わっていった。
テーブルがミシミシと嫌な音をたて始めたところで、ラティアはマジックバッグから肉を取り出すのを止めた。
「これは……」
「あの森はファーリーベアの巣窟になっているみたいですね。とりあえずしばらく調査と間引きしてみますがあまり手を出さないほうがいいと思います。銀級や金級の冒険者では対応できません」
「あ、ありがとうございます」
マッシモが汗をかきながら深々と頭を下げる。
多少は安定してきたとはいえ、開拓村に余分なお金などない。冒険者に依頼するにしても銀級でもぎりぎり、金級などは夢のまた夢なのだ。
開拓当初にファーリーベアと遭遇し、その脅威を身をもって知っているマッシモにとって、まさにラティアは神、もしくは神の遣わした使いのように思えた。
「あと私は調査に専念したいので、ドロップアイテムの肉などの処理をお願いしたいのですが。ついでに木も伐採して乾燥までは済ませておきますのでそれ以降の利用はお任せしてもいいですか? 私は特に必要ありませんので」
「そ、そんなことまでよろしいのですか?」
「突然現れた私に親切にしてくださいましたし、その御礼です。村の発展のために役立ててください」
「はい。我が身命に変えて精進させていただきます、ラティア様」
そうラティアに伝えた村長は、さっそくとばかりに家を飛び出し村人たちにこのことを伝えるために駆け出していった。
少しの違和感を覚えながらも、ラティアはこちらもなんとかうまくいきそうだと小さく笑い、まだ処理を終えていない木をスキルで乾燥させるために森に向かったのだった。
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