第1話 人形師の最高傑作
その部屋は外の世界とは隔絶した空間だった。
そこを支配するのは、今部屋の中央にある広い作業台の前に佇む無精ひげの男だ。ひょろりとしたその体は雪のように白く不健康極まりない様相をしていたが、そのギラギラとした瞳は活力に溢れている。
部屋の壁面に並ぶ棚の一角には、依頼により製作途中の彼の子どもたちが鎮座しており、そのうつろな瞳は彼と彼の目の前で作業台の上に横たわる赤髪の少女に向けられていた。
少女の歳のころは15程度であろうか。肩の辺りまで伸びた艶やかな赤髪は緩やかに作業台の上に広がり、張りのある白い肌は男よりもはるかに健康的な印象を受ける。
目を閉じたままでもその顔立ちは美しく、美少女とも美女とも言いがたい不安定さの上にだけ成り立つ魅力を存分に発揮していた。
男の細長い指が繊細に少女の体に触れていく。既に幾度となく行われたその行為は、男にとってもはや習慣のようなものだった。
袖つきの深緑のマントの先から伸びる白魚のような指を、それなりにある胸元を隠す白いシャツの上部にのぞくデコルテ部分を、髪よりも深い赤色のスカートからすらりと伸びる足を、確かめるようにじっくりと男が撫でていく。
そこに劣情の色は欠片もない。それもそのはず、その人間にしか思えない少女はその男が造りあげた作品、人形なのだから。
いつもどおりの確認を終えたその男がため息を吐く。既にこの少女の造形は完成している。唯一残されたパーツが手に入らない現状では、これ以上手の施しようはないのだ。
「さて仕事にかかるか」
ゲームにログインしてからの日課を終え、男が仕事に取り掛かるために部屋の片隅に置かれた一回り小さな作業机に向かう。そして棚に並んだ一体の人形を抱きあげると、命を吹き込むべく作業を開始したのだった。
そのゲーム、トワイライトメモリーは二年前に没入型のVRMMOとして売り出され、実写と見間違えそうなほどの美しい情景と、自由度の高さ、作りこまれた物語性やサイドストーリーの多彩さなど、やり込み要素の多さもあり未だに人気を博している稀有なゲームである。
舞台は定番ともいえるモンスターはびこる剣と魔法の世界ではあるのだが、必ずしも戦う必要はない。商人として町々を渡り歩くもよし、職人として道を極めんとするもよしだ。
とは言えゲームの中にまで来て全く戦わないという、そんな縛りプレイのようなことをするのは一部の変わり者たちだけだったが。
部屋の主であるこの男は、その変わり者の一人だ。
男はこのゲームに初めてログインしてからずっと人形を造り続けていた。街どころか部屋から出るのもまれという生活を続けてきた。
もちろん部屋の拡張や新規のスキル取得でモンスターの討伐が必要なクエストもあったが、男はそれら全てを雇った仲間に任せて乗り切り、ただ一体のモンスターさえ手にかけたことはない。
ゲームとして大まかなストーリーもあるのだが、ゲーム開始時に聞いたプロローグ以外ほぼ関わっていないため、おぼろげにこんな設定だったなくらいの認識しかなかった。
「こんなものか?」
仕上げを行った快活そうなショートカットの少女の人形を男が椅子に座らせる。そして頭上で手を組ませ、まるで授業なんて聞いてられないよと文句を言っているようなポーズをとらせて服装を整えると、パシャパシャと何枚か写真を撮影した。
そしてポーズを変えては写真を撮影し、満足したところで顔を上げて大きく息を吐く。
「特注なら残してやれるんだが……まあ仕方ない」
男はそう呟くと、チャット画面を開いてこの人形の発注したプレイヤーに伝言を残していく。そして先ほど撮った写真を添えて送られたメッセージにはすぐに既読がつき、過度と思えるほどの感謝の言葉と共に、特注に変更したいという言葉が書かれていた。
男は微笑みながらそれを了承するとメニュー画面を開いて申請を開始した。
生産系のプレイヤーの拠点となる工房はゲームの世界とは隔離された空間だ。
