文芸部部長と飼育型ヤンデレ
「……昨日もそうだった。危うく監禁されるところだった……」
盗聴器から聞こえる私の彼氏、新里文也の声は実に愛らしい気怠さを持っていた。手芸用の針をこすりながら深く聞く。
「原稿はまだかい。君の文章はなかなか情緒的だから……」
針をへし折ってしまった。
「ちょっと猪飼らいさん? 部活中に盗聴はともかく針を折るのはやめてください」
発言者のほうに目を向ける。ストレートの黒髪におしとやかな姿勢。ミス高貴な手芸部員である彼女の手にはお手製のマフラーがある。
「別にいいじゃん。針の一本ぐらい」
「単純に危ないと言っているのですよ猪飼らいさん。けがをしたらどうするつもりですか」
こうやって神経質に言ってくるこのお嬢様。金持ちであるがゆえに権力に任せて意中の人を監視することはマフラー作成よりも容易い。私の針うんぬんよりそっちのほうが問題だろう。この人の彼氏(?)は気にしないだろうが。
「全く、盗聴もです」それは貴女もやっているだろう。「そんなに好きならさっさとくっつけばいいじゃないですの。というか、同じ文芸部に入ればよかったでしょう」
図星だったので窓へ目を向ける。「小説、書けないし」ポエムぐらいしか書いたことがない。
窓の外は晴れていた。ここからは見えないがサッカー部やらが忙しく練習中。そんな光景を、空から落ちる女子高生が遮る。
「まぁ今のは」
お嬢様も反応。今の娘はこの部屋の上、文芸部からグラウンドへ飛び降りた様子。
「大丈夫。あの娘は私の知り合い。めちゃ頑丈だから死なないよ」
そういって私は窓を開ける。そしてそのまま上の文芸部室まで這い上る。視界には一瞬、呆れかえるお嬢様が見えた。
我が愛しの彼がたたずむ部室へ、窓からこんにちは。入口を向いて座っている文也くんが振り返った。私よりも一学年上。一応は先輩だ。
「な、なんだ、いや、なんで?」
「こんにちは文也くん。直接会うのは昼以来だね」
「どうしてオレの周りの奴は窓から出入りするんだ」
グダグダ言う彼へ、隠し持っていた吹き矢を打ち込む。自作した矢には睡眠薬が塗られている。これが手芸部の力だ。
彼へ近づきつつ周りを見る。文芸部の部室には机と椅子が少しずつ。本棚もちょっとあって辞典多め。肝心の文也くんは私に背を向けて、眠りかかって椅子に背を預けている。白くスポーティな眼鏡、整える気のない髪、わるーい目つき。
「ねぇ」私は睡眠寸前の文也くんへ背中から抱き着いた。
「文也くんってさ、図書館で文通していた時はもっと情熱的だったよね。本に挟まれた手紙は私を食べそうだった」
「あれは、中学の、時のだろ」眠気で声が掠れている。
「貴方だけが私と話をしてくれたよね。貴方だけが、私だけと」
「いや、他の人とも話したし……」こくんと頭を揺らした。「お前がコミュ障だっただけだろう」
「ちがうよぉ? 全くちがうよぉ? 全然ちがうよぉ?」「必死すぎる」「貴方の愛が強かっただけだよぉ?」「いや反論になってな……」
限界だったのか、そのまま夢を見始めた。
手筈通りだ。私はこれから、彼を監禁する。以前に行った時はボールペンがよくないとか文句言って脱走した。しかし今回は要望に応えて準備もOK。家から一歩も出してあげない。
文也くんの荷物をまとめて、彼を背負う。
「おも」
すでにフィジカルは悲鳴をあげている。だとしても、今日こそ彼を私のものとするため愛の力で頑張る。
事前に作ったメモを置き、下校へ一直線。私にとっては苦難に満ちた愛の逃避行。校舎にいる生徒からすると姥捨て人。こっちを見るな学生諸君。
文也くんの寝息によって体力を回復させながら自宅へ。忙しい良心は毎度の如く出張中。今の家は私が管理しているのだから、実質私が家主だ。私が家の王だ。だから好きな人を家に閉じ込めることだって許される。
二階の空き部屋まで運ぶ。ここは文也くんの部屋に改造した。なので文也くんルーム。何度か連行してきたが、そのたびに彼のクレームで改善された。最初は立派な愛の巣だったのに、今は簡素なもの。ベッドに机に本棚に小さな運動スペース。そして服の押し入れ。
文也くんをベッドへ。横になった彼は静かに、そして安らかに目を閉じている。私は彼の右手を取った。今時ボールペンで執筆作業をしている彼の手は、硬くて、大きくて、でもしなやかだった。ごつごつしていない。普段テキトーに私をあしらうその粗野からは想像できない肉体の甘美。いくらでも触っているられる。
