第百九十一話 B
「早速つけて頂いて嬉しいです」
「時計? そりゃそうだよ。楓さんがくれたんだから、使わないとね」
楓さんから指摘された俺は、左手首につけてある腕時計を見せながら微笑む。
昨日の誕生日に楓さんからビジネス時計を貰って、早速今日からつけるようにしていた。大事に取っておきたい気持ちもあるけど、使わない方が失礼だろうしね。
(うん、今日も灯里の弁当は美味しいな)
今は会社の昼休憩。
いつものように楓さんと食堂に来て、灯里が作ってくれた色とりどりの弁当を食べている。楓さんはいつも通り食堂のメニューを食べていた。
因みに、灯里がプレゼントしてくれた財布も今日から使っている。
「そういえば士郎さん、勇者のスキルはどうですか?」
「う~ん、色々試してみたけど使い道がわからないんだよねぇ。ユニークスキルの方は特にね」
楓さんの質問に、ため息を吐きながら曖昧に答える。
魔法剣士から勇者にジョブチェンジして、一気に三つのユニークアーツやスキルが増えた。
ユニークスキルの【勇気の心】と【想いの力】。
喜ばしいことなんだけど、如何せんどう使えばいいのか不明で困っている。
あれからモンスターと何度か戦闘したけど、結局この二つのスキルが発動することはなかったし。
【勇気の心】は、勇気の力を発揮し、パーティーに勇気を与える。
【想いの力】は人々の想いが力になる。
どちらも効果説明が曖昧だし、発動条件すら分からない。折角ユニークスキルを取得したというのに、使えないのでは宝の持ち腐れだった。
ユニークスキルは不発だったけど、ユニークアーツの【勇者の剣】は使うことができた。
けど、パワースラッシュの強化版といった感じで、他の冒険者のように特別優れている訳ではない。
ただ、発動するタイミングによって威力が変化するのは判明した。モンスターと戦う前に初っ端から発動した時と、モンスターと何度か戦闘した後で発動した時と威力が変わっていたんだ。
多分、見えないゲージみたいな概念があるのだろう。
効果説明も、勇気の心が溜まっているほど威力が上昇するって記載されてあったし。
「そうですか……できれば火竜と戦う前に知りたかったですね」
「だよねぇ……。でも分からないものに頼るよりも、今まで通り自分の力で乗り切るよ」
「そうですね。士郎さんの言う通りです」
楓さんの言う通り使えることに越したことはないけど、使えないんだったら腹を括るしかない。今週の土曜日には火竜と戦うんだからな。
そんな風に覚悟を決めていると、突然ポケットに入っているスマホがブルブルと震え出す。
「誰だ?」
この振動の感じだと多分着信だろう。ポケットからスマホを取り出し、着信相手を確認すると――、
「合馬さん?」
電話をかけてきたのは合馬さんだった。
合馬秀康。ダンジョン省大臣にして、異世界の魔王だった人だ。勇者マルクスが率いる勇者パーティーに討伐されたんだけど、何の因果か俺達の世界に転生したらしい。
メムメムと出会ってから、彼には何かと世話になっている。
それにしても合馬さんから連絡してくるなんて珍しいな。いったい何の用なんだろうか。
疑問を抱きながら、画面をタップにして耳にあてた。
「もしもし、許斐です」
『あ~許斐君、私だ、合馬だ。突然すまないね』
「いえ、大丈夫です。急にどうしたんですか?」
『緊急の要件で連絡をさせてもらった。許斐君、君の同僚にエマ・スミスという女性がいただろう?』
「はい、いましたよ。一か月ほど前にアメリカに転勤したので今は会社にいないですけど」
『落ち着いて聞いてくれ。彼女が拉致されてしまった』
「何だって!?」
ダンッと席を立ち上がり、声を荒げてしまう。
エマが拉致された? 何故、誰に?
訳がわからない。どうしてエマが拉致されなきゃならないんだ。
『彼女を救うには許斐君の助けが必要なんだ』
「俺の?」
『そうだ。これより先は機密事項だから電話では話せない、詳しい話は後でする。車を手配したから、アメリカ大使館に来てくれ』
「わ……わかりました」
そう言って電話を切る。
俺の力が必要ってどういう事なんだ。しかも場所がアメリカ大使館ってことは、アメリカが絡んでいるのか?
