閑話 魔王様のおしごと
合馬大臣の話です。
閑話ですが、本編にも関わってきます。
「柿崎、例の件の進捗はどの程度になっている」
眼前に立っている部下の柿崎に尋ねると、彼はタブレット端末を操作しながらスラスラと答えてくる。
「65%達成しております、大臣。関東を中心に広げていき、中部、近畿、中国地方までは設置完了致しました。現在は北海道、東北、四国、九州地方に取り掛かっております」
「そうか……もうそこまでやってくれたか。現場の尽力に感謝せんといかんな」
そう告げながら、豪奢な椅子に背を預け深い息を吐き出す。
私は現在、八月頃からとある問題に着手、奔走していた。
その問題とは、異世界で敵対していた魔法使いメムメムから唐突にかかってきた一本の電話によるもの。
『現実世界にゴブリンが現れた』。
愛媛県に旅行している筈のメムメムから電話でそう告げられた時は俄かに信じられなかったが、メムメムに案内され首が真っ二つに切断されているゴブリンの死体を目にすれば、信じざるを得なかった。
ゴブリンが単独でこちらの世界に来れる筈がない。
ならば、ゴブリンを異世界から寄越した者がいるのは間違いないだろう。そしてその者は、十中八九異世界の神であるだろう。こちらの世界にダンジョンを顕現させた同一神だ。
神がいったい何を企てているのかは計り知れないが、私達にとってよくない事だけは理解できる。
だから私は、来るその日の為に備えることにした。奴等の好き勝手には絶対にさせるものかとな。
といった風に、私は準備を行う為に八月からずっと働き詰めだった。
そちらの方でも手一杯だというのに、『迷宮革命軍』との問題もあってここ最近はろくに眠れていない。というより我が家に帰ってもいない。
(ふぅ……いかんな)
魔王の肉体であればこれくらいの労働など造作もないが、如何せん今の私は多少魔術が使えるただの人間に過ぎない。身体は脆弱で、肉体的疲労には敵わなかった。
こういう時、無尽蔵の体力を誇っていた魔王時代の身体を心底羨ましく思うよ。あの身体がありさえすれば……とね。
眉間を揉んでいた私を一瞥した柿崎が、珍しく心配そうな顔を浮かべて忠告してきた。
「少し休まれてはどうですか、大臣。八月から働きっぱなしではないですか。ここ最近は殆ど家にも帰っておられないようですし、お身体がもたないのでは?」
「何、少し疲れただけさ。死にはせんから心配するな」
「心配しない筈がありません。大臣が倒られては国家の一大事。今や大臣はこの国にとって必要なお方です。貴方はまだお気づきでないのかもしれませんが、大臣のお身体は最早大臣だけのものではないのです」
「……」
「後の事は私がやっておきますので、今日はお帰りください」
「柿崎……」
驚いた……まさか彼がこれほど強く進言してくるとはな。
柿崎が私の部下になってから、もう十年近くの付き合いになる。
私から見ても彼は超優秀な人間で、頼んだ事は必ずやり遂げるし、大臣の座に着けたのも彼の支えによるものが途轍もなく大きい。
私にとって柿崎と出会えた事が政治人生に於いて何よりの僥倖だった。
我が右腕として全幅の信頼を置いており、彼もまた私を崇拝してくれている。
私の言うことにはYESとしか答えないし、意見はあっても反論は絶対にしない。
だからこそ、私に向かって進言してきたのが珍しく驚いてしまったのだ。
(私の身体は私だけのものではない……か)
ふっ、この私がそんな言葉を与えられるとはな。
魔王として永く君臨していたが、配下にそんな事を言われたことは一度もなかった。
それもそうだろう。魔族は他者を思いやったりはしない。
魔族の繋がりは、支配するか、支配されるかだ。そこに愛や絆など、人間が持つようなくだらん感情は一切入り込まない。
何故なら魔族には、人間でいう“心”というものが無いからだ。
それが魔族だ。そして魔王であった私も例外ではない。
だが、今の私は柿崎が私を心配し思いやってくれている事を理解できている。
それは私が、魔族ではなく人間であることの証明なのだろう。
「分かった、今日のところは素直に帰るとしよう。後は頼んだ」
「承知致しました」
彼の思いを受け取ることにした私は、帰宅しようと席を立とうとする。その直後、コンコンと扉がノックされた。
こんな時間に誰が? と私と柿崎が訝しむ中、「どうぞ」と促すと部屋に入ってきたのは小柄な老父だった。
「アポも無しにすまないね、合馬君」
「そ、総理!?」
軽く手を上げてそう言ってくる老父に目を見張る。
何故なら彼は、日本の政治的トップである総理大臣、菱形鉄心であったからだ。
菱形総理はパッと見、どこにでもいそうな優しいお爺さんといった風貌だ。歳は七十代で総理としてはかなり高齢で、目尻や眉尻も下がっていて柔和な顔つきをしている。
背も極端に低いことから、世間からは“小さな総理大臣”というあだ名を付けられていた。国民からは「小さくて可愛い総理」などと親しまれているが、総理がただ可愛いだけの人間でないことを私はよく知っている。
「総理、こんな時間にどうされましたか?」
「いやね、ちょっと合馬君と話したいことがあってね、こんな時間に悪いとは思ったけど来ちゃいました。すまないね、迷惑だったかな」
「いえ、そんな事はありません。言ってくだされば私から向かいましたのに」
総理が私に個人的な話だと? いったい何の用だろうか。
「柿崎、外してくれ」
「はっ」
「いいんです、ちょっと話したらすぐ帰りますか、」
「そう……ですか」
聞かれたくない話だと思い柿崎を部屋の外に出そうとしたのだが、大丈夫だと言われてしまう。二人きりでもなくて、ちょっとだけの話とは何なんだ? 本人が言うように取るに足らない話なのか?
