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ヒラエスの魔女の唄  作者: 待雪天音
リンディーロンの子守唄
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15.探し物の行方




 わたしはひとまず、昨日のゴゥワーさんの家を出てからの行動を辿ってみることにした。エディはわたしほど警戒されないだろうということで、村の人たちに調薬レシピを見なかったか聞いて回ってくれるとのことだ。


 メァラたちにも尋ねてみようと思ったら、既に彼女たちは興行や食料の調達のために出掛けた後だった。


 荷物番のために残っていたメァラのお姉さんに聞いてみたけれど、やはり昨日今日でそれらしいものは見ていないということだ。


 誰か他の家族が戻ってきたら同じことを聞いてくれるように頼んで、わたしとエディも馬車を離れた。


 二手に別れて、まずは小間物屋に向かう。一番可能性が高く、ゴゥワーさんの家でレシピを確認して以降、最初に訪れた場所だ。


 ここで見つかれば笑い話にもなったけれど、期待したことに限って成果は芳しくないものである。


「いんや、知らんね。あんたさんが薬と一緒に籠から出したとこまでは見とったが、わしが買い取った薬分の代金を勘定しとる間にカウンターから消えとったからなぁ。わしゃてっきり、さっさと籠に仕舞ったもんだとばかり思っとったよ」


「それがここ最近、衝撃的な話を立て続けに聞いたせいでぼんやりしていたんです。考え事をしていたせいか、籠に仕舞ったかどうかも定かじゃなくて」


「あぁ、道理で。他のお客さんに声を掛けられとったのに全く反応せなんだのはそういう理由か」


「他のお客さん?」


「ほれ、この間インクを求めにやって来た」


 あぁ、と得心の声を上げて自分の散漫さに閉口した。グラムさん……と言ったかしら。


 せっかく見知った顔を見つけて声を掛けてくれたのだろうに、無視をしてしまっていたらしい。彼には悪いことをしたわ。もしもまた会うことがあったら謝っておこう。


 ともあれ、懸念していた通り、早速手がかりが途絶えてしまった。


 お礼を告げて店を後にしようとしたところで、ふと別件で胸に燻っていた疑問を問う。


「そう言えば、ゴゥワーさんのことですけど――」


 わたしがひとつの推測を口にすると、店主の老爺は皺に埋もれた目を瞠ってから、やがて重々しく頷いた。




 ▽ ▲ ▽




 心当たりと手がかりが途切れたことで、後は馬車までの道中を注意深く探し歩くしかなくなってしまった。茂みや垣根の陰や、薬草のよく生えている場所を覗き込みながら探し回る。


 一度通った道を引き返しては、見つからないとまた別のよく通る道を歩く。このまま見つからなかったらどうしよう、と途方もない絶望感に襲われた。


 そこにあることが当たり前だったものが、忽然と姿を消した。まるで悪い魔法にでもかけられたみたいだ。


『魔女がお前さんの大切なものを奪い去ろうとしているよ』


 耳の奥で、少し前に聞いた予言じみた言葉が反響する。あれは、ホリーヘッドの前に立ち寄った町の路地裏で会った、占い師に言われた言葉だった。


 元来、占いや魔法といったものをあまり信じない質のわたしが覚えていたのは、魔女という言葉に、少し過敏になっていたせいかもしれない。


 人は、己の考える人の道から外れたものを、魔女だとか、化け物だとか呼ぶ。その中には、移民や、異教の民や、わたしのようなはぐれ者の薬師も勿論含まれているし、また毒や薬を用いて人を害する者のことを指すこともある。


 一歩間違えば、わたしのような存在は、簡単に道を踏み外してしまえるのだ。あの調薬レシピは、それを戒める存在でもあった。


 人を助けること、その知識で傷つけないことを何より重んじた母が大事にしたものを、決して忘れないために。


 自分には、この身ひとつ以外に大切なものなどないと思っていた。


 母のレシピは、あまりにも手に馴染みすぎる。


 馴染みすぎて、気づけなかったのだ。そこにあることが当たり前だったから。もはや、この身の一部だったから。


 広大なあの、コンウィの野山と同じ。手元を離れてから気づくなど、なんて愚かなのだろう。


 焦りのせいで滑る目線をしっかりと注視して、草の根を掻き分けて探す。今ばかりは耳障りな葉擦れの音に混じって、おーい、と聞き慣れた女性の声がした。


 立ち上がりもせずに振り返る。こちらに手を振りながら駆けてくるメァラの姿を見つけた。


「どうしたんだい、こんなトコで這いつくばって」


「メァラ……」


 聞くだに情けない声が出てしまった。きっと顔も相応に、腑抜けた表情をしているに違いない。あんぐりと口を開けた彼女が、こどもにするようにしゃがみ込んで目線を合わせた。


