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ヒラエスの魔女の唄  作者: 待雪天音
リンディーロンの子守唄
32/41

11.いつも通りの平穏と、いつも通りにならない夜




 メァラたちの馬車は、初めにこの村に着いた時と同じ場所で、変わらぬ姿のままそこに在った。村外れの、入江に近い丘の上だ。


 日の落ちかけた海辺で、彼女たちは既に野営の準備を始めていた。村での経緯を掻い摘んで話して、馬車に泊めてくれないかと頼むと、メァラも彼女の家族たちも、笑って快諾してくれた。


「どうせならメシも一緒にどうだい? ウマそうな酒が手に入ったんだ」


「でも、ご馳走になるのは悪いわ。持ち寄れるような食材も無いし」


「いーよ、そんなもん気にしなくて。アンタはアタシのトモダチなんだから、メシくらいわけてやるさ。……トモダチだよな? あれ、もしかしてそう思ってるのアタシだけじゃないだろうね?」


 数日ぶりに会ったメァラは、相変わらずカタバミの種のように次から次へ言葉を投げ掛けてくる。それに圧倒されたのも一瞬のことで、快活な彼女につられるように笑った。


「ふふ。あなたがそう思ってくれるのなら、ええ。わたしたちは友達だわ」


「やだな、あらためて言われるとテレるじゃん」


「どうしろと言うのよ」


「ふ、」


 友達かと聞いたり、答えれば照れてみたり、本当に彼女は忙しない。それに呆れた目を向けると、頭上でエディが押し殺したような笑いを漏らした。


 視線を上げると、彼は「あぁ、すまない」と口元を押さえて謝罪する。それでも笑みを引っ込める気はないようで、目元は緩んだままだ。


「きみたちを見てるとつい、ね。あまりにも微笑ましくて」


「楽しんでもらえたならこれサイワイ。だけど見世物じゃあないんだなこれが。見物料とるぞぉ?」


「きみは既に村への興行料を私に払わせて踏み倒しているだろう、メァラ? それで手打ちにしておいてくれるね」


「ちぇっ。アンタも痛いトコついてくるねぇ。ジョーダンだよ、ジョーダン。だいたい、ふみ倒したんじゃなくてビンジョーしただけだって」


「これが“物は言いよう”ということか。なるほど」


「あなたたち、知らない間にずいぶんと仲良くなっていたのね」


 ここへ来た時はわたしばかりがメァラと話していた気がするけれど、どうやら興行の間にいくらか馴染んだらしい。叩けばよく響く鐘のような彼女の言動に、エディの方も尻込みすることなく軽快に返す。


 その様子に少しばかり驚いて口を挟んでしまった。メァラが、何を思ったかにんまりと妙な笑みを浮かべている。


「安心しなって、なよっちい男はシュミじゃないからさ。ひとの男を取ったりしないよ。ほら、それよりさっさとこっち来なって。アングルシーのタマゴ料理、おふくろが教えてもらったってんで作ってくれたんだ」


「別にそんな意味じゃ」


 反論しようとした口は、彼女に手を引っ張られて止められた。焚き火の周りには既にメァラの家族たちが集まっていて、わたしたちを待っている。


 団欒の輪の中には、大きなフライパンいっぱいの香ばしく焼き上がった謎の料理、串刺しの焼き魚、それからいくつかの革袋と木製のマグが乱雑に並んでいた。メァラのお姉さんが家族に木匙を配っている。


