第百九十八話 Come back
「時間か……」
ピピピッと五月蠅く鳴り響くスマホのアラームを止める。
昨日……というより今日は全然眠ることができなかった。身体は凄く疲れているけど、興奮のせいか頭が冴えて眠れなかったんだよな。
ベッドから立ち上がり、階段を降りてリビングに向かう。すると、俺が贈ったエプロンをつけている灯里がいつも通りにキッチンに立っていた。
「おはよう」
「おはよう士郎さん。もしかして会社に行くの?」
「うん、そのつもりだけど」
「大丈夫? 今日ぐらい休んでもいいんじゃない? ほら、会社って有給とかあるんでしょ?」
心配してくれる灯里に、俺は「大丈夫だよ」と苦笑いを浮かべて、
「なんかさ、会社に行きたい気分なんだ」
自分で言っておいてなんだが、今の台詞は生粋の社畜みたいだな……。
だけどそういう意味で言った訳ではない。今言った言葉に付け加えるように続けて話す。
「普段通りの事をしたいっていうか……早く日常に戻りたいっていうかさ」
「そっか……士郎さんの気持ち分かるよ。私も落ち着かなくて、いつも通りに朝ごはんと士郎さんのお弁当作ってるもん」
「それは助かるな」
どうやら灯里も同じ気持ちだったらしい。
短い時間だったけれど、俺達は非日常を過ごした。
それもダンジョンのように楽しいものではなく、テロリストとの命を懸けた戦いだ。
あんな衝撃的なことを気にするなっていうのは無理だけど、なるべく早く忘れて平穏な日常生活に戻りたいと思っている。
そういえば、灯里も『迷宮革命軍』のメンバー一人と交戦したんだよな。
俺もリーダーらしきメンバーと戦っていたから実際には見てないけど、魔法を使って倒したみたいだ。
メムメム曰く、魔法の練度が上達していたって褒めていたな。灯里は普段からメムメムに魔法を習っているから、俺なんかよりも上手くなっているんだよな。なんにせよ、怪我がなくて本当に良かったよ。
「メムメムは?」
「ふふ、いつも通りぐ~すか寝てるよ」
「あいつは凄いなぁ」
あんな事があったっていうのによく眠れるよ。呆れを通り越して感心してしまう。
まぁ異世界に居たメムメムにとっては命を懸けた戦いなんて日常茶飯事だったんだろうから、俺達とは肝の座り方が違うんだろうけどさ。
「顔洗ってくるよ」
「うん。朝ご飯の準備をしたらメムメム起こしてくるね」
「ありがと」
洗面所に向かい、パシャパシャと顔を洗う。
歯を磨きながら、ふと昨日のことを思い出した。
『迷宮革命軍』を全員倒した後、俺と灯里と楓さんとメムメムは柿崎さんに車を出してもらい、一度東京タワーに向かった。というのも、特別に持ち出した真・鋼鉄の剣をギルドに返さなければならなかったからだ。
ささっと武器をギルドに返した後は、楓さんを自宅に送ってから俺達も家に帰ってきた。軽くシャワーを浴びてからベッドに入ったのは、午前三時を回った頃だったか。
(エマ……大丈夫かな)
あの後、エマや『迷宮革命軍』がどうなったのかは分からない。
合馬大臣からは「ここは私に任せて君達はもう帰りたまえ。協力してくれてありがとう、後日改めてお礼をしに行くよ」とのこと。
スピーディーに事が運んで、一言もエマとは話せなかった。
あれ以上は一般人の俺達がどうにかできる訳でもないし、合馬大臣に任せることにしたけど。
『迷宮革命軍』の処遇はどうなったのだろうか。エマはどうなるのだろうか。
そんな事を考えていたら、あっという間にスマホのアラームが鳴ってしまったんだ。
(なんだろうなぁ……)
髭を剃りながら、ふと抱いた違和感について考えていた。
エマが拉致されて、合馬大臣に助力を求められて、『迷宮革命軍』と戦って。その時その時は目の前のことに必死だったんだけど、後になってアレって思う。