「ホントにどうしたってんだい。ここ何日かちょこちょこ上の空だったけど、今は輪をかけてひどいカオじゃないか」


「母の形見の調薬レシピがなくなってしまったの。エディにも手伝ってもらっているのだけど見つからなくて……」


「レシ、ピ? えぇと、あぁ、もしかしてアンタが大事にかかえてた本ってやつかい?」


「そう」


 あれ、母親の形見だったのか、とメァラが気の毒そうな顔で呟いた。


「一応、念のために聞くけれど、何か知らない?」


 けれどわたしがそう尋ねた途端、彼女は気分を害した様子で眉を顰める。何かおかしなことを聞いただろうか。


 こちらも怪訝な気持ちが顔に出るのを止められないまま、彼女のとんでもない勘違いを聞かされた。


「なんだい、それ。まさかアタシたち家族の誰かが()ったって言いたいのかい?」


「そんな、まさか! そうではなくて、わたしは……」


「それに答える意味はあんのかい? アタシが盗ってないって言ったところで信じる? それとも、もしも盗ったって言ったンなら?」


 これには勢い込んで否定しようとしたけれど、彼女の怒りの琴線に触れたらしく、弁解の余地も得られないまま語気荒く畳み掛けられる。


 何故そんな誤解を、と考えて、ホリーヘッドでの出来事を思い出した。彼女が根も葉もない噂や憶測で、謂れのない言いがかりを付けられていたあの日のことを。


 きっと、これまでにもそういうふうに疑われたことが幾度となくあったのだろう。ただ根付く土地を持たない流民だというだけで、無くなったものを盗んだろうと濡れ衣を着せられたことが。


 いくら友達と呼んで確かめ合っても、これまでの経験から、腹の底から信頼することができない。信じ切れば、裏切られた時が怖いから。


 怒りに任せて立ち上がろうとするメァラの手を反射的にとって、わたしも負けじと語気を強めて言った。答えなんて、最初からひとつだ。


「信じるわ。あなたが知らないと言うのなら、わたしはそれを信じる。だからあなたの言葉で聞かせて」


 そもそも疑ってなどいないのだけれど、興奮した状態の彼女に何を言っても意味がないだろう。だから落ち着けるために「聞かせて」と言った。


 きっとそれは、彼女が家族以外の誰かを信じる上で、もっとも必要な言葉だ。エディがわたしに「甘えを見せることを覚えた方が良い」と言ったように。


 人の業は変えられないけれど、自分なりに折り合いを付けて受け入れていくことはできる筈だから。


 メァラはこんなふうに、真正面から信じると言われたことがないのだろう。途端に狼狽えて一歩後退った。


 けれどわたしが目を逸らさないことを確認するや否や、ばつが悪そうにため息をついてその場にへたり込んだ。


「……盗ってないよ。盗るわけがないじゃないか。ろくに字をよめないアタシたちが、盗ったところで何のトクになるってんだい」


「そう。そうよね。知ってたわ」


「なんで……」


「だって、そもそも疑っていなかったもの。わたしがさっき聞いたのは、どこかで見なかったかとか、誰かがそんな話をしていなかったかとか、そういうことだから」


 やっと頭から血の下がった彼女にひとつ頷くと、メァラは今度こそ力の抜けた顔で「なんだそれ」とこぼした。


「あなたが勝手に早とちりしたのよ」


「なんだ、そっか……ごめん。けど、やっぱりアタシは何も知らないよ。昨日からそれらしいモンは見てないし、そういうのを見かけたって話も聞いてない。家族も知らないと思うけど」


「そうよね……。馬車を出てくるとき、留守番していたお姉さんにも聞いてみたのだけど、知らないと言っていたから」


 有力な情報は得られなかったけれど、代わりにメァラも「一緒に探すよ」と約束してくれた。親父さんとお義兄さんは食料調達のために海の方へ釣りに行っているらしいので、協力を仰いでくれる、とも。


