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ヒラエスの魔女の唄  作者: 待雪天音
リンディーロンの子守唄
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14.憂悶は続く




 ゴゥワーさんの家でケシの花壇を見た、あの後。わたしは彼に「ケシの睡眠薬は絶対に赤ん坊に使っては駄目よ」と強く言い含めた。突然反論されたことに戸惑っていたけれど、それが赤ん坊の命を奪ってしまう場合もあると伝えると、彼は震え上がって絶対にもう使わないことを約束した。


「じっちゃがたまに使ってだがら、これは危なくない薬だで思ってだんだ」とは、ゴゥワーさんの言だ。わたしはそれに、ケシは効果が強い代わりに頻繁に使うと人に悪い影響を与えることを懇々(こんこん)と話して聞かせた。


 いくら白痴と言えど、きちんと会話が成り立つ以上、彼のそれは軽度のもののように見えた。


 気が触れているわけでもなければ、理解力や想像力が著しく欠如しているだけで、それを「いけないこと」としっかり認識できれば、自分なりの尺度で抑制は効くはずなのだ。問題は、学習能力という点においてだけれど。


 学習能力が低いから、善悪の区別や指標が定まっていないのだろう。それから、自発的に学ぼうとする意識も。彼が私の持つ調薬知識を望んだのは、学びのためと言うよりも、自分の好きな収集物をひたすら集めるこどものような動機だったのだろうと、今にして思う。彼は初めて知った薬の効能についての疑問も、毒性についての懸念も、何ひとつ差し挟まなかったから。


 ともあれこれで、この村の赤ん坊の死亡率はだいぶ下がるだろう。まだ不安は残るものの、わたしはその上で「調薬レシピの指導はここまで」であることと、「翌日にはこの村を発つ」ことを伝えた。


 立て続けに思いもよらないことを聞かされたゴゥワーさんは、とうとう混乱した様子で泣き喚きだした。半狂乱にわたしを引き留めようと縋り付こうとしたので、遂にエディがわたしを背に庇い、ゴゥワーさんを押し返していたほどだ。


 よく力仕事をしているゴゥワーさんに吟遊詩人のエディが敵うはずもなく、わたしごとぎゅうぎゅうと抱き締められていた。……わたしごと、と言うよりも、わたしとゴゥワーさんに挟まれて潰されていたと言うべきかしら。


 何を言っているのかよく聞き取れない喚き声の間に、「おいらが()りごどしたが?」、「おねげだ、ごしゃぐな(怒らないで)」、「置いで行がねでたんせ」といった言葉が断片的に聞こえたので、もしかしたら、実の母親に置いて行かれたという過去が心の傷になっているのかもしれない。


 それをわたしが刺激してしまったことは心苦しかったけれど、わたしだっていつまでもここには居られないのだ。いまだ終着を知らない旅の途中なのだから。


 不穏な種ばかりがそこここに蒔かれている。全てを刈り取れないまま去るのは心地の悪いものだけれど、彼やこの村で起こる事件にまつわる真相をすべて知ったところで、わたしには何もできないだろう。バンガーの町で無力感に苛まれたことは記憶に新しい。


