第8話 塔の主
意味がわからないとゆっくりとメイドの首が傾いていく中で、おっ、これはなんとかなるかもと考えたラティアが白いシャツのボタンを外してはだける。
そしてブラのホックをためらうことなく外して胸の上にずらすと、白い綺麗な双丘があらわになった。
その中心部にラティアは手をやり、わずかに色の違う薄い傷跡のようにも見える扉の縁に指をかけるとをそのままそれを開いた。
ぽっかりと空いたラティアの胸の奥の空間で、オリハルコンコアの光が鼓動のように明滅を繰り返す。
「ほらね?」
「たしかに人形ですね。侵入してきた人形への対応は指示されておりません。自己判断モードに切り替えます。類似事例より推察を実行。攻撃可能範囲は人、モンスターに限定されていることから攻撃対象外に認定します」
ぶつぶつと呟きながら考え始めたメイドの機械人形の姿に、内心ガッツポーズをとりながらラティアが命令を回避するように判断を誘導していく。
「同じ人形なんだし、私もあなたと同じ扱いになるんじゃない? もちろんなにか悪いことをしたら処分されるだろうけど」
「対象の意見を検討します。同じ人形であるということから妥当な点はあると判断します。ただ役割がないため、対象の行動範囲などの検討が必要になります」
メイドの機械人形の答えに、ラティアは機械人形ごとに行動範囲が設定されていることを認識する。例えばラティアを取り囲んでいる4本足の警備ロボットのような人形たちは、このフロアのみが指定されているのだろうと。
下手に放置しておくと、役割がないからずっとここにいるようにと判断されかねないと判断したラティアは、機械人形の着ているメイド服を眺めて少し口元を緩める。
「うーん、ゲストということでいいんじゃない?」
「ゲスト? お客様ということでしょうか?」
「うん、そう。だって役割がないのってお客様くらいでしょ」
ラティアの言葉にしばらく固まったまま思考し続けていたメイドの機械人形が、傾げていた首を戻す。
そしてラティアに向かって再び綺麗なカーテシーをしてみせた。
「不躾な対応申し訳ございませんでした、お客様。我が主の居城でごゆるりとお寛ぎください」
「ありがとう。私はラティア、よろしくね。ところであなたには名前はあるの?」
「主にはシスルと呼ばれています」
「そっか。じゃあとりあえずシスルの御主人様に挨拶に行かないとね。客として礼儀だし」
「承知いたしました。こちらへどうぞ」
シスルの判断に、周囲を取り囲んでいた4足歩行の機械人形たちは壁際に戻っていき、再び棚のような姿に変形して動かなくなる。
そのギミックを楽しそうに眺めながら、ラティアは先導するシスルの後に続いて階段を上っていった。
途中の階層で見える生産施設やよくわからない機械的なポッドに目を輝かせながらラティアは最上階である10階層までたどり着く。
階段からフロア全体が眺められたこれまでの階とは違い、年季を感じさせる木の扉がそこには設えられていた。
シスルがそのドアをノックし、中に向けて声を掛ける。
「ご主人様、お客様をお連れしました。ご挨拶に伺いたいとのことです」
シスルはそのまましばらく待ち、そしてラティアに向けて頭を下げる。
「申し訳ございません。ご主人様は最近ずっと眠っているのです」
「そっか。それじゃあ、ちょっとだけ挨拶してもいいかな。起こさないように静かにするから」
「承知いたしました」
ラティアの要望に、シスルはうなずきそっとドアノブをひねってその扉を開ける。
壁際には分厚い本が並んだ棚が並び、その隣にはちょっとした書き物をするためのデスクが設えられている。
そしてそれとは反対の壁際に置かれたベッドの上には、シスルのご主人様が眠っていた。
「こんにちは、ラティアといいます。今日はいきなり訪ねてきてしまって申し訳ありません。シスルさんに丁寧に対応していただきました。ありがとうございます」
すでに目はなくなり、空虚な2つの暗闇が広がるその顔にラティアが頭を下げる。
ミイラ化したシスルのご主人様からの返事は、当然のことながらなかった。
すでにシスルのご主人様が死んでいるだろうことはラティアにはわかっていたので驚きはない。