 焼き魚の油と……これはチーズの匂いかしら。美味しそうな匂いに、素直なお腹がくるると鳴いた。


「ほら、腹へってんだろ。ぼーっと突っ立ってないで座りなよ」


「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えてご馳走になります」


「たんと食いな。……って言っても、作ったのはアタシじゃないけどさ」


 彼女が頭を掻きながら笑うと、どっ、と周りで笑いが起きる。


「まったく、調子の良い子だよ」と奥さんが肩を竦めていた。


「アンタもこれくらい作れるようになりなさい」とお姉さんが笑いながらメァラの背中を叩いている。


「そんなだから嫁の貰い手ないんだぞ」とからかうようなお義兄さんの声に、甥っ子たちおチビさんが「ないんだぞー!」と声を揃えて追い打ちを掛けていた。


「義兄に言われちゃ終いだな」と親父さんは泰然と上座に腰を落ち着けて笑っている。


 わたしの想像しうる、およそ最上級の平和で幸せな光景がここにあった。


 そこに混ざることに少しの気後れがあったけれど、こういう時にこそ物怖じしないエディに背中を押されて輪の端へ腰を下ろす。すかさずお姉さんから匙を渡された。


「フライパンがひとつしかないからさ、いつも焼き物はみんなでひとつのフライパンをつついて食べるんだよ。早く食べないと無くなるからさっさと食べな」


「待てってメァラ。まだ酒が行き渡ってねぇだろ」


「オヤジがちんたらしてるからだろー。アタシにもマグおくれよ」


「ほらよ。そっちの薬師の嬢ちゃんと兄ちゃんにも回してやんな」


「いえ、わたしはお酒は……」


 親父さんからメァラを経由して木製のマグが回ってくる。そのなみなみと注がれた液体から酒気を嗅ぎ取って遠慮しようとしたけれど、「呑めるときに呑まなきゃ損だよ」と彼女に押し切られて受け取ってしまった。


 わたしがあまりお酒を呑まないことを知っているエディは苦笑している。けれど、他に飲み水らしきものもない。


 仕方ない。別にまったく呑めないわけではないのだし、今日くらいはご厚意に甘えよう。そう思って隣の男が食前の挨拶を呟く様を聞いていた。


 辺りを見回した親父さんが、マグを掲げて乾杯の音頭をとる。次々にマグがカコンカコンとぶつかり合うと、後はもう無礼講だ。


 親父さんはお酒を呑むことに専念し、奥さんとお姉さんは今日起きた家事や手仕事の合間の話で盛り上がりだす。ふたりの周りで夕飯をおもちゃに騒ぎ始めたおチビさんたちは、剣に見立てた魚の串刺しを振り回し始めたところで「メシで遊ぶな」とお義兄さんに怒られていた。


 もはや、ちょっとした宴のようだ。――品良く言えば。


 メァラがしきりにフライパンの料理を勧めてくるので、わたしはエディと揃って中身をつつく。思った通り、こんがり香ばしく焼けたそれはチーズのようだった。深く匙を差し込むと、下の方は柔らかい。ふわふわのこれは……。


「マッシュポテト?」


「そ。本当はふかめの皿で作って竈で焼くんだって。マッシュポテトをしきつめたとこに、半分に切ったかたゆでタマゴを乗せて、同じくゆでたネギを入れて、たっぷりのチーズを掛けんの。もうおふくろが作ってるときからずっといい匂いしててさー。こんなの絶対ウマいじゃん」


 急かされるように息を吹きかけて冷ますと、こわごわ口に運ぶ。チーズのまろやかなしょっぱさと、ほくほくのマッシュポテトの甘みがゆで卵の淡白さを包んで、ジューシーでいながら柔らかな風味になっている。


 間に挟まっていたネギを噛みしめると、じゅわっと野菜の出汁が溢れて旨味に拍車を掛けた。


 熱い。美味しい。甘さもしょっぱさもそれぞれが引き立てあって、優しい味わいながら物足りなさをちっとも感じさせない。


 はふ、と火傷しそうになる口の中を、お酒を少し含むことで冷ます。ぬるいお酒はエールではなく、果実酒のようだった。


 そういえば、メァラが「ウマそうな酒」と言っていたか。安物のエールより口当たりの良い果実酒は、チーズの塩気によく合う。


 お酒に強くはないけれど、多少呑める程度の口でも杯が進みそうだ。気をつけなければ。


「本当、美味しいわね、これ」


 二口、三口としっかり堪能してからやっと感想を返すと、「だろ?」とメァラが得意げに答えた。作ったのは彼女の母親だろうに、まるで我が事のように胸を張る。


「だからアンタが作ったわけじゃないでしょ」と背後からまたお姉さんに叩かれていて、つい笑ってしまった。


「こんなに美味しいお酒を仕入れられたということは、興行が上手くいっているの?」


 世間話のつもりで切り出すと、既に二杯目のお酒に手を付けているメァラが唸った。


「見世物も実入りは悪くはないんだけど、そろそろシオドキかなァ。鋳掛けのほうも並行してまずまずの収入があるから、今回はちょいと小遣いかせぎがはかどってね」


「不思議。ホリーヘッド(カエルガビ)より小さい村の方が鋳掛け業は儲かるのね」


「もうかるってホドでもないけど、ほら、人の多い町なんかはカナドコ屋とかも多いからさ。わざわざヨソモノのうさんくさい流民なんかにたのまないワケ。これが小さな村だとそういう店もなかったりすんだよ。