 そんな中途半端な気持ちのまま、またひとつ朝を迎え、メァラたちと朝食を食べたのがほんの少し前のことだ。


 昨夜も今朝も食事を振る舞ってもらったのに、しっかり味わって食べる心の余裕はほとんど無かった。申し訳ないし、勿体ないことをしてしまったとも思う。


 せめてもの心付けに、やけど薬と酔止め薬をもう少しお裾分けしておいた。彼らはもう一、二週間この村で逗留するそうだから、餞別も兼ねての置き土産だ。


 馬車の中で干していた最後の乾燥ハーブを回収して、既に下処理を済ませていた薬草類を整理し、昨日のうちに小間物屋で調達した食料や旅用品を確認する。


 その作業が終われば、いつでも発てる。事件は、そんな段階に至って起こった。


 いいえ、その段階まで来て、ようやく気づいたと言うべきかしら。


 籠の中身をすべてひっくり返して、ある筈のものが無いことに気づいたわたしはたちまち顔面蒼白になった。


「うそ、うそよ」


「グウェン? どうかした?」


 両手で顔を覆う。たったいま自分の見たものが信じられない。


「なんで、どうして……お母さんの調薬レシピが無いの」


「――――――。えっ」


 間の抜けた声が、幕をからげた馬車の中を通り抜ける。


 その場の空気だけでなく、時間までが止まってしまったような沈黙が流れた。




 ▽ ▲ ▽




 狼狽えてそぞろになる気持ちを叱咤して、昨日の行動経路を思い返す。


 ゴゥワーさんの家に行った時は、確かにあった。あの調薬レシピを使って薬の製法を教えていたのだ。道具を片付けた時に籠に仕舞ったことも覚えている。


 その後、翌日に発つことをメァラたちに伝えて来ると言うエディと別れて、わたしはひとりで小間物屋に向かった。


 向こう二、三日分の食料や消耗品などの旅支度をするためだ。色々と見繕っていると、店主にやけに大荷物だと驚かれた。


「村を発つので最後の旅支度です」と答えると、「最後ならもう少し薬を卸して行っちゃくれんかね、お前さんの薬は効き目が抜群で質が良い」と乞われ、店主にいくらか追加で薬を卸した。


 あの時に籠の中身をカウンターへ空けていたから、もしかするとそのまま仕舞い忘れてしまったのかもしれない。前日から続く衝撃で、頭が半分疎かになっていたから。


 ひとまず、小間物屋へ行ってみよう。


(だけど、もしそこに無かったら?)


 昨日の行動範囲はそんなに広くない。思いつく限りで、後はエディと合流するためにメァラたちの馬車へ戻ったから。


 手がかりのひとつも無ければ、家々を一軒一軒訪ね歩くしかない。いくら町には至らない規模の村落とは言え、民家は決して少なくないのだ。


 果たして、今日にも村を発とうと言うのに、村中を虱潰しに探し回る時間があるだろうか。


 愕然として考えが同じところばかりをぐるぐる回る。そんなわたしの意識を引き上げる声があった。


「……ゥェン、グウェン」


「……っ!! あ、……何」


「何、はこちらの台詞だよ。さっきから呼んでも目を見開いたきり黙り込んで。調薬レシピが無くなったというのは本当? どこかに置いてきたのかい?」


「多分……いいえ、わからないの。もしかしたらあの時に、と思う心当たりはあるのだけど、行ってみないことには。それにもしそこに無かったら、わたし、どこで失くしたのか……。

 置いてきたのか、落としたのかも覚えていないのよ。昨日はあれからずっとぼんやりしていたから」


「一抱えもあるような大きなレシピを、そう簡単に落とすとも思えないけれど……」


 彼は口元に手を当てて、考え込む仕草でこちらを見つめた。柔らかな茶色い瞳が、物言いたげに細められる。


 何かを待つような眼差しに晒されて、わたしは彼の求めるものに思い至った。


 握り締めた手のひらがじっとりと汗ばむ。暑さのせいだけではないことは明白だ。


 それを素直に口にするには、わたしはまだ、他人に――こと、イングランド人である彼に心を開ききれていなかった。


 けれど、たとえばここで口を閉ざして彼に背中を向けたとして、意地を張った先に何があるだろう。


 ひとりで探す?

 ――当てもないのにいつまで掛かるかわからない探しものをひとりで探すなんて無理だ。


 村の人たちに手伝ってもらう?

 ――ただでさえゴゥワーさんと懇意にしていたわたしは、村中の人たちから不審がられているだろう。これも無理。


 だったら、レシピを諦める?

 ――それこそ無理だ。あれは母の唯一の形見で、わたしの人生(ヴァ・マウィド)だった。


 自分の古びた意地と、母から受け継いだ薬師の誇り。答えは天秤に掛けるまでもない。


 彼を真っ直ぐ見返して、わたしはひとつ、深呼吸をした。


「エディ、お願い。一緒に母のレシピを探して」


 きっと、これが彼の求める答えだ。


 わたしの推測を肯定するように、彼は目元を綻ばせて笑みを見せた。


「初めて、グウェンから頼ってくれた。ああ、勿論。手伝うよ」


 目頭が熱くなる。まだ見つかってもいないレシピに焦りは止まないのに、彼が手を貸してくれるというそれだけで、不安のつかえていた胸の中心が和らいだ。


ありがとう(ディオルフ)


 蚊の鳴くような声で告げたお礼を、彼はきっと拾い上げてくれただろう。きょとりと目を瞬かせたあと、浮かべていた笑みを深めたから。




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