いや、そんな筈はない。
そんな話をする為にわざわざ総理が一人で私の所に訪れる訳がない。何を話すのか身構えていたら、総理は小さな口を開きしゃがれた声でこう言ってきた。
「合馬君、君が一人で色々と動いているのは知っていますよ。勿論、“渋谷スカイの件”もね」
「――ッ!? (――こいつ!?)」
総理に指摘された私は、無意識に動揺してしまった。
渋谷スカイの件とは、FBIと協力して『迷宮革命軍』を捕らえた件についてだろう。
だが何故こいつがその件を知っている。あれは極秘に動いており、私と柿崎しか知らない筈だ。いったいどこから漏れた? 情報の出所はどこだ?
私と同様に動揺している柿崎の様子から見て彼ではないだろう。ならば許斐君達か、FBIか、それともアメリカ大使のマイク大使か?
いや、私と個人的な繋がりを持ちたいと思っているFBIとマイク大使が漏らした可能性は低い。
いったいどこから……と考えを巡らしていると、菱形総理は目を開けて私を見ながら、
「心配しなくていいですよ。“君の友人達”ではないですから」
「――っ!!」
考えが見透かされている。
誰も漏らしていないとすれば、動きを見られていたのか? この私が気付けないところから……。
(この狸爺ッ!!)
再び、恐怖を覚えた。
異世界で魔王だった時、どんな相手と戦った時も恐怖を覚えたことはなかった。勇者一行と戦い敗北し、死んだ時でさえ恐怖という感情を抱いたことはない。
それは人間に転生してからも同じだ。私は恐怖を感じた事は一度もない。
――菱形鉄心に出会うまでは。
菱形鉄心という人間と会い、初めて恐怖という感情を知った。
見た目は小柄な老い耄れに過ぎず、簡単に捻り潰せそうにも思える。
しかし、それは見た目というまやかしに過ぎない。
この老い耄れの腹の中には、想像も絶しがたい化物が潜んでいる。裏で動き、他者を蹴落とし成り上がっていくのが当たり前の政界で頂点になった男。操り人形で立てられたのではなく、実力でその地位についた男。
小さな総理大臣と呼ばれているが、私から見た彼の背中は途轍もなく巨大であった。その小さな身体から放たれる圧力は、比喩でも何でもなくドラゴンにも勝る。背中に冷や汗が浮かび出るほどのな。
こいつは人間ではない。人間の皮を狡猾に被った狸の化物だ。
「合馬君、君が何をしようと私は別に構わないですよ。今時の若者では珍しく、野心溢れる貴方のことを私は非常に買っていますから。だから貴方をダンジョン省大臣に薦めましたしね」
「ええ、その事については深く感謝しております」
まだ実績を積んでいる最中だった私が大臣という大役に任命されたのは、総理が後押しをしてくれたからだ。何故総理が私を薦めてくれたのかは未だに分からんがな。
ただ、チャンスを与えてくれた事には感謝している。
「合馬君もいずれ“この席”に座ると私は考えています。ですが、容易に座れるほど政界は甘くありませんよ。君を蹴落としたいと、虎視眈々と代わりを狙っている者は多いでしょう。私に言われるまでもないと思いますが、周りは敵だらけです」
「……存じております」
「それならいいのです。私が言いたいのは、“隙を作るな”という事です。時には大胆に動くことも必要ですが、周りが見えていないと足元を掬われてしまいすよ」
「はっ! ご忠告痛み入ります、総理」
「うむ、よろしい。では、私はこれで失礼しますね」
柔和な笑みを浮かべ、踵を返して立ち去ろうとする総理に慌てて声をかける。
「総理、話とはそれだけですか?」
「ええ、そうですよ。これからも頑張ってください、合馬大臣。期待していますからね」
「……」
バタンと閉じた部屋の扉を呆然と眺めながら、私は戸惑いを隠せずにいた。
渋谷スカイの件を追及された時は覚悟していたのだが、本当にただ忠告しに来ただけだったのか……?