それは作業工程の自由度を上げるための仕様であり、そこは現実と見間違わんばかりの精度まで自由に加工が出来るようになっていた。
満足のいくまでこだわりぬき、生産に没頭できる。それがこのゲームに男のような生産系ゲーマーが多い要因の一つだった。
しかしそれはあくまで工房の中の話だ。そこから出た作品は、ゲームに順ずるデータに丸まってしまう。いかに装飾なども含めてこだわりぬいた剣であったとしても、外に出た瞬間に画一的な見た目に変わってしまうのだ。
もちろんステータスの値として反映される部分もあるため、そのこだわりが全て消えてしまうわけではない。しかし作り手としては興ざめになってしまうのは当然だ。
ただこの仕様には抜け道がある。それが今、男がしている申請だ。
工房から出す前に運営側に申請を送れば、その作品は工房で造られた状態のままゲームの世界でも使えるようになる。つまり世界に一つだけのユニークな武器や防具を使って冒険が出来るようになるのだ。
もちろんそれはタダであるはずがない。ゲーム内通貨であるエルではなく、課金によってのみ得られるコインを使用する必要があるのだ。
そこに賛否両論はあれど、高すぎない価格設定であることもありユーザーには受け入れられているのが現状だった。
男が申請を終え、自らのコインを振り込む。普通であれば取引相手からコインを受け取ってから申請をすべきだが、男は迷う様子も見せずに手続きを終えてしまった。
男はメニュー画面を閉じ、その人形の衣服を正すと入り口近くの椅子に座らせる。どこか嬉しそうにも見えるその姿に男が笑みを浮かべていると、ポーンという音がメッセージの来ていることを告げた。
『人形師 ミツキ様。
この度は固定化の申請をいただきありがとうございます。申請は受理され対応が完了いたしました。
なお製作者報酬として、ミツキ様には半額分のコインが支払われておりますので受け取り履歴からご確認ください。
今後ともトワイライトメモリーをお楽しみください。よろしくお願いいたします』
いつもどおりのメッセージをさらっと流し読み、その男、ミツキが工房の扉を開ける。差し込んできた眩しい日の光を手で陰をつくってやりすごしているミツキに元気な声がかけられた。
「あっ、ミツキおじちゃん。久しぶり」
「カレンは今日も元気だな」
「うん、元気が私の取り柄だからね!」
カウンターの内側に座ったくりくりっとした目をした中学生ぐらいの少女が、一つ縛りにした茶髪を揺らしながら微笑む。自然な仕草で自然な受け答えをしているが、カレンはプレイヤーではなくNPCであり、ミツキの工房があるこの建物の持ち主だった。
ミツキはテーブルや椅子が並ぶ、木目の落ち着いた店内を見回す。二つのテーブルが埋まっているだけの店内はゆったりとした空気が流れ、談笑するプレイヤーたちの元にウエイトレスの格好をした自動人形たちが注文の品を運んでいた。
日の当たり具合からしてもうすぐ昼か、と予想を立てたミツキがカレンに向き直る。
「注文を受けた人形が出来上がったから、料金を受け取ったら渡しておいてくれ」
「うん、わかったー。あっ、そういえばさっき【り・さーかす】の人たちが来てこれをミツキさんに渡してくれって」
そう言って取り出された真っ白な小さな箱をミツキが受け取る。その手はかすかに震えており、その見開かれた目はじっとその箱を見つめていた。
【り・さーかす】はミツキの造った特注の人形を扱うメンバーのみで構成された、このトワイライトメモリーの中でもトップクラスのパーティである。
人形たちの製作後もメンテナンスで付き合いがあるため、ミツキも希少な素材の採取を依頼するなどしていたのだが……
「あと伝言も預かってるよ。団長に会えるのを楽しみにしてるって」
ミツキの顔に笑みが浮かぶ。その言葉で、この箱の中にあるものがなにか確定したからだ。
「しばらく私は工房にこもる」
「はいはーい。いってらっしゃーい」