ダメだ、頭がこんがらがってきた。
「どうされました?」
「それが――」
俺の様子を気にして尋ねてきた楓さんに、誰にも聞かれないよう小声で事情を説明する。
「エマさんが拉致された!?」
「うん、それでどうやら俺の力が必要らしい。これからアメリカ大使館に行ってくるよ」
「士郎さん、私も同行してもよろしいでしょうか。エマさんとは、私も少なからず関係がありますから」
「……わかった」
くそ、エマは誰に拉致されたんだ。頼むから無事でいてくれ。
◇◆◇
「はぁ……退屈ねぇ」
カフェのラウンジで優雅にコーヒーを飲みながら、エマ・スミスはため息を吐いた。
元々彼女は、『ターゲットである許斐士郎に近付き、友好的な立場から異世界人メムメムと接触を図る』という長期的ミッションを与えられていた。
しかし、士郎とメムメムがDAのアナスタシア=ニコラエルの弟を救う為にロシアへ入国したことで事情が変わってしまう。
これまでは他国が介入する余地が無いと判断して遠回りなことをしていたが、士郎とメムメムが日本を出て外国に向かったという事実によって、悠長にしていられなくなった。
長期夏季休暇を終える前にエマの長期的なミッションは凍結され、“上”から本国に帰還せよと命令が下ったのである。
「どういうことよ。帰ってこいって言うから帰ってきたのに、何で次のミッションが与えられない訳?」
苛立つエマは、ブスッとフォークでチョコケーキを刺して口に運ぶ。
彼女が怒るのも無理はないだろう。折角士郎や楓と良好な関係を築き上げてきたのに、鶴の一声で全部パーになってしまった上、急いで帰国したのにこの一か月全くの音沙汰無し。
帰国直後、連絡係と一度だけ会って言われたのはたった二言。
「次のミッションが与えられるまでお前は休暇だ。羽目を外せて羨ましい限りだ」と。たったこれだけだ。“上”はいったい何を考えているのだろうか。
「ったく、いつまで待たせんのよ」
コーヒーを最後まで煽ると、会計を済まして赤色のオープンカーに乗り込む。
彼女もプロだ。“上”の命令に不満があっても従うまで。だが、今回のミッション凍結には納得できていなかった。
すぐに新しいミッションを与えられていれば気持ちを切り替えられたのだろうが、それすらないのだから不満は溜まる一方。しかも一か月経っても新しいミッションは与えられていない。
「ん? つけられてる?」
ドライブでもしてスカッとしようと考えていると、ある異変に気付く。さっきからずっと背後車に尾行されているような感覚を察知する。バックミラーで確認したところ、車種は黒のハイエース。
試しに右折してみるも、やはり同じように曲がってきた。確定だ、背後車は自分をつけている。
「私を狙っている? という事は私の存在を知っている?」
まさか、そんな筈はない。自分の正体を知っている者は組織以外いないからだ。単純に金目当てか、それとも自分が良い女だから攫おうとしている?
理由は不明だが、尾行してくるなら撒くまでだ。
エマはギアを上げてアクセルを強く踏み、一気に加速する。すると、背後車も慌てたように加速してきた。
「へぇ、私とやり合おうって? 丁度良い、憂さ晴らしに付き合ってあげるわ」
ニヤリと口角を上げると、さらにギアを上げる。ブオンッと鈍いアクセル音が鳴り響いた。
ドライブテクニックで蛇行しながら前方の車を追い抜かしていくと、背後車は他の車とぶつかりながら強引に突っ切ってくる。スポーツカーに劣らない速度に加え、恐らくボディも硬くコーティングされているだろう。間違いなく改造車だ。
そしてついに、すぐ間近まで追いつかれてしまった。
「ちっ!」
舌を打つエマは、クルリとハンドルを回して市街地の方に入っていく。狭い道路を走って障害物を巧みに躱しながら距離を離そうとするが、背後車も障害物を吹っ飛ばしながら追いかけてきた。
「舐めんじゃないわよ!」
まるでハリウッド映画に出てくるカーチェイスが繰り広げられる中、エマは状況を打破する為に手を打つ。ガチャガチャッとギアを入れ替え、思いっきりブレーキを踏んでハンドルを回す。
惚れ惚れするようなドリフトターンをかまし、反対車線に移動した。背後車も追随しようとしたが失敗し、ズドンッと他の車と激突する。
「ふん、大したことないわね」
尾行を巻いたエマは勝気に笑った後、スマホを操作して連絡係に電話をかける。
最初は金目当てなどが目的だと思っていたが、あの様子からしてそうではないと判断する。自分の正体を知った上で狙ったのだろう。
この事を報告する為に連絡係に電話をしたのだが――、
「出ないわね。ちっ、こんな時に何してんのよ」
連絡係は電話に出なかった。
苛立つエマはサイドシートにスマホを投げ捨てると、再び異変を感じた。今走行しているブリッジに他の車が一切見当たらない。
「人……?」
そして、前方に人影が見えた。
その人物は現代に不釣り合いな防具を纏っていて、右手に剣を携えている。その姿はまるで、ダンジョンに挑む冒険者のようだった。
「――っ!」
危機を察知したエマが慌ててバックターンをしようとしたが、一瞬遅かった。その人物が剣を振り下ろすと、見えない風の斬撃がスポーツカーを真っ二つに斬り裂く。
「くっ!」
クルクルと半分になった車体が回転し、シートベルトを着用していなかったエマは宙に放り出されてしまう。ゴロゴロと地面を転がり、頭から血が流れる彼女は胸元から拳銃を取り出すと、こちらに歩み寄ってくる冒険者風の人間に銃口を向けて発砲する。
「ぐぁっ!」
しかし、撃たれたのはエマの方だった。
拳銃を取りこぼし、苦しそうに撃たれた右肩を逆の手で押さえる。
(撃たれた!? 誰に!?)
目の前にいる冒険者は銃の類を持っていない。だとしたら、いったい誰が自分を撃ったというのだろうか。
狼狽していると、前後から四台の車がやってきて囲まれる。完全に包囲され、逃げ場を失ってしまった。
(しくったわね……)
舐めていた。
まさか相手がここまで得体の知れない連中だとは思いもしなかった。このピンチをどう切り抜けようか策を練っていると、車から次々と人間が降りてくる。全員、仮面を被って顔を隠していた。
(こいつら、何者なの……?)
不気味な連中を訝しんでいると、一人が車に向かって声をかけた。
「おい、本当にこの女でいいんだろうな」
「ああ、間違いない。そいつが俺達の切り札だ」
「はぁ……はぁ……(この声……)」
聞いたことがある声だ。誰だ、この声は誰だった。
声の主を思い出そうとしていると、その人物が車から降りてくる。そいつを目にしたエマは、顔を驚愕に染めた。
何故なら――、
「アンタ……」
「よう、エマ・スミス。悪いが大人しくしてくれないか。お前は大事な人質なんだからよ」
「何で、アンタが……」
その人物は、エマの同僚である連絡係――コードネーム“B”だったからだ。