第三話|少年は瞋恚を知った。
「グゥエ……ン……」
リュウキは苦しそうに目を覚ます。ザァザァと流れる波の音。空に大きく広がる青空。彼は砂浜の上で仰向けになって寝ていた。
ーーなんだここは……
リュウキは鉛のように重くなった身体を起こし、ふらつきながら立ち上がる。すると、一帯に広がるのは、どこか見覚えのあるかの湖の浜辺だった。ここはリュウキも一度遠征できたことのある、リヴァイアサンの住処からかなり距離のある、比較的安全な地帯だった。
「俺は生き残ってしまったのか……」
彼は自分が生きていることを悔いるように呟く。そこで彼は、右の拳がなぜか強く握りしめられたままであることに気づく。どうに力が入らず、右手がぴくりともしない。彼は左手で右の拳の指を一本一本のけていった。
すると、右の拳に握られていたのは、深紅の指輪だった。湖に沈んでいった時に、赤く光る何かを掴み取った記憶が思い出される。リュウキは改めて、まじまじその指輪を見た。すると、指輪にはどこか禍々しい悪魔のような彫刻がなされており、何かしらの黒い金属でできていた。そして、中央には、紅く輝く宝石のようなもの。彼は、何かもわからぬまま、とりあえず指にはめた。
ーーまぁなんかかっこいいし、いいよな……
そう思いながら、彼は嫌なことを思い出すように、リヴァイアサン討伐計画について思い出す。結局どうなったのか、希望もないが、期待せずにはいられない。あれだけの損害が出て、何もなかったでは済まされないのだ。リュウキは、なけなしの体力をはたいて、リヴァイアサンの居住区画まで駆けた。ふらつきながらも一歩、また一歩と進んでいく。
リュウキはついにたどり着いた。しかし、リュウキはその光景に漠然と立ち尽くす。以前まではボロボロながらもなんとか建っていた家々もなぎ倒され、屑のようになっている。人々は前以上に貧しい様子で、苦しむ声が所々から聞こえてきた。死体もちらほら目に付く。すると崩れた建物の中から、小さな女の子が現れた。
「お母ちゃん、お母ちゃんがいない」
「何があったんだ」
「お母ちゃんがいない」
少女は泣き崩れ、リュウキの方にすがりつく。リュウキは何をすればいいのかもわからず、少女にこう聞くしかなかった。
「何があったんだい」
「リヴァイアサン、リヴァイアサンが怒って……」
そうして、リュウキはすべてを悟った。あの討伐隊は結局失敗に終わり、それどころかリヴァイアサンの逆鱗に触れてしまったこと。そして、結果的により多くの命を奪うことになったことを知る。
「俺が負けたから……」
「お兄ちゃんって、あの討伐隊の……」
「あぁ」
「お兄ちゃんのせいだ!! お兄ちゃんのせいで、お母ちゃんが!!」
泣きじゃくる少女はポカポカとリュウキを叩く。必死に叩いて、必死に涙を流している。リュウキは自分がつけ上がっていたことを悔いた。
「すまない」
「お兄ちゃんのせいだ! お兄ちゃんのせいだ!」
「すまない」
「……」
「すまない、全ては俺が失敗したから……」
罪悪感と悔恨の意、そしてそこから沸々とたぎってくる怒りや憎しみの感情。リュウキは自分に怒り、自分を憎しみ、自分を呪った。すると、彼は視界が黒く霧ががっていく。リュウキは目を擦るが、何も変わらない。ただ、彼は指輪の宝石が眩く紅く光っていることを確認した。
ーーなんだ、これは……
彼は不思議と漲ってくる力を感じた。なんかできそう、そうも思えるほどの力を感じていた。そして、リュウキは立ち上がり、気がつけば、リヴァイアサンの元へと足が進んでいた。
かの決戦の間に行ってみると、そこには無残に数多くの死体が転がっていた。どれもリュウキが知っている顔だ。中にジュウケイもリーダーの大男の死体もある。血は黒かった。