にこやかに手を振るカレンに見送られ、ミツキは工房にとって帰すとその箱を中央の作業台の上に置きゆっくりと蓋を開けていく。中には光を反射して虹色に輝く拳ほどの大きさの球体が入っており、ゆっくりと淡く明滅を繰り返していた。
「やはりあったか。オリハルコンコア」
そっとその球体、オリハルコンコアを持ち上げ、ミツキは大きく息を吐く。手の中でオリハルコンコアがぼんやりと輝く様はどこか幻想的ですらあった。
コアは主にゴーレム系のモンスターから得られるアイテムだ。そのドロップ率は高いランクのもので0.01%と推測されており、このゲームの中でも屈指のレアアイテムである。
その利用方法は様々で、剣と融合させれば自動迎撃機能などがつけられるし、生産を補助する器具を自動化するにもこのコアが必要だ。
コアにはレアリティがあり、マッドゴーレムからドロップするマッドコアから始まり、ウッドコア、ブロンズコアなどの順に上がっていく。当然レアリティの高いものほど、得られる恩恵は高くなる。
そして今ミツキの手の中にあるオリハルコンコアはその中でも最上位、これまであるだろうと言われていたが、誰もドロップしたことのなかった幻のアイテムだった。
ミツキが作業台の上に眠る少女の人形に視線を移す。そしてゆっくりと息を吐いてオリハルコンコアを人形のそばに置くと、そのシャツのボタンを外していく。
露になった胸の谷間の中央には、ルビーのように真紅に輝く小さな宝石が埋め込まれており、ミツキがそこに魔力を流すとぽっかりと穴が空いた。
ミツキは少しの間目を閉じ、もう一度息を吐くとオリハルコンコアをその穴の中に入れていく。まるでそこにあるのが当然であるかのように馴染み、明滅するオリハルコンコアの姿はゆっくりとふさがった穴によって見えなくなった。
「さて、スロットの方は……十五!? プレイヤーの最大スロット数と同じとは、さすがにオリハルコンコアといったところか。しかしこれならば……」
ぶつぶつと呟きながら、ミツキが人形に保有させるスキルを選択してスロットに搭載していく。
コアを人形に融合させる恩恵は、その人形に【剣術】や【火魔法】などのスキルを保有させることが出来るようになるというものだ。
コアのレアリティによってスキルをセットできるスロットの数は違い、今まで見つかったコアでは十が最大だった。それがいきなりプレイヤーの拡張できる最大スロットである十五まで増えたのだからミツキが驚くのも無理はない。
もちろん種族限定のようなスキルは選択できなかったが、考えていた候補にそもそも入っていなかったのでミツキは迷うことなく希少な素材を代償にしつつスキル選択を終えた。
そして少女の人形を起動しようとしたところでミツキは動きを止め、苦笑いを浮かべる。
「職業を【人形使い】に変更して、っと」
ミツキがウィンドウの職業選択欄を現在の【人形師】から【人形使い】に変更する。
高レベルの【人形師】から1レベルの【人形使い】に変更したことに伴い、重くなったように感じる体に表情を一瞬歪めたミツキだったが、その顔はすぐにニンマリとした笑みに変わった。
ミツキはずっとこの時を待っていたのだ。コネ、金、持てる技術を惜しみなく注いだ少女の人形に命を吹き込まれる瞬間を。
ゲーム内では関係ないはずの心臓の鼓動が高まっていくのを感じつつ、ミツキが少女の人形に向けて手をかざす。
視界が赤い明滅を繰り返し始め、警告を発していることを認識しつつもミツキはそれを無視した。これまでの経験上、強制ログアウトまであと数分はもつはずであり、それだけの猶予があれば十分だった。
ミツキが優しく微笑みながら少女に告げる。
「遊ぼう、ラティア」
その言葉と共にミツキの視界は真っ赤に染まり、すぐに世界は暗転した。
お読みいただきありがとうございます。
新作を始めました。今回の人形師さんは比較的常識人です。
本日は3話投稿予定です。次は午後6時くらいを予定しています。