手は頭に伸びた。ケアすればいくらでもキレイになるのに、スーパーで売っているようなシャンプーリンスで終わってしまう髪。そういえば最近、お風呂場に設置したカメラ見つかっちゃったな。いつ私の新里文也くんのヌードを消去されてもいいよう、あとでバックアップを取ろう。
そのようなケツイを抱いていると、文也くんの眉がピクリと動いた。まぶたが開きこの部屋の光を目に届け、寝ぼけた顔で私を見る。油断と快眠に晒された彼の第一声は、
「ここは?」
という、至極当然の疑問であった。
「おはよう文也くん。正しくはおかえりだね」
「君の家か。またか」
「これで最後にしたいな。お互い、そう思うでしょ」
彼はゆっくりと上体を起こし、自身の部屋を見渡す。
「道具がないなら、俺は何もできないよ」
「あるよ。文也くんの気に入りそうなのが」
机を指さす。その上にはたくさんの原稿用紙、ボールペン、替えのインク、辞典各種。
「ずいぶん気合い入れたな」
「文也くんのご実家よりも揃っているよ」
「なぜそれを……広辞苑なんてよく買ったな」
「使うでしょ?」
「いや使わないけど」
「え、なんで」
「デカすぎるし。普通ので充分だし」
彼はベッドから降り、机の前に立つ。これから自分が使う道具たちをしげしげと眺める。ボールペンに目が行くとその色が変わり、慎重に持ち上げる。
「これは、いいものだ」
「そうなの?」デザインとネットの評価と販売員さんの話で選んだんだけど。
「高かったんじゃないか?」
「おばあちゃんからもらったものだし」本当はお店で色々試した。でももし彼の手に合わず苦い顔をされたら過呼吸になってしまう。詳しくない私じゃペンの違いも解らないから、おばあちゃんを生贄にするしかなかった。……いやこれデートの口実になったじゃん。
「君の祖母は大変良い趣味をしている。ところで」
ボールペンをカチカチ言わせながら、私へ振り返る。
「ここは俺専用か?」「そうだよ。勝手に出ないでね」「これは本当に冗談だが、添い寝はなしか」「……ふつつかものですが」「やっぱ今のなし」
文也くんは椅子に座る。よくある学習用回転椅子でグルグル回り、私に対して口を開く。彼の右手はペンをクルクル。
「さて、ここまで用意したんだから少しは居てやろう。ただしルールがある」
「それを決めるのは私だよ」
「破ったらお前のご両親に娘との絶縁について鬼電してやる」
「……なぁに?」
「執筆の邪魔はしないでくれ。原稿もプロットも見ないでくれ。完成物以外見せたくない。特に今回は。わかるだろう?」
「何を書くの?」
「秘密。これも探らないでくれ」
少し、反感を持った。どうしてそんなに知ってほしくないのか。昔はオリジナルファンタジーの世界設定について熱弁してくれたのに(まだ書いていないどころか本人は忘れている)。いつもだってここまで強く隠さない。イチャイチャ甘えたら教えてくれた。なのに、どうして今書いている作品だけは見せてくれないのだろう。
もしかしたら、という不安を抑える。彼の表情は真剣そのもの。正直、私に対する本音とか、何か関係を壊す怖いものを書いていないかとても恐ろしい。けど、彼と喧嘩したくない。
「解ったよ。でも、いつかは見せてほしいな」
「完成したらね」
朝。昨晩はお楽しみとしたかったが、文也くんによる鉄の守りを崩せなかった。これは不条理な現実に対する不覚であって、決して彼に寝かせられ気持ちよく寝てしまったからではない。
登校前の料理を終え、階段を昇る。文也くんを起こさなくては。足かせがあるのでリビングまでは下りることはできない。だからお迎えにいかないといけない。
ノック。返事なし。耳をピトリと扉に当てる。文也くんの吐息及び心拍音が聞き取れた。
「入るよ」
私は部屋に入った。半端に閉められたカーテンからこぼれる陽光を浴びる、机に突っ伏すヒヨコのように愛しい文也くんを見つけた。机には書き散らした原稿。
「ほら、起きて。朝だよ」
体を揺らす。ついでに首を触る。ついでに耳を触る。ついでに背中をなでる。ついでに……
「んあ」
睡眠時のセクハラは彼の起床によって妨げられる。自分が目覚めると知るや否や、原稿と青いプロットノートを手で押さえ、小さいノートを取り何か走り書き。どうやら夢日記を書いているらしい。内容はこう。
”オシャレセット、障子窓、日記、パイプ”
呪文かなにか?