 けど、ちっちゃな穴ひとつでナベを買いなおせるほど金もちでもないだろ? だからこういうとこでの鋳掛けはあんがい小金をかせげるんだ」


 彼女の話を聞きながら、ははぁと納得の声を漏らす。その間にも食は進むが、ふと、そういえば彼女たちは、この村に鋳掛けの素材を仕入れに来たのだったかと思い出した。


「それで、当初のお目当ての銅の仕入れは上手くいったの?」


「んー、まぁ、……うーん」


「何よ、煮えきらない返事ね」


「仕入れられたには仕入れられたんだけどさぁ、その分けっこうつかっちゃってて」


 歯にものの挟まった言い草に不思議に思って詳しく聞いてみると、どうやら、この村では銅製品が比較的多いのだそうだ。近くに銅鉱床がある影響だろう。


 毎日誰かしらが鍋やらフライパンやら水差しやらを持ち込んでくるので、せっかく仕入れた銅の減りが早いようだ。


 きちんとした精製施設が無いなりに、局地的な地域内流通は確保されているようで、当面の旅に困らない程度の買い付けをしたと言うのに早くも仕入れた分の半分近くを消費しているらしい。


 もう少し多めに仕入れておくんだった、と頭を抱えるメァラに、隣で黙々と焼き魚を齧っていたエディが首を傾げた。


「毎日? 確かに村にしては比較的人の多い村落だけど、それにしても傷み方が尋常じゃないような……」


「たぶんだけど、銅が溶けやすいような調味料とか薬でも使ってんじゃないかなぁ。たとえばすっぱいやつ」


「柑橘類やヴィネガーとか?」


「そう、そういうのを入れて長い時間煮込んだり放っといたりすると、金属が、ええと、サンカ? フショク? して穴があいたりこわれやすくなるんだよ」


 へぇ、とふたり揃って相づちを打つ。仕組みはよくわからないけれど、人にとっての刺激的な風味は金属にもダメージを与えやすいということなんだろう。


「そういうの、ホントは人のからだにも良くないんだ。たまに金属がハダに合わない人も居るんだけどさ、酢とかで穴があくってのは、金属が溶けてるってことで、それを鍋のなかみごと食っちまうと、ひどい症状をおこすこともあるんだって」


「症状ですって?」


「ハダにさわるくらいなら、まだハダがかぶれたり、はれたり、ホッシンができるくらいで済むけど、飲み込んじまうと吐けたら良いほうで、ケイレンしたり息がつまったり危険な状態になることもあるんだよ。あと、短期間であんまり大量にとりこむと、カジョーセッシュ? で中毒にもなる。

 前におんなじ船にのってた他の旅団のヤツにもひとりいたんだ。なんでか知らないけど、銅がハダにふれたり、銅の鍋で作ったメシを食うと、全身が火傷したみたいになるんだよ。ホッシンができてただれんの」


「そういうの、食べ物にもあるわよね。大抵の人が普通に食べられるものでも、体に合わないような人が食べると体じゅうが腫れたり、痒くなったり、呼吸困難になるって」


「たぶん、そういうのと同じような症状なんだろうな」


「金属にもあるのね。知らなかったわ」


 メァラの話を聞くにつれて、頭の片隅をチリチリと何かが掠めた。最近、似た話をどこかで聞いた気がする。けれどその端緒を掴み切る前に、ぼんやりと鈍った思考が邪魔をした。


 お酒が入ったせいだろう。ちびりちびりとでも呑み続ければ、拳ふたつぶんほどの大きさのマグも空っぽになる。これだからお酒は好んで呑まないのだ。


 呑めないわけではないけれど、そう多く呑めるわけでもないから、頭がすっきりとしない。考えが散らばって、整然とした答えを導き出せない。


 自分の体のことなのに思い通りにならない、いつもと勝手の違うこの状態が、わたしはあまり好きではなかった。


 そろそろお酒を控えようとマグを下ろそうとしたら、空のマグを目敏く見つけたメァラがおかわりを注ぐ。


「ちょっと、メァラ。もういいわ」


「そう言わないでさ、せっかくの酒なんだ。楽しく呑もうって。オヤジたちもさ、きっとうれしいんだ。アンタたちがヘンケンのない目でつきあってくれるから。この酒もメシも、アタシたち家族からの歓迎の形なんだよ」


 そんなふうに言われては、静止の言葉も続けられなかった。フライパンをつついてはひと口呑み、魚にかぶりついてはふた口呑み、愉悦と浮遊感の間でおぼつかなく心を漂わせる。


 それでもマグを二度空けて、三杯目を三分の二ほど飲み下したところでとうとう限界が来た。


 ガクン、と頭が前のめりに落ちて、うたた寝の最中に体勢を崩したような衝撃が襲う。


「いま、わたし寝てた……?」


「意識が落ちかけていたかな。うとうとしていたから私の方に寄りかからせていたけれど、気付いていなかった?」


「ぜんぜん……」


 手のひらで顔をこすりながら誰にともなく尋ねると、前傾姿勢で不安定なわたしの肩を支えながらエディが答える。本当に、まったく、寄りかかっていた自覚もなかった。不覚だわ。


 急に動いたせいか、それまでふわふわと気持ち良かった気分が一転、胸の辺りから不快感が迫り上がってくる。まだ吐き気を催すほどじゃない。けれど、心臓がいつもより早くて息が上がる。


 逃がしようのない気持ちの悪さをどうにかしたくて低く唸った。


「うー……、あー、ありがとう。メァラ、ごめんなさい。そろそろ限界だから休ませてもらっても良いかしら。夕飯をご馳走になってしまって、せめて片付けは手伝いたかったのだけど、ちょっと……無理そうだわ」


「あー、あー、いいよ、気にしなくて。アタシが無理に呑ませたようなもんだし。それより、ひとりで馬車まで戻れるかい? すぐそこだけど、立つのもフラフラしそうじゃん」


「それくらいは……」


 見栄を張ってみたものの、立ち上がった途端たたらを踏む。生まれたての子鹿のような足取りを危なっかしく思ったのか、エディまで席を立つと、まだ中身の入っていたわたしのマグを取り上げて一気に呷った。


 彼も既に何度かマグを空にしていた筈なのに、酔いが回っている様子もない。


 自分の分と合わせて、ふたつの空になったマグをメァラへ渡してから、彼は制止する間もなく、わたしを両腕で抱き上げた。……抱き上げた?


「ちょっと、あなた……!?」


「すまない、メァラ。見ての通り、グウェンをひとりで歩かせるのは不安だから馬車まで送ってくる。落ち着くまで少し様子を見てから戻るから、彼女の分の洗い物は戻ってきてから私がしよう。それで良いかな?」


「だから気にしなくていいってのに、アンタたちはそろってリチギだねぇ」


「それだと、きっと彼女が気に病むからね。ご馳走さま、メァラ。とても美味しかったよ、ありがとう」


「いーえー。毛布は馬車ん中の一番右奥の木箱に入ってるから、適当に使ってよ。んじゃ、ごゆっくりー」


「ごゆっくりじゃなくて、……っもう、降ろしてちょうだい!」


 狼狽えるわたしを差し置いて、メァラと話を付けたエディはさっさと歩き出す。彼の肩に凭れ掛かる形で縦抱きにされると、ぶらぶらと足が投げ出されて不安定さが増した。


 下手に暴れたところで、バランスを崩してこちらが痛い目を見ることは明らかである。わたしに残された選択肢は、落とされないように彼の肩首にしっかりと腕を回すくらいだ。


 柔らかな髪と柔和な顔立ちでそんなに力があるようにも見えなかったけれど、わたしを支える白い腕は存外しっかりとしている。


 彼は男の人なのだな、と、何故か、そんな当たり前のことを今更に再確認した。





特定の食物や金属に対する拒絶反応にアレルギーやアナフィラキシーという名前が付いたのはかなり最近のお話(20世紀に入ってから)らしいですが、アレルギー症状についての記述は紀元前からあったそう。

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