誰かの思惑に嵌められたというか、筋書き通りに踊らされたというか、そんな感じの違和感。自分でもよく分からないんだけど、ダンジョンで培われた勘がそう言っている気がする。
全部上手くいったからいいじゃんっていうのもあるけど、“上手くいき過ぎている”とも思えてしまうんだ。
「もっとしっかりしなくちゃな……」
思考を放棄して他人任せにしないで、これからは俺自身もよく考えないとな。灯里やメムメムを守る為にも。
「ふぅ」
濡れた顔をタオルで拭き、一度自分の部屋に戻ってからスーツに着替える。リビングに向かうと、メムメムが食卓の椅子にぐでっと座っていた。
「おはようメムメム」
「ふぁ~あ、おはようシロー。って何だいその格好は、まさか会社に行くのかい?」
「そりゃそうだよ、今日は平日だからな」
「か~やだやだ。あんな事があっても会社に行くってのかい、見上げた社畜根性だ。ボクぁ一生働きたくないね、やっぱりニートが一番だよ」
呆れるようにやれやれと肩を竦めるメムメム。
自分でニートがいいっていうのもどうかと思うけどな……。
「バカなこと言ってると朝ご飯抜きだよ。勿論お菓子もね」
「そりゃ勘弁だよアカリ~。お菓子がなきゃボクは生きていけない身体になってしまったんだ」
「はいはい」
そんな微笑ましいやり取りをしつつ、三人で「いただきます」をしてから朝ごはんを食べる。うん、灯里が作ってくれた料理は美味しいな。疲れた身体が元気になるよ。
「おっと、そろそろ時間か」
鞄を持って玄関に行くと、灯里もついてきてくる。
「いってらっしゃい、士郎さん」
「うん、いってきます」
笑顔でそう言ってくれる灯里に、俺も笑顔で返した。
◇◆◇
「おはよう、楓さん」
「おはようございます」
会社に出社すると、自分のデスクに座っている楓さんに挨拶をする。彼女の隣にある俺の椅子に座って話しかけた。
「会社、休まなかったんだ」
「ええ、家でじっとしているより会社で仕事していた方が気が紛れますから」
「そうだよね、俺もそんな感じだよ」
同意するように頷く。
やっぱり楓さんも同じだったか。家に居ても中々落ち着かないよな。
「エマ、どうしてるかな……」
「どうでしょうか……」
「エマとは何か話せた?」
「いえ、特に話はしていないです。彼女の立場を考えたら、話し辛いでしょうし」
「そっか……」
俺が『迷宮革命軍』のリーダーと戦っている頃、楓さんとエマはピンチに陥っていたらしい。リーダーが放ったダンジョン産の装具の斬撃波に巻き込まれ、エマが落っこちてしまいそうになったところを楓さんが助けたそうなんだ。
その話は楓さん本人ではなく、手助けした灯里から聞いたものなんだけど。
その時何か話していないかなぁとか思ったけど、どうやら楓さんもエマと話せなかったみたいだな。
「はい皆~、朝礼始めるよ~」
楓さんと話しながら仕事の準備をしていると、日下部部長が前に出てきて拍手する。
「今日は皆に嬉しいお知らせがあります」
「え~何ですか部長~」
「給料上げてくれるとかですか」
「ふっふっふ、それより嬉しいと思うよ」
意味あり気に微笑む部長。
昇給より良い報告ってなんだろうと考えていると、部長が扉に向かって「どうぞ」と促す。すると、ガチャリと扉を開いて一人の女性が入ってきた。
「Hello,everyone! 皆さん元気にしてましたカ!」
「「えええええええええええ!?」」
元気良く登場した女性に、社員全員が絶叫する。
皆が驚くのも無理はないだろう。何故なら女性の正体が、エマ・スミスだったからだ。勿論社員だけではなく、俺や楓さんも酷く驚いている。
「えっ、何で!? エマちゃん戻ってきたの!?」
「突然の事なんだけど、急遽日本に異動することになったみたいなんだ。私も今朝知ってビックリしたよ」
おいおい、昨日の今日でそんな事できるのか?
人事異動ってそんなホイホイできる訳じゃないと思うんだが。もしかして、予め用意していたのだろうか?