 人手は多ければ多いに越したことはない。心の底からの感謝を伝えて、わたしはメァラが駆けて行った方とは反対方向に向かった。


 小間物屋より南に向かうと墓地の近くに出る。ゴゥワーさんと初めて会った場所だ。あれ以来墓地には寄っていないので、そこに落ちている筈もないだろう。


 そう思いながらも、念のため、念のためと呪文のように自分へ言い聞かせて墓地へ向かった。


 墓石の並ぶ一角に足を踏み入れると、微かに歌声のようなものが聞こえてくる。まさかエディがこんな場所で歌っているわけでもあるまい。半信半疑ながら歌声に耳を傾けてみると、声はこども特有の甲高い舌足らずなものだった。


 なんだろう。どこかで聴いたことのあるような……。


(あ、エディが歌っていた子守唄だわ)


 すぐに歌の正体に気づいたわたしは、木立の間から墓地を覗き込んだ。


 中央付近の墓石の前に、少しだけくたびれた野花を握りしめて調子外れな唄を歌うこどもの姿が見える。


 やはり、どこかで見たことがあるような……。


「あ、おねぇちゃん!」


 身を乗り出しすぎたようだ。こちらに気づいた幼子が、ぱっと笑ったと思うと軽やかな足取りで駆け寄ってきた。


「どこかで、会ったかしら」


 どうしても思い出せなくて尋ねると、そのこどもは口をへの字に曲げたあと、「こないだここでケガをなおしてくれたの、忘れたの?」と不服そうに唇を尖らせた。


「あぁ、墓石に登って遊んでいた子!」


「もうそんなことしないよぉ。今日はね、おうたをうたってたの。おじいちゃんとおばあちゃんと、ほかのここにねんねしてる人たちがきもちよぉくねんねできるように」


 この子はこの子なりに、あの日わたしが言ったことを真剣に考えてくれたらしい。相変わらず墓地にひとりで遊びに来ているのはどうかと思うけれど、それでも、墓石で遊ぶようなバチ当たりなことは自重するようになったようだ。


 偉いわね、と二、三度頭を撫でてあげると、こどもは嬉しそうにはにかんだ。


「ところで、今歌っていたのはお母さん(マム)から教わったの? ウェールズ(カムリ)に伝わる唄……というわけではないわよね。わたしはここに来るまで聴いたことがなかったもの。この島特有の唄かしら?」


「んーん。ママ(マム)じゃないよ。ゴゥワーがきかせてくれたの。ゴゥワーはママがおしえてくれたって言ってたけど。でも、ゴゥワーにママはいないのにおかしいの。きっと三年まえにいなくなったおばあちゃんのことだね」


 またゴゥワーさんの名前が出てきた。この村で良きにつけ悪しきにつけ、彼が関わっていることは多いようだ。


 それにしても、今時分のこどもたちは大人たちほどにゴゥワーさんを嫌厭していないようだ。この子の口ぶりからしても、恐らく彼の祖父母が亡くなった詳しい話を知らないのだろう。それから、ゴゥワーさんが実の母親に捨てられたらしいことも。


 余計なことを話して、こどもの無垢な目を曇らせることもない。代わりにわたしは唄の続きを聞かせて、と頼んだ。


 幼子は、この間の手当のお礼だと言って歌って聞かせてくれた。


ななつ(サィス)やっつ(ウィス)、ミントのゆめみて

 ここのつ(ナウ)とお(デグ)(ヴィニガ)にひたしたら

 しあげにちらそう ラベンダー

 あらあらまあまあ、素敵な香り

 病よ病よ、海の向こうへ飛んでいけ」


「お酢?」


「うん、そう。ゴゥワーはよく、このおうたのおくすりを作るの。すっぱいけど、風のびょうきもぜんぜん来ないから、みんなつくり方をおしえてもらったの。のんだり、体にぬったりするんだ」


「作り方を知っているの? 村の人みんな?」


「うん! さむい日はおなべであっためてのむよ」


「そう。……そういうことだったのね。素敵な歌をありがとう」


 元気よく返事をしたこどもの頭を二、三度撫でて別れる。レシピの行方は相変わらずわからないままだったけれど、別の謎は少しだけ解けた。


 村人が発疹や呼吸困難を起こしたのは、やはり、金属が肌に合わない人がそれを体内に取り込んでしまったがための事故だったのだ。


 メァラは言っていた。酸っぱいもの……特にヴィニガのようなものを鍋に長時間入れておくと、銅が微量に溶け出してしまうのだと。あの夜にその話を聞いたとき、頭に引っかかっていたのはこれだった。


 原因さえわかれば、対処のしようも見いだせる。けれどそれは、ひとまず探し物を見つけてから考えよう。


 そう心に決めて、わたしは調薬レシピの捜索を再開した。




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