第12話 会いたい人
リックと名乗ったその少年の背中を追ってラティアは歩いていた。人とすれ違うことさえできないだろう細く複雑な通路をリックは迷うことなく進んでいく。
「でもさー、もうちょっと危機感をもとうぜ。あの先のスラムに足を踏み入れてたら今頃どうなってたか……それに俺のこともすぐに信用しちまうし」
「心配してくれてありがとう。でもリックは悪い子じゃないでしょ?」
「いや、それはまあ」
ラティアに微笑みかけられ、リックは思わず頬を真っ赤に染める。そしてぷいっと視線を前方に戻して足を早めた。
ラティアより頭一つ分ほど小さなリックの頭には先の少し折れた犬耳がついており、ピンと伸ばされた茶色の尻尾とともにピクピクと動いている。
その衣服は使い込まれた服をさらに補修したようなボロボロの物で薄汚れてしまってはいたが、その一部分にラティアは目を留める。
「リックの服の縫製、ものすごく丁寧にしてあるね。もしかして自分でやったの?」
「そんなわけないじゃん。仲間にこういうのが得意な奴がいるんだ」
「へー、すごいね」
「だろ」
へへっと嬉しそうに笑うリックを眺めながら、ラティアは素直に感心していた。
いちおうこの世界にもミシンのようなものは存在する。しかしそれは非常に高価でありリックの姿から考えても、その裁縫が手縫いであることは明らかだった。
(本当に綺麗。本返し縫いなのは頑丈さを優先したんだろうな。幅も均等で直線のずれもないし……あぁ、うずくなぁ)
腕のよい職人技を目にして、ラティアの生産職の心が沸き立ち始める。いつの間にかラティアの顔はニンマリと楽しげに緩んでおり、そのしまりのない顔のままリックの後を追いかけ続けた。
そして急に視界が開け、ゲームで見覚えのある通りの景色が広がった。
「たぶんこの辺りだと思うけど、大丈夫そうか?」
「ありがとう、十分すぎるよ。じゃあこれはお礼ね」
ラティアが腰に提げた袋から2枚の硬貨を取り出す。現在のラティアの全財産である1100エルだ。
それを手渡すとリックは満面の笑みを浮かべ、そして微笑ましそうに自分を見つめるラティアからぷいっと顔を背けた。
「けっ、しけてんな。じゃあな、もうスラムなんかに近寄るんじゃねえぞ」
「うん。じゃあまたね、リック」
「だから来んじゃねえっていってんだよ、バーカ」
べー、と舌を出し、リックはくるりと身を翻すと細い通路の奥に消えていく。
それを見送ったラティアは、楽しい出会いにニコリと笑みを浮かべながら目的のカレンの店に向けて歩き始めた。
大通りから少し奥に入ったこの通りは、商人などの外からやってくる者たち向けではなく地元の庶民たちが利用する商店が並んでいた。
必然的に生活用品や食料などを販売する店舗が多く、顔なじみばかりのため大通りで聞こえていたような威勢良く客を呼ぶ声などは聞こえない。買い物というよりは、どこか井戸端会議をしているような雰囲気すらある。
逆に言えば、見慣れない、しかも絶世の美少女であるラティアの姿はこの上なく目立つということだが、ラティアはそういうことには無頓着だった。
しばらくきょろきょろと視線を振って確かめながらラティアは歩き、そして目的のカレンの店にたどり着く。
周囲の店に比べ清掃が行き届いていないため薄汚れており、『木だま亭』と書かれた看板には枯れた蔦の葉が絡みついたままになっている。
外から見た限り客が入っているようには見えず、それどころか営業しているかどうかすら判然としなかった。
「よし。入るか」
ラティアは迷うことなく店に向かうとその扉を開いて中に入る。カランという来店を知らせるベルが鳴ったが店内で人が動くような気配はない。
「買い物にでも行ってるのかな?」
今の時刻は午後3時過ぎ。夜の仕込みをするための材料の買い出しに行くことは考えられる。ゲーム内でラティアがカレンと出会ったのはまさしくその買い出ししているときだったのだから。
仕方がないから待つか、そう決めたラティアはカウンターのいつも自分が座っていた席に向かう。そしてカウンターの奥で伏せるようにして眠るカレンの姿を見つけた。
ラティアの記憶にあるカレンより頬がこけて顔色も悪く、一つ縛りにした茶髪もどこかぼさぼさしている。
閉じられた瞳から伝った涙がカウンターに小さな水溜りを作っており、それがより一層カレンの置かれた状況の悪さを示していた。