私を大臣に推薦してくれた事といい、何故総理はそこまで私を買ってくれているのだろうか。
駄目だ……いくら考えてもあの狸爺の頭は読めん。
「ふぅ……」
深いため息が漏れる。
ああいう怪物と腹の探り合いをする度に、暴力で解決していた魔王だった頃を懐かしく思える。
◇◆◇
「よく来たな、勇者一行よ」
魔王城、玉の間。
玉座に座する私の眼前には、人間を代表する四人の戦士達。
勇者マルクス。
戦士オルドロ。
僧侶ソフィア。
魔法使いメムメム。
我が魔王軍による度重なる侵攻を跳ね除け、遂に魔王のもとへ辿り着いた屈強な戦士達。
「ここまで来た褒美だ、何か一つ願いを叶えてやろう。遠慮なく申せ」
「ほざけ、ボクらが願うのはお前の死だけだ」
「その通りですわ」
「儂は強い奴と戦えれば何でもいい」
「ふっ、流石だな」
冷酷に告げてくるメムメムとソフィア。早く戦らせろと言わんばかりの獰猛な顔を浮かべるドワーフ。
流石は名だたる勇者一行だ。私を前に微塵も臆していない。ならば、奴等の望みを叶えてやろうと玉座から立ち上がろうとしたその時、マルクスだけはこう述べてきた。
「魔王、俺は貴方と話がしたい」
「ほう……話か。勇者が魔王と何を話したいのか興味がある。いいだろう、話してみよ」
「ありがとう」
「おいマルクス、こんな奴と話すことなんてないぜ。さっさとぶっ殺そう」
「まぁまぁメムメム、ここは俺に任せてくれないか」
冗談だろう? と睨むメムメムを、マルクスがやんわりと制する。
この男、人類最大の宿敵を前にやけに呑気ではないか? 不思議な人間だな。
「俺は勇者マルクス。魔王に聞きたいことがある。人間と魔族、戦いをやめて和平を結ぶことはできないか?」
「何……?」
「ちょ、マルクス!?」
「何をおっしゃってますの!? 貴方やっぱり馬鹿なんですの!?」
マルクスの突飛な話に慌てふためくメムメムとソフィア。
和平を結ぶだと? ここまできて何を言っているのだこいつは。全く理解できないぞ。
「勇者、貴様この期に及んで何を考えている」
「俺はただ、これ以上傷を深めたくないだけなんだ。できることなら魔族とだって戦いたくないし、殺したくはない。共に分かち合うことは俺にだって難しいことは分かっている。だけど、これ以上戦わない道だってある筈だ」
「それは不可能だ、勇者よ」
「何故?」
「貴様等人間には理解らんかもしれが、魔族には心というものが無い。あるのは暴虐と支配だ。存分に力を振るい、弱者を踏み潰す快感。それを満たしてくれる存在が貴様等人間なのだ。だから魔族が人間と手を取ることは天地がひっくり返っても有り得ない」
「魔族にはないのか。戦いだけが生き甲斐ではなく、花を慈しみ、友と語り、誰かを愛するという、思いやる心が」
「くどいぞ勇者。そうであって欲しいと望むのは勝手だが、貴様の願望を我々魔族に押し付けるな。不愉快極まりない」
眉を顰めて断言すると、マルクスは酷く落胆した。
こいつは本当に人間と魔族が共存できると信じていたのだろうか? だとしたら歪だな。これまで魔族を殺し続けてきた男が、魔族と共存したいと平気で言える思考が歪だ。
人間とは、勇者のような愚か者ばかりなのだろうか。理解に苦しむぞ。
「だから言ったじゃあないか、こんな奴と話すことなんてないってね」
「そうか、残念だよ」
「話は終わりだ。さぁ勇者達よ、存分に戦り合おうぞ」
そして私は勇者一行と戦った。
奴等は強かった。多彩な魔術を扱うメムメムも、頑丈で剛力のオルドロも、致命傷を与えても即座に回復させてくるソフィアも、人間を代表するに値する強さを誇っていた。
がしかし、その三人は私の想定内でもあった。
確かに人間にしては脅威ではあるが、私が負ける理由にはならない。
問題だったのは、勇者マルクスだった。