しかしシスルほどの人形を作れる人形師と生きている間に出会いたかったという思いに、ラティアの表情は歪んでいた。
しばらくベッドの上で亡くなっているシスルのご主人様を眺め、ラティアははぁ、と深く息を吐いてシスルに向き直る。
「シスル。少し部屋を見て回ってもいいかな? ちょっとご主人様のことを知りたくて」
「特に禁止されておりませんのでどうぞご自由に」
「ありがとう」
シスルの許可を得たラティアはゆっくりと部屋の中を見回す。棚に並べられた本の半分程度には背表紙がなく、抜き出してパラパラとめくって確認したところ、それは本人が書いたレポートのようなものだった。
機械人形の制作にかかる試行錯誤がそこには詳細に記されており、この著者の有能さと几帳面さをラティアに感じさせた。
そしてラティアは机の片隅に開かれたまま置かれたノートに視線を向ける。配置的に明らかに重要ななにかだとうかがわせるそれをラティアは手に取り、ゆっくりとそのページを視線で追う。
それはシスルのご主人様の日記帳だった。開かれたページには体調が思わしくないこと、人形の制作過程などが、1行程度で簡単に書かれている。
ラティアはペラペラとしばらくそれめくったが同じようなことばかりだったため、どうせならと最初のページを開きなおす。
そこには先程までの簡素さが嘘であるかのように、怒りをぶつけるように書きなぐった長文が記されていた。
ラティアはそれを黙ったまま読み、円形に滲みところどころ読みにくくなっていることにその心情をおもんばかる。
「そっか、シスルのご主人様は王族だったんだね」
「はい。オマール王国、第1王女ルクレツィア・ド・オマール殿下です。優れた人形師であり、慈悲深く気高いお方でした」
どこか懐かしそうに話すシリルの言葉に、ラティアはピクリとその眉を動かす。
そのノートの最初に書かれていたのは、怨嗟と呼ぶにふさわしい激情だった。
ある日起こった民衆の蜂起によって両親どころか家族全員を殺され、唯一ルクレツィアだけが郊外の秘密の工房にこもっていたため助かってしまった。
いつもの近衛騎士とメイドだけを連れて何も知らずに戻った王都で、ルクレツィアはさらし首にされ、尊厳を辱められた家族との再会を果たす。
泣き崩れるルクレツィアをすぐに近衛騎士とメイドが連れ出したが、彼女はしっかりと見てしまった。大切な家族の死体に石を投げ、楽しそうに笑う醜悪な民衆たちを。
これはあくまでルクレツィアの主観だ。書かれたのもおそらく当日ではないだろう。
しかしそれでも、こんな書くのも嫌だろう事実をいつか誰かに知ってもらうために日記に書き残したルクレツィアの思いはラティアに伝わっていた。
そのページの最後にはこう書かれていた。
『私はいつか必ず復讐を果たす。この命が尽きようとも私の意思は受け継がれるだろう』
と。
ふぅ、と息を小さく吐いて、ラティアが丁寧にその日記を閉じる。
そしてシスルのほうに向き直ったラティアは、片側のはがれたその顔を眺めながら尋ねた。
「ご主人様が死んでいることを、シスルは理解しているんだね」
「はい。主の健康を気遣うのもメイドの勤めだとメイド長より教えられております」
「そっか」
おそらくそのメイド長は先ほどの日記に書かれていたルクレツィア付きのメイドのことだろう。きっと外で朽ち果てていた家に騎士とメイドが住んでいたんだろうなと予想し、ラティアは目を閉じて彼らの冥福を祈った。
「ご主人様の最後の命令を聞いてもいいかな。国を滅ぼせとは言われていないでしょ」
「はい。ご主人様は静かに眠り続けることをお望みでした。そして我々にそれを守るようにと命じてくださいました。この辺境の森の奥に来る者など、ましてや結界の中に入れるものなどいないとわかっていたはずなのに。ご主人様は、復讐より我らの身を案じてくださったのです」
そう言って慈しみにあふれた表情でシスルはルクレツィアを見つめる。
「優しい人だったんだね」
「はい」
シスルは人形であるため、その瞳から涙が流れることはない。しかしその顔から悲しみの雫がこぼれ落ちていくのをラティアは幻視していた。
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