「……おはよ」
文也くんがたいそう眠たそうに言った。「ご飯できてるよ」との言葉に彼は身を起こす。椅子から立ち、カーテンを開け、恨めし気に太陽を睨む。
「顔洗ってくる」
文也くんは部屋から出た。脚に着けている鎖がジャリジャリとうるさい。このままだと転倒しかねないので、ベッドの足から鎖を外し、リードのように持って一階に降りる。
ずっと前に打ち込んだ杭に鎖を固定すると、文也くんがダイニングにやってきた。意識はまだはっきりしていないようだ。
「いただきまーす」
そう言って食事を始める。本日の朝はコーヒーとロールパンにベーコンエッグ、サラダ。素敵でオシャレでいつものメニュー。文也くんがパン派だったことを運命に感謝せねば。
彼はロールパンを食べてはコーヒーで流し込む。味に飽きたら卵とベーコンを食べ、義務のようにサラダを口にする。もうちょっと味わって食べてほしいが、ここまでシンプルだと何も言いようがないのだろう。
文也くんはモソモソとまるでげっ歯類のようにそれらを食べる。見ていると癒される。
「……なに」
「うん?」
「いやなんでじっと見るんだ」
「気にしなくていいよ」
「いや気になるんだが」
「気にしなくていいよ」
「いや」「気にしなくていいよ」
抵抗は無意味と悟ったか、私から目を背けて静かに咀嚼する。ビビりな小動物じみて実に愛い奴。
「君こそ」サンドイッチを食べ終えて文也くんが言う。「食べなよ」
「文也くんが食べ終わってからね」
「まぁそう言わず」
彼は私の分のサンドイッチを手に取り、口元に寄せてきた。なんと”あーん”だ。喜んで口を開けた。食べる。視線を感じる。文也くんがじっと見つめてきていた。意図と意思を言外に知り、顔を赤らめながら呑み込んだ。
「これでお相子だ」
食事を終え、投稿の準備は終わっていたので玄関へ。文也くんは階段ギリギリ鎖もギリギリまで来ていた。
「良い子にしていてよ?」
「あのねぇ。俺は君の先輩だぞ。そんなこと言われる年じゃない」
「脱走するなということが解っているならいいよ」
「小説書き終えるまでは缶詰めに甘んじるよ」
そんなことを言われたが元気に学校へ。日本各地のどこにでもあるような住宅街を歩き、高校へ向かう。
文也くんは”小説を書き終えるまで”なんて言っていた。私を差し置いて情熱を向けるものがあるという事実に少し血が昇る。だがそもそも、彼は何を書いているのだろう。見せようとしてくれない。部誌に載せられた彼の作品は全てチェックしている。でも私に対する何かを感じ取れたことはない。昔から原稿を見せようとはしないが、今回はやけに嫌がる。
私に見せたくないということは、私が見たらダメなものを書いているということ?
登校中に考えた不安の種は昼休みまで根を伸ばし続けた。授業用の青いノートは今日、白かった。もしかしたらは心を静める魔物だ。落ち着こう。
いつも文也くんと弁当を広げている中庭まで行く。青空の下ベンチに座り、スマホで文也くんルームに仕掛けた隠しカメラを起動する。彼は足かせによりトイレ以外で外に出られない。窓から入る陽光を眩しそうに見ながら、回転椅子を回している。そこから原稿にペンを走らせ、椅子を回す。
うんうん唸ってから私が用意したおにぎりを齧る。ペンを置いた。昼食にするらしい。机の引き出しから本を出した。食べながら読むのか。いつか本の感想を聞こう。
私もお弁当のたこさんウィンナーを一つ食べた。そして、カメラに映る本に見覚えがあると知る。
あれは私が書いた昔の日記。中学時代のポエミー日記。
読まないで! クソポエムを見られたなんて恥ずかしくて引きこもっちゃう!