「出戻りみたいな感じになったけど、また皆で頑張ろうね」
「皆さん、よろしくお願いしまース!」
「よっしゃぁああああああああ!!」
「エマちゃんカンバーーック!!」
「これでまた毎日が楽しくなるぜ!」
「「……」」
エマが帰ってきたことに盛り上がる同僚達とは別に、俺と楓さんは黙ったまま顔を合わせた。
◇◆◇
「ちょっとエマさん、どういう事ですか!?」
「そうだよ、何がなんだか訳が分からないよ!」
「え~何のことですカ~?」
「貴女、まだそのキャラでいるつもりなんですか……」
俺達が問い詰めても知らんぷりするエマに、楓さんが眼鏡を直しながら大きくため息を吐く。
昼休みになってから、俺と楓さんはエマを捕まえて屋上を訪れた。ここなら、誰にも話を聞かれる心配はないだろう。
「なぁエマ、ふざけてないで真面目に答えてくれよ」
「そうですよ。貴女がFBIだって分かった以上ここに来る必要性はない筈です。なのに何故当たり前のように戻ってきてるんですか」
楓さんの言う通りだ。
俺達はもうエマがFBIだってことは承知済み。スパイ相手に正体がバレているってのに、スパイ活動を続ける意味なんてない筈だと思うんだが。
「もう二人共せっかちさんですね。ワタシだって詳しくは知らないんですよ。急に前の任務に戻れって指令がきたんですから。駒のワタシはただ上の命令通り動くだけデス。
ああ、指示というのはこの会社の社員として真面目に働くことデスから、これからも仲良くしてくださいネ♡」
「仲良くってさぁ……」
えへっと無邪気に微笑みながらそう告げてくるエマに呆れていると、楓さんが胡乱げに問いかける。
「昨日の今日でよくこんな動きができましたね。いったいどうやったんですか」
「ワタシも知りませんよ。ただ見当はついてます。そっちの合馬大臣か、FBIの仕業か……それとも、この会社の上層部の誰かかもしれませんネ」
「「っ……」」
エマに言われて、俺と楓さんははっと驚く。
確かに、以前もそうだったけど急な人事異動なんてものを操れるのは会社でも上に立つ人間しかいない。それこそ、社長とか役員クラスの人間だ。
まさか、この会社にも政治に関わっている内通者がいるのだろうか。
「おっと、そろそろ昼休みも終わりデスね。戻りましょうか。ああシロー、楓と少し話したいことがあるので、先に行っててくれませんか」
「……わかったよ」
エマの頼みを聞いた俺は、一人屋上から立ち去った。
「どういうおつもりですか」
士郎が屋上から出て行った後、楓がエマに尋ねる。するとエマは金色の前髪をかき上げながら、
「あの時のお礼をちゃんと言っておこうと思ってね。助けてくれて嬉しかったわ、ありがとうカエデ」
「別に、人道的に助けたまでですよ」
「もう、照れちゃって!」
エマは後ろから楓に抱き付くと、耳に唇を寄せて囁くように告げる。
「カエデとの約束は守るわ。シローとのこと、全面的にバックアップするつもりだから。個人的にも、カエデのことが好きになったし」
「っ!? からかわないでください! 余計なお世話です、貴女の力は必要ありませんから」
エマを振りほどいた楓は、頬を染めながら屋上を出ていく。そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、エマは嬉しそうに口角をあげた。
「もう、素直じゃないわねぇ……はい、もしもし」
『よう、元気にしてるか』
「アンタねぇ……」
突然電話がかかってきたと思ったら、その相手は連絡係のBだった。エマは不機嫌そうに恨み言を吐く。
「よくも私を騙して、良いように使ってくれたわね。今度会ったら覚悟しておきなさい」
『おいおい怒んなよ。俺だって命令で動いてたんだ、仕方ないだろ? 文句なら上に言ってくれって』
「そうじゃなくて、アンタ私の頭をおもいっきりドついたわよね。この代償は高くつくわよ」
『あ~、それは悪かった。謝るよ。ちゃんと埋め合わせはするから許してくれ』
「当然よ。それで、私とアンタはこれからどうするの?」
『前と一緒さ。お前は許斐士郎と五十嵐楓と仲良くなってくれればいい。俺はそのサポート。OK?』
「本当にそれだけ? 彼等にFBIとバレた以上、正攻法でメムメムと接触させてくれるのは恐らく不可能よ。っていうか、何で任務を続けなきゃならないのよ」
『そこら辺は俺に聞かれても答えようがないね。まぁ、人並みのOL生活を楽しんでくれよ。グットラック』
「あっ、ちょっと待ちなさいよ!」
詳しい事を話さず通話を切ってしまうBに、あの野郎……と舌を打つ。
上の人間の考えが全く分からない。何故失敗した任務をエマに継続させる必要があるのか。いったい自分に何をさせたいのだろうか。
「ふぅ、まぁいいわ。それならそれで好きにさせてもらうわよ。そうね、まずはカエデの恋でも応援しようかしら」
楽し気に呟きながら、エマも屋上を後にしたのだった。
これでエマ編は終了です。
今後政治的なやり取りなどの話は恐らくありません。