「お父さん、お母さん。なんで、なんでいなくなっちゃったの?」
そんな悲痛な呟きとともに、カレンの表情が苦しげに歪む。それを見たラティアは静かにカウンターの中に入ると安心させるようにゆっくりとその髪を撫でた。
少しでもカレンが悪夢を見ないようにというラティアの願いが通じたのかどうかわからないが、カレンの表情はほんのわずかに和らぎ、苦しげな寝言を言うことはそれからはなかった。
カレンが目を覚ましたのはそれから2時間以上あとのことだった。
少し苦しげに顔をゆがめ、カレンがゆっくりとその目を開ける。変な格好で寝てしまったせいで体はバキバキに固まってしまっており、湿っぽい頬の感触で自分がまた泣いていたことを察する。
でもいつもよりなぜか、ほんのわずかだが心が軽いように感じ、カレンは少し笑みを浮かべて顔を上げ、カウンターに座る見知らぬ美少女と目を合わせる。
「えっ、どちら様?」
「どちら様、と言われても。うーん、お客様かな?」
「し、失礼しました! ただいま注文をうかがわせて、うわっ」
慌てて椅子から飛び降り、バランスを崩しかけたカレンに向けてラティアが手を伸ばす。その指先から伸びる聖龍のひげはラティアの意思のとおりに柔らかくカレンを受け止めた。
転ぶと思っていたのに何かに支えられ、不思議そうにきょろきょろと周囲を見回していたカレンだったが、なにかしらの方法でラティアが助けてくれたのだろうと考え、ぺこりと頭を下げる。
「重ね重ねすみません。ご注文はいかがいたしましょう。あいにく軽食くらいしかご用意できないんですが」
「いや、食事をしにきたわけじゃくてね」
「ん? どういうことですか?」
意味がわからないとばかりに首を傾げるカレンとまるで鏡合わせのようにラティアも首を傾げる。
第一の目的であるカレンの様子を見に来たと伝えれば、なんで? となるだろうし、第二の目的である奥の工房を借りたいということにしても、なんで工房があることを知っているの? と聞かれるに決まっている。
本当であれば1100エルで食事を注文し、適当に会話を繋げてなんとかできないかとラティアは考えていたのだが、道案内の代金としてリックに払ってしまったためそれもできない。
ラティアはしばし記憶をめぐらし、そしてポンと手を打った。
「私、ラティアっていうんだけど、以前に私が借りていた工房に併設されていたお店にとても良く似た雰囲気だったので懐かしくて。こういうカフェの奥に工房がある変わった造りだったんですよ。すごくお世話になったなぁ」
「そうなんですか」
まるで天使のような柔らかな微笑を浮かべながら優しく言葉を紡いでいくラティアの姿を、ぽーっとした表情をしながらカレンが見つめる。
その言葉の端々から、どれだけラティアが以前の貸主に感謝しているのかが十分すぎるほどカレンにも伝わった。
きっと良い関係だったんだろうな。そんなことを考えるとともに、同じような建物なのに今の自分の状況はどうなんだ、と比較してしまいカレンの表情が暗くなっていく。
沈んでいくその笑顔にラティアはわずかに眉を下げたがそれ以上は反応せず、あえて気づかないふりをしながら袋の中から黒犬の人形を取り出し、少し明るい声で話を続ける。
「私ね、今日この街にやってきたの。しばらくはこの街に滞在するつもりだから拠点にできる工房が借りられないか探していたんだけど、道に迷っちゃって。そうしたら、たまたま前の工房に似た雰囲気のお店があったからお邪魔しちゃった」
机の上に置かれた黒犬の人形が、こめんね、とばかりに大仰な仕草で頭を下げる。
カレンはその少し気取った動きに笑みを浮かべると、ちらりとラティアの顔色をうかがい、目を閉じて大きく息を吐いた。
少しの沈黙の後、目を開いたカレンは真っ直ぐにラティアを見つめる。
「あの、ここにも奥に工房があるんです。もしラティアさんさえよければ借りませんか? 1月につき15万、いや10万エルでいいですから」
決死の思いのこもったその言葉にラティアは柔らかく微笑み、そして静かに首を横に振ったのだった。
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本日も2話投稿予定です。
次は午後6時ごろに投稿させていただきます。