「ほぉほぉほぉ、まだイキノコリがいたとはな。ヒトトオりセンメツしたはずだったのだが」
「クズが!」
リヴァイアサンを前に、リュウキは小さく呟く。
「なにかイったか? まぁ、ミノガしてやろう。なにせワタシはヤサしいからな」
「屑がぁーーーーーーー!!!!!!!!」
リュウキはそう叫んだ。
「ワタシもそんなヤサしくはないぞ。おマエも、そうイキルな」
「かかって来いよ! 俺が殺せねーのか」
リュウキにはなにの計画もあるわけでもない。彼はただ挑発をした。もしかしたら今ある鬱憤を晴らしたかっただけなのかも知れない。
「そんなにシにたいなら、コロしてやる!」
リヴァイアサンは大きく口を開くと、丸呑みするばかりにリュウキの方へと勢いよく突撃する。そして、リュウキもリヴァイアサンに向かって走り出す。
そして、そのまま……。彼の姿はリヴァイアサンの身体のなかへと消えてしまった。
とその瞬間のことだ。
「「バターーーーーン」」
リヴァイアサンの身体左右に半分に割れ、中からはリュウキの姿があった。彼の手には漆黒の如き剣が姿をみせる。本当に一瞬のことだった。二十年間以上かけて立てた計画が失敗に終わり、対して彼はそれに数分で方をつけてしまった。
リュウキはリヴァイアサンの死体を捌き、そしてそのままに食らいついた。
そして残ったのは、巨大な骨ばかり。彼はどこからぬ達成感に笑い始めていた。
「ククク、ガハハハハ! ワッハッハッハッハ!!!」
リュウキは目を覚ますと、あの決戦の場にいることを把握する。彼はいつかから、意識が朦朧としていたことに気がついた。リヴァイアサンの骨がそこには残されている。
「一体、何があったんだ……」
リュウキは自分の服や身体、口の周りにこべり付いた青く獣臭い血に気づいた。
「俺が倒したのか……」
「俺が食ったのか……」
リュウキは何も覚えていなかった。しかし、一つ言えたのは、今まで以上に体に力がみなぎっていることであった。湖の横で目覚めた時の身体の痛みはなく、却って好調なぐらいだった。唯一気がかりだとすれば、右手の薬指に嵌まる指輪のみ。しかし、抜こうとしても、その指輪は、リュウキの指からビクともしなかった。
「一体、なんなんだ……」
リュウキは状況がいまいち理解できていなかった。とそこに、年老いてやせ細った老人がやってきた。
「お前さんがやったんじゃよ」
「俺がリヴァイアサンを……? そんなわけ……」
「それは恐らく、かの憎悪の悪魔マスティマが残した指輪じゃろう」
「マスティマ……?」
「嵌めたものの命が続く限り、肉を欲し、あるだけの全ての力を求め続ける伝説上の指輪じゃ」
「そんな……わけ……」
「わしは見ておったぞ。怒りに荒れ狂うお前さんの姿を……それはまるでーー」
「まるで?」
「悪魔のようじゃった……」
リュウキは不気味がるようにして、老人からのけぞった。なぜこの老人はそこまで知っているのか、彼は不思議に思っていた。しかし、彼は同時にどうすれば良いのかわからなかった。もしその力が本当で、それで彼は何をすれば良いのか。
「俺はどうすれば……」
「決まっておるじゃろう。龍の支配に苦しむのは、ここだけじゃない!」
「俺に救えってか?」
「大丈夫じゃ。お前さんならきっと大丈夫だ。世界を救って来るんだ!」
「そ、そうか」
リュウキはよくもわからず、理解したつもりになった。実際、ここ以外にも龍のせいで死んでいる人がいる。そして、彼らも救うことで少しでも、自分の過ちを、弱さを償うことができるのではないのか、そうリュウキは感じたのだった。