「猪飼さん? 顔が真っ赤ですよ?」
「お、お嬢!」
硬直している私に再起動をかけたのは手芸部のお嬢様。いつもの取り巻きさんたちを連れている。当人は連れを微塵も気にせず私の隣に座る。
「せめて様をつけてください。よからぬものを連想させます」
「ごめん」
「で、りんごにトマトジュースをかけたように赤い理由は?」
答えに窮した(なんだその庶民的な例えは)。まさか盗撮していたら彼氏が昔の日記を読んでいましたなんて言えない。
「色恋沙汰ですか」
彼女にはお見通しか。
「うん。その」盗撮は言わなくていいか。「彼氏が私の日記を読んじゃったみたいで」
「あぁ、文芸部の部長さんに」
「うん。中学時代のものだからさ。彼と文通していた頃で、色んな想いを書いちゃってね」
「貴女が部長をさらったせいで文芸部で活動している人はゼロですよ。顧問の方が言っていました。部活動壊してますよ」
「しょうがないじゃん好きなんだから」
「じゃあ日記ぐらい我慢なさい」
お嬢様は励ましてくれず上品に重箱を広げる。オメーみたいなエライ人がなんだってうちの高校にいるんだ。彼女の態度にそんな態度さえ浮かんだ。
朝は不安で沈んだ。今度は恥ずかしさで悶えた。この責任を追及すべく、学校が終わったらすぐ帰宅。二階、文也くんの部屋へ直行。息を切らしながら扉を押し開けた。
「なんだ、あわてて」
夕日に照らされる文也くんは余裕の表情。
「あの、なん、なんで私の日記を読んだの!」
「なぜ知っている?」
「愛の力!」
「へー神が定めし運命の糸って奴?」
「忘れて! それマジで忘れて!」
「正直、文芸部で活躍すると思うよ」
「それよりもさぁ!」
これ以上封じられ脂ポエムを聞かされたくない。少なくとも午後に感じた日記の不安はどうしようもない。午前の、小説の不安を解消しよう。
「それよりも、その、何の小説を書いているの?」
「言っただろう。見せられないよ」
「少しぐらい、ジャンルだけでも教えてくれていいじゃん。やけに隠すじゃん」
「ダメ。今回のはダメ」
へー。今回のは。今回だけなんだ。
「ねぇ」隠すべき緊張を漏らす。「掃除していい?」
「その顔を見て許すワケないだろ。絶対見るじゃん」
「原稿持って行っていいから」
「……解ったよ」
私が足先を動かして急かすと彼は原稿をまとめ、足枷がゆる限りの距離で部屋を離れた。少し急いでいるせいで忘れ物をしている。
「あっ」「あぁ、文也くん」
彼を呼び止めた。彼は声をかけるより早く振り返った。私はノートを手に取り、
「プロットのノート忘れているよ」
青ざめた表情で慌ててそれを取り、彼は咳払いしてまた離れた。
よほど慌てていたのだろう。同じ青色なだけで私のノートだとは気付いていない。大事なものを忘れずに済んだと知り、それが間違いと判明するまで十数秒に満たないとは理解している。故に、私の手はすでに、彼のノートへとを伸びている。
「待て」
が、その手は愛しい人の手に阻まれる。遅かったか。
「ずいぶんとまぁ知りたがる。面白いものは書いているがそこまで楽しみにするものじゃあないだろう」
「怖いんだよ。文也くんがここまで隠すなんてさぁ。私には見られたくない何かがある。そういうことだよね」
「いーや、完成前を見られたくないだけだ」
「そこまで見られたくないものってなに」
いらだちに支配されていくのが判る。彼に見せたくない顔をしていることも解る。でも、ここまで抵抗してでも秘匿したいことはなんだ。不安を燃料とした好奇心は感情を歪にする。
「そりゃその、見せたくないからだ」
「私にだけ見せられないの?」
「いや、そうじゃないが」
「じゃあ見せてよ! 私と君との関係で不安にさせないでよ!」
「あ、いや、その、え、そんなに……?」
弱気になっていく文也くんと、悲鳴に近い声で責める私。この一文だけで自己嫌悪が体を満たす。
彼はもう、私のことが嫌い?
「いやホントに、そうじゃなくて、そうじゃなくて、その、今見せると恥ずかしいものなんだ。見られたら羞恥心で引きこもる」
沈黙。そして吹きあがる嗜虐心。夕日はまだ沈まない。
「見られたら、引きこもっちゃうんだ」
「そう! だから完成まで待ってもらって」
「私の日記、読んだよね。無断で。人の日記を」
「え、はい」
「すごい恥ずかしかった。引きこもるぐらい」
彼の顔に冷や汗が光る。
「原稿、読むね。この部屋で一緒に引きこもろうね」
「……猪飼らいは、朝日を背にして見つめてくる。この橋の上、幾度となく衝突したこの場所で」「やめろー! やめろー!」「ボクらは日常の終わ”い”を知る」「誤字は読まないでいいでしょ!」「今声を出そうとすると、声が震えてくると思う」「”と”が多すぎるだろ! なんだよ思うって! 小学生か!」「でも、彼女に言わないといけない言葉がある……」「ねーなんで読むの止めるの。ねーなんでニヤニヤしてるの」「続き、読めない漢字があってさ。感動で耳が遠くなっているから大声で呼んで?」
現時刻午前一時。先の騒動で茹った頭がようやく冷え、互いに現状を把握した。
文也くんの小説は私への告白同然だった。なるほど、そりゃ隠したい。なんでこんなムキになっていたのかと自分がバカに思う。彼にはベッドの上でひたすら謝り倒した。彼も謝ってきた。これでチャラだ。
ウトウトしながら原稿を読み返す。残念ながら、まだこの恋文は完成していない。けど、真の意味で完成するのはまだまだ遠く未来のこと。それに、できたところでせいぜい二人の遺書になるだけだ。
「ねぇ」
横で寝ている文也くんに聞く。
「コピーしてもいい?」
「かんにんして」
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