奴だけは私の想像を遥かに越えた強さを誇っており、奴だけは特異的なのではないかと疑ってしまうほど強かった。
人間が到達できる領域ではない。下手をすれば、憎き神々に匹敵するだろう強さ。
そんな勇者と仲間達の前に、私は敗北を喫した。
そして何の因果か、私は魔族ではなく人間に転生したのだ。
それもこちらの世界ではなく、魔法も魔族も存在しない、科学が発達した世界の人間に。
名は合馬秀康。
政治家の息子に生まれ、魔王としての記憶が甦ったのは大学二年生の時だった。
◇◆◇
「ただいま」
「お帰りなさい、あなた。お仕事お疲れ様です」
久しぶりに帰宅すると、妻の静流が出迎えてくれる。
流れるように鞄を受け取ってくれると、微笑みながら尋ねてきた。
「今日は帰って来られたのですね」
「ああ。柿崎にいい加減帰れと怒られてしまったからね。中々帰ってこられず、すまないな」
「いえ、あなたが国の為に心血を注いでいるのは知っていますから」
「そう言ってもらえると助かるよ」
静流も政治家の娘であり、私の仕事を理解してくれている。
私達は親同士が決めた時代遅れの政略結婚ではあるのだが、彼女との関係は良好だった。静流は気が利くし、人間としてつまらない私を男として愛してくれる。
今回も中々家に帰れなかったが、着替えやご飯等を毎日持ってきてくれたりと、政治家の妻としても良く支えてくれる。
本当に、私にはもったいないほど素晴らしい女性だ。
「でも、柿崎さんには感謝しないといけませんね。お蔭で、久しぶりに家族皆でご飯を食べられますから」
「……そうだな」
嬉しそうに話す静流に一言返し、リビングに向かう。
すると、リビングにある大きなソファーで寝転がりながらスマホを弄っている娘が目に入った。
「あっ、パパお帰りなさい」
「ただいま、心」
もう十歳になる娘の心だ。静流に似て可愛らしい女の子である。
「パパが居なくて寂しくなかったか?」
「寂しいっ……て言ってあげたほうが喜ぶ?」
「そこは素直に言ってくれると嬉しいんだが……」
頬を両手にやるぶりっ子ポーズ(死後)をして聞いてくる娘に、私は小さくため息を吐いた。
子供の成長とは早いものだ。ついこの間までパパ~パパ~と甘えてきて可愛かったのに、もうこんな駆け引きなどを覚えてしまっている。全く人間とは末恐ろしい生物だよ。
「あなた、心、ご飯ですよ」
「は~い」
「今行く」
妻に呼ばれたので、心と一緒に食卓に着く。
急に帰宅することになったのに、そこには豪勢な料理とワインが並んでいた。
「「いただきます」」
三人で食事をするのはいつぶりだろうか。やはり家族で食べるのはいいものだな。
「ねぇパパ、私将来冒険者になりたい」
「ん、急にどうしたんだ?」
「だって、冒険者になればパパのお手伝いができるでしょ?」
「心……」
無邪気に嬉しいことを言ってくる娘に、胸を打たれてしまう。
いや、娘にこんな事を言われて感動しない父などこの世に居はしないだろう。
(おかしなものだな……)
魔族であり、魔王だった時。
ただただ強者を求め、己が力で強者を屈服させてきた。力を振るい、殺し、愉しむことが生き甲斐だった。
勇者が言う思いやりや心など、微塵も理解できなかった。
だが――、
『大臣のお身体は最早大臣だけのものではないのです』
『あなたが国の為に心血を注いでいるのは知っていますから』
『冒険者になればパパのお手伝いができるでしょ?』
人間の私は、人間の“心”が理解できる。
自分でもおかしくて笑ってしまいそうになるが、存外悪くないものだ。
なぁ、勇者よ。
「それでね、クラスメイトの誠二君とパーティーを組むんだ~」
「ちょっと待て、心。誠二とは誰だ? パパに詳しく聞かせなさい」
おい誠二とやら、心に手を出したら八つ裂きにするぞ。
本編はもう少々お待